先日、こんなニュースを見ました。
ドイツ人男性、カーナビ信じてトイレに激突
(yahoo!ニュースより)
カーナビが「すぐ先、右折です」と発言し、ホントは30メートル先で右折するのに運転手がすぐにハンドルを切ってしまい、道路脇のトイレに激突しちゃったという事故です。
ちなみに同記事には、今月に「工事中のため進入禁止」の道だったにも関わらずカーナビの指示を優先してしまい、砂の山に突っ込んでしまった事故もあったと明記しています。こっちは被害はなかったそうですが。
この2人の運転手に共通していること。それはカーナビを信じすぎていたということです。本来、車を運転するにあたって人は、目で道路その他を見て運転するわけです。それはカーナビがあってもも同じことで、カーナビは実際に道路を見て指示を出しているのではなく、登録されたデータをもとに指示をおこなっているに過ぎません。だからカーナビの指示を聞いたとしても、最終的にはしっかり自分の目で確認することが当たり前なんです。この2人の運転手はそれを怠ったためにこういう事故を起こしたわけです。悪いのはカーナビですか?いいえ、運転手ですよね。
これはゲームその他のメディアにも通ずることで、ここ最近ゲームをプレイしていての死亡・自殺や、ゲームの真似をしてケガをするなどといったことがあります。これ、ゲームが悪いんですか?違うでしょ?今年の5月だったと思いますが、CEROによる規定が変わり、18歳未満に売ってはいけない「Z指定」というものが生まれました。もちろんこれを作った目的は上記の出来事への対策なわけですが、ハッキリいって18歳以上であっても同じ症状になる人はなるんです。それが18歳以上になったので若干減りこそはすれ、なくなるわけではありません。むしろ個人的には「A指定」だの「C指定」だのが分かりづらくて仕方がないと思うんですけどね。前みたいに「全年齢」とか「13」で何かダメだったんでしょうね?
しかし世間的にはゲームというのは今もなお否定的な目で見られているメディアです。
例えばかなり前で私が鮮明に覚えているのが、海外のどこかだったと思うんですが、マンションに住んでいる13歳の子がオンラインゲームをプレイしていて、突然ベランダから飛び降りて死亡したという出来事がありました。ちなみにそのオンラインゲームは14歳以上対象となっていました。しかし後日、ここの母親がこのオンラインゲームの制作会社を訴えたそうなんです。…ちょっと考えれば本当に悪かったのは誰なのか分かるはずなのに、まずゲームという存在を否定的に捉えていて、かつ自分の息子がそのせいで死んだということで感情が高ぶり、まさに本能で行動しているなと感じました。
そもそも「14歳以上対象」という規定を守れてない上で文句を言われるオンラインゲーム会社の身にもなって欲しいです。「それをちゃんと見定められなかった会社にも責任があるんじゃないのか?」と思うでしょうが、じゃあどうやって各ユーザーの年齢を見定めるわけですか?生年月日ですか?そんなもん、サバ読めば簡単にごまかせますよ。それこそ保険証・学生証などの証明書でも見せない限り、ユーザーの年齢は分かりっこありません。しかし遠く離れている会社に証明書をわざわざ送るのも面倒だと思われるでしょうし、会社側だって何千何万ものユーザーの証明書を確認するのもキツイ作業だと思います。
あるいは、昔「フードバトルクラブ」というスペシャル番組がありました。大食い・早食い大会ですね。けっこう好きで見てました。しかしこの番組、第4回目を最後に打ち切りにされました。
なぜか?早食いの真似をした小学生が喉に食べ物を詰まらせて死亡したという事件があったからだそうなんです。ちなみに番組の中ではちゃんと「マネしないでください」と明記してありました。悪いのは番組か?どう考えても違うでしょ?
と、このようにいろいろ見て分かったと思いますが、どんなことをするにあたっても、最後は結局「自分自身」が判断するんです。その時点で責任は自分自身に発生するわけです。特にまだ精神が未熟な小学生とか幼稚園児は大変です。まだ危険なことにしょっちゅう手を出しかねないので、教師や親がしっかり見守ってあげなくてはいけません。それを怠ってしまうと、たとえケガなしで済んでも死亡したとしても同じことです。どちらであっても悪いのは自分自身のはずです。しかし人間というのは保守的な考えを持つので、上記のような行為が起きた場合、その大元を注意・指導するのではなく、きっかけになったほうを否定・注意、最悪の場合消してしまうのです。
最近では小学生などの子供はまだ仕方がないにしろ、いい悪いがしっかり理解できているはずの成人でさえ、幼児の虐待といった愚劣な行為を「やっていいと判断する」未熟な精神の持ち主がいることが情けないです。もちろん、ストレス社会が影響してることもあるんだと思いますが。お金がいくら豊かでも、いい悪いを判断できる余裕のある心を持ってないのでは、何も豊かではありません。私は今こそ、目に見えない豊かさを求めることが大事だと思います。それが人間を悪いように判断させないための、根本的に大事なことだと思っています。
最後は自分で判断する。これだけです。ゲームをプレイしていて「かっこいいな~」と思っていても、それを真似して大丈夫なのか、考えてください。テレビを見ていてすごい体の柔らかい人がすごい無茶なポーズをして「すげぇ~」と思うのはいいんですが、真似して大丈夫なのか、考えてください。ただそれだけのことです。
まあ、私のバイト先のように「考えるより先に足を動かせ」という場面もあるわけですがw
