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a green hand

淡路島の玉ねぎ

今朝、早起きしたので、はやめの「舞いあがれ」を見ようとテレビをつけると玉ねぎ、淡路島の音に耳と目がさらわれた。

舞いあがれは8時から見る事にした。

淡路島、明石、兵庫、タマネギには反応の強さが違う。
海外旅行先で親しくなり、その後ずっとお付き合いをする事になったTさん。

Tさんとの出会いが無ければ関西圏の方とは知り合うことが無かっただろう。
Tさんにしても東北は無縁だったはず。

阪神淡路大震災(1995)から6年後、オランダ、ベルギー、アムステルダム、パリの美術館巡りの旅であった。

東北の我々との接点は美術誌に載っていた旅行会社である。
記憶違いがなければ阪急交通社。

Tさんが新大阪空港か伊丹空港から小さな福島空港に降り立ったのが2008年。

案内した猪苗代にある桧原湖で虹が出た時、大喜びしたTさんんの驚きが忘れられない。
明石で虹が出ることはないという。。

Tさんの見た虹は絵本の世界だったのかもしれない。

山に住む私はというと虹のでない場所があるのが不思議。
Tさんの住む明石を訪れた事がある。

Tさんの住む明石までの電車は、後ろに山が迫り前に海が広がる風景にレア感を抱いた。
乗っている電車がとても小さく思えたのが不思議だった。(そこから離脱し、電車を見たわけでもないのにw)

教科書でだけ知っていた日本の標準時子午線明石がTさんの住む明石市と繋がり、感動体験をしたあの日。

四国と繋がっているという明石海峡大橋まで行き、渡りはしなかったがその大きさと美しさが目に焼き付いた。

タコフェリーで明石から淡路島に渡り、震災後の島の様子を知らされた。
まもなくそのフェリーは無くなってしまったらしい。

さて、淡路島のタマネギが幻のように思えたのにはもう一つのわけがあった。





尊敬する料理家、辰巳芳子さんの書籍「あなたのために」の中で淡路島の玉ねぎについて詳しく述べられていたのだ。

淡路島の玉ねぎは私にとって未知の世界であり、淡路島に行った事があるにもかかわらず、いつものように繋がらず回線が故障中のままずっと続いた。

何かの弾みで私がTさんに辰巳芳子さんについて手紙に書いたのだと思う。

それからというもの数年前から時々淡路島の玉ねぎが送られてくるようになった。

長い事まぼろしだった玉ねぎにお目通りできて数年が過ぎた。

つい先ごろも、おすそ分けといって玉ねぎ数個と淡路島フルーツ玉ねぎスープも送られてきた。

料理下手の私は淡路島の玉ねぎ様にバチが当たらないような料理がしたいと頭を悩ますわけである。







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