前項の「白鳥湖#25幕間曲」で【grave】触れたついでに、
ベートーヴェンが【墓場】まで持ってった秘密について少し考えてみた。
よく知られてるように、ベートーヴェンが死んだとき、
所有してた銀行株券を見つけるべく探し出されたその引出しから、
株券といっしょに女性の肖像画のミニアチュアと紙片が出てきた。
その紙片がのちに「不滅の恋人への手紙」と呼ばれることとなる
書き送り3通である。この「不滅の恋人」が誰であるか、
ずっと謎で研究者のだれもが特定できなかったそうだが、近年、ほぼ
「アントーニエ・ブレンターノ(婚前:ビルケンシュトック伯爵家令嬢)」
で決定したらしい。この「手紙」が書かれたのは
1812年の7月なのだそうだが、その年、ベートーヴェンは
カールスバート(現在のチェコ、カルロヴィッツ)で
同夫人と逢瀬を持ったらしい。そこらへんの事情は
その分野のドシロウトである私には詳しい知識はないが、
少々、おもしろい符合に気がついた。すでに、
「専門家」の研究で、この逢瀬のときの思い出……つまり……
「カールスバートの郵便馬車の御者」
という御者が吹き鳴らしてた「ポストホルン」の旋律を
ベートーヴェンがメモったものが、
「8番交響曲」メヌエット章トリオの動機に採られ、
歌曲「遥かなる恋人に」のpf伴奏パートに組み込まれ、
pf曲「ディアベッリ変奏曲」の第5変奏に編まれてる、
のだそうである。私にはピンとこないのだが……。
ベートーヴェンがメモったポストホルンの節:
**♪『ドードド・ドードー・<ミー>ドー<ミー・
<ソー>ミー<ソー│<ドーーー・ーー』>ソー・
<ドー>ソー・<ドー>ソー│
ソーソー>ミー・>ドードー<ミー・<ソー・……**♪
「のだめ」のような高尚なドラマには出てこない些末は話題ではあるが、
私にはやはり1812年に完成された「7番交響曲」の3楽章、
*♪『ドー│(ド)<ミー・>ド●・<ミー│
(ミ)<ソー・>ミ●・<ソー│
<ドーッ・ドーッ』>シーッ│>ラーッ・ラーッ・>ソーッ│
<ドー>ソー・<ドー>ソー│
>ファーッ・ファーッ・>ミーッ│>レー・ーー・ーー*♪
に『そのまんま』採られてる、ように聴こえる。ちなみに、
私の考えでは、「7番交響曲」の調性はなにもベートーヴェンが
vnのE線を震えさせるという壮大な
オカルト現象を起こしたかったわけではなく、
「A」ntonieの頭文字を選んだ、というものである。
「8番交響曲」の調性ヘ長は、アントーニエとの
「保養地」が「田園交響楽」の
「郊外に着いたときの心地よい気分」であることと、
万が一、「A」に気づかれた場合のエクスキューズとしての
その夫「F」ranzの頭文字である。あるいはまた、
ヘ長の調号「1♭(フラット)」と同意匠の
b(ベー)のを表してるのかもしれない。
私のハンドルネイム「パション・トリプル・ベ」も
「3♭」と「3b」を「かけた」ものである。アントーニエは、
サンダル履きが日常的な家風だった(※)
生家が「B」irkenstock、
嫁ぎ先も「B」retano、
という「B」型人間である。ちなみに、
「Birke(n)/ビルケ(ン)」は通天閣に生えてない「樺(の)」、
「Stock/シュトック」は「棒(スティック)」、である。
さて、ベートーヴェンがアントーニエに献呈しようとして叶わなかった
「32番pfソナータ」の後章の『『アリエッタ』』、
**♪『『ドー>ソ│ソーー・ーーー』』
<『『レ>ー>ソ│ソーー・ーーー』』
として据えてた動機は、奇遇にも、
先にも触れた「ディアベッリ変奏曲」、
*♪『『ド>シ│<ドーッ、>ソーッ・ソーッ』』……
<『『レ>♯ド│<レーッ、>ソーッ・ソーッ』』……*♪
の主題としてディアベッリが送ってきたのである。この動機は、
懐かしい「7番交響曲」の3楽章(ヘ長)のトリオ(ニ長)、
*♪『『ドー・ーー・ー>シ│<ドー・●●・●●
(この間、両翼vnがオクターヴユニゾンで「ソ」を保持)』』│
『『ドー・ーー・ー>シ│<ドー・●●・●●
(この間、両翼vnがオクターヴユニゾンで「ソ」を保持)』』│