ドイツ人男性、カーナビ信じてトイレに激突
(yahoo!ニュースより)
カーナビが「すぐ先、右折です」と発言し、ホントは30メートル先で右折するのに運転手がすぐにハンドルを切ってしまい、道路脇のトイレに激突しちゃったという事故です。
ちなみに同記事には、今月に「工事中のため進入禁止」の道だったにも関わらずカーナビの指示を優先してしまい、砂の山に突っ込んでしまった事故もあったと明記しています。こっちは被害はなかったそうですが。
この2人の運転手に共通していること。それはカーナビを信じすぎていたということです。本来、車を運転するにあたって人は、目で道路その他を見て運転するわけです。それはカーナビがあってもも同じことで、カーナビは実際に道路を見て指示を出しているのではなく、登録されたデータをもとに指示をおこなっているに過ぎません。だからカーナビの指示を聞いたとしても、最終的にはしっかり自分の目で確認することが当たり前なんです。この2人の運転手はそれを怠ったためにこういう事故を起こしたわけです。悪いのはカーナビですか?いいえ、運転手ですよね。
これはゲームその他のメディアにも通ずることで、ここ最近ゲームをプレイしていての死亡・自殺や、ゲームの真似をしてケガをするなどといったことがあります。これ、ゲームが悪いんですか?違うでしょ?今年の5月だったと思いますが、CEROによる規定が変わり、18歳未満に売ってはいけない「Z指定」というものが生まれました。もちろんこれを作った目的は上記の出来事への対策なわけですが、ハッキリいって18歳以上であっても同じ症状になる人はなるんです。それが18歳以上になったので若干減りこそはすれ、なくなるわけではありません。むしろ個人的には「A指定」だの「C指定」だのが分かりづらくて仕方がないと思うんですけどね。前みたいに「全年齢」とか「13」で何かダメだったんでしょうね?
しかし世間的にはゲームというのは今もなお否定的な目で見られているメディアです。
例えばかなり前で私が鮮明に覚えているのが、海外のどこかだったと思うんですが、マンションに住んでいる13歳の子がオンラインゲームをプレイしていて、突然ベランダから飛び降りて死亡したという出来事がありました。ちなみにそのオンラインゲームは14歳以上対象となっていました。しかし後日、ここの母親がこのオンラインゲームの制作会社を訴えたそうなんです。…ちょっと考えれば本当に悪かったのは誰なのか分かるはずなのに、まずゲームという存在を否定的に捉えていて、かつ自分の息子がそのせいで死んだということで感情が高ぶり、まさに本能で行動しているなと感じました。
そもそも「14歳以上対象」という規定を守れてない上で文句を言われるオンラインゲーム会社の身にもなって欲しいです。「それをちゃんと見定められなかった会社にも責任があるんじゃないのか?」と思うでしょうが、じゃあどうやって各ユーザーの年齢を見定めるわけですか?生年月日ですか?そんなもん、サバ読めば簡単にごまかせますよ。それこそ保険証・学生証などの証明書でも見せない限り、ユーザーの年齢は分かりっこありません。しかし遠く離れている会社に証明書をわざわざ送るのも面倒だと思われるでしょうし、会社側だって何千何万ものユーザーの証明書を確認するのもキツイ作業だと思います。
あるいは、昔「フードバトルクラブ」というスペシャル番組がありました。大食い・早食い大会ですね。けっこう好きで見てました。しかしこの番組、第4回目を最後に打ち切りにされました。
なぜか?早食いの真似をした小学生が喉に食べ物を詰まらせて死亡したという事件があったからだそうなんです。ちなみに番組の中ではちゃんと「マネしないでください」と明記してありました。悪いのは番組か?どう考えても違うでしょ?
と、このようにいろいろ見て分かったと思いますが、どんなことをするにあたっても、最後は結局「自分自身」が判断するんです。その時点で責任は自分自身に発生するわけです。特にまだ精神が未熟な小学生とか幼稚園児は大変です。まだ危険なことにしょっちゅう手を出しかねないので、教師や親がしっかり見守ってあげなくてはいけません。それを怠ってしまうと、たとえケガなしで済んでも死亡したとしても同じことです。どちらであっても悪いのは自分自身のはずです。しかし人間というのは保守的な考えを持つので、上記のような行為が起きた場合、その大元を注意・指導するのではなく、きっかけになったほうを否定・注意、最悪の場合消してしまうのです。
最近では小学生などの子供はまだ仕方がないにしろ、いい悪いがしっかり理解できているはずの成人でさえ、幼児の虐待といった愚劣な行為を「やっていいと判断する」未熟な精神の持ち主がいることが情けないです。もちろん、ストレス社会が影響してることもあるんだと思いますが。お金がいくら豊かでも、いい悪いを判断できる余裕のある心を持ってないのでは、何も豊かではありません。私は今こそ、目に見えない豊かさを求めることが大事だと思います。それが人間を悪いように判断させないための、根本的に大事なことだと思っています。
最後は自分で判断する。これだけです。ゲームをプレイしていて「かっこいいな~」と思っていても、それを真似して大丈夫なのか、考えてください。テレビを見ていてすごい体の柔らかい人がすごい無茶なポーズをして「すげぇ~」と思うのはいいんですが、真似して大丈夫なのか、考えてください。ただそれだけのことです。
まあ、私のバイト先のように「考えるより先に足を動かせ」という場面もあるわけですがw