新型コロナウイルスの感染拡大により、不安感と不足感でいっぱいになっている今、以前耳にしたことのある 魂の癒しにつながるアファメーションが、すごく気持ちよく響きました。
それは、
「私が必要とするものはすべて与えられています。
私は安全であり愛されています」
というもの。
チャクラクリアリングという瞑想CDの中に、入っていたフレーズです。
現状での不安感や不足感といったものとはまさに真逆のイメージが 緊張しきった心をほぐしてくれる気がします。
私は以前からもこの言葉に、心地よさと同時に力が湧いてくるのを感じていました。
常に、安全で満たされている自分を感じていられたら、私はもっと実力を十分に発揮できる気がします。
文明社会に生きる多くの人々は、常になんらかの不安と満たされない想いを抱え、それが活き活きと生きる上での足かせとなっているような気もします。
ですが、捉えようによっては、「安全で満たされている自分」を意識することは、自分に甘くなり自堕落な人間を作り上げてしまうことになるのでは、と思えたこともありました。
でも、私のこの発想自体が、自分の力を抑えつける無駄な緊張感であることに、ふと気づきました。
自分を律することのできる厳しさも、もちろん必要だと思いますが、不安で不満を抱えた意識状態で自分に厳しく向かうのと、安全で満たされている意識状態で自分に厳しく向かうのとでは、出せる力も結果にも 大きな差が生じるということがわかってきました。
本来出せるはずの力を抑制してしまう不安や不足感は、意識して手放していきたいと思っています。ただ、ハングリー精神は持っていたいような気もしますね。
子供の頃、見知らぬ場所に出かけて行っても、母親が見守っていてくれることがわかっていれば、大胆自由に行動できました。
でも、ちょっとでも母親の姿が見えなくなると、途端に心細くなり、大胆自由に行動できた私は、どこかに封じ込められてしまったことを思い出します。
子供時代に持っていた、あの安全で満たされた感覚を、今こそ呼び戻したい気がします。