ドー・ーー・<レー│<ミー・<ファー・>ミーッ│>レー・……│
『『レー・ーー・ー>♯ド│<レー・●●・●●
(この間、両翼vnがオクターヴユニゾンで「ソ」を保持)』』│
『『レー・ーー・ー>♯ド│<レー・●●・●●
(この間、両翼vnがオクターヴユニゾンで「ソ」を保持)』』│
レー・ーー・<ミー│<ソー・>ファー・>レーッ│>ドー・……*♪
の主題だったのである。ときに、
「ベト7」の主章主部ヴィヴァーチェは、
8分の6拍子というイタリアの舞曲の拍子、律動で書かれてる。
アントーニエの嫁ぎ先ブレンターノ家はフランクフルトの富豪であるが、
その名が示すとおりイタリア系である。のちに、やはり大富豪で
「バルトルディ」というイタリア名も持ってたメンデルスゾーンが、
主章を同じイ長&8分の6拍子で、3楽章にホルンのトリオを配して、
「イタリア交響曲」を作曲するが、その
「ベートホーフェン・マニア」ぶりが強くうかがわれる。
それはともかくも、アントーニエとその夫フランツを
ベートーヴェンに引き合わせたのは、フランツの異母妹の
エリーザベト(ベッティーナ)・ブレンターノであり、
そのベッティーナの夫アヒム・フォン・アルニムは、
ベッティーナの同母兄クレメンス・ブランティーノと
民衆詩集「子供の不思議な角笛」を編纂した人物である。それから、
「ベト7」の終章の主主題は、ディック・ミネが
「ノラ・クレイナ」というアイルランドの花売り娘に女装して歌った(※)
「セイヴ・ミー・フロム・ダ・【グレイヴ】・アンド・ワイズ」
(12のアイルランド民謡セッティング作品WoO154第8曲)
のpf間奏の節
*♪レー<ミ・<ソ>ファ>レ│<ミー<ファ・<ラ>ソ>ミ│
>レー<ミ・<ソ>ファ>レ│<ミー<ド・ドーー*♪
であるが、このように、8分の6拍子である。この歌は……
「【グレイヴ】=まじめくさった」で「ワイズ=分別顔した」な
ことから私を隔離してください。なぜならば、
私が自分の酒に課税しようなんてばかげてるではないですか
……みたいな歌である。
ベートーヴェンが「不滅の恋人」に手紙を送った1812年は、
皮肉にも、身分の違いで思うままにならない社会を恨んだベートーヴェンが
最初は崇拝し、帝位に就いては失望したナポレオンが、
ロシア遠征で躓いた年だった。ちなみに、
戦死者の亡骸が埋葬される光景が思い浮かぶ
チャイコフスキーの大序曲「1812年」の主部対主題に充てられた
*♪ドー│<ソー・ーソ・・ソ>ファ・>ミ>レ│<ソー・ソー、・・●●・
>レー│<ソー・ーソ・・ソ>ファ・>ミ>レ│<ソー・ーー、●●
>ソー│<ラー・<ドー・・<レー<ミ<ファ│<ソー・ーー・・●●
ソー│<ラー・<ドー・・>シー>ラ>ソ│<ドー・ーー・・●●*♪
も、破棄したオペラ「地方長官」第2幕、
マーリヤとアリョーナの二重唱からの地球にやさしいリサイクル品である。
ベートーヴェンが【墓場】まで持ってった秘密について少し考えてみた。
よく知られてるように、ベートーヴェンが死んだとき、
所有してた銀行株券を見つけるべく探し出されたその引出しから、
株券といっしょに女性の肖像画のミニアチュアと紙片が出てきた。
その紙片がのちに「不滅の恋人への手紙」と呼ばれることとなる
書き送り3通である。この「不滅の恋人」が誰であるか、
ずっと謎で研究者のだれもが特定できなかったそうだが、近年、ほぼ
「アントーニエ・ブレンターノ(婚前:ビルケンシュトック伯爵家令嬢)」
で決定したらしい。この「手紙」が書かれたのは
1812年の7月なのだそうだが、その年、ベートーヴェンは
カールスバート(現在のチェコ、カルロヴィッツ)で
同夫人と逢瀬を持ったらしい。そこらへんの事情は
その分野のドシロウトである私には詳しい知識はないが、
少々、おもしろい符合に気がついた。すでに、
「専門家」の研究で、この逢瀬のときの思い出……つまり……
「カールスバートの郵便馬車の御者」
という御者が吹き鳴らしてた「ポストホルン」の旋律を
ベートーヴェンがメモったものが、
「8番交響曲」メヌエット章トリオの動機に採られ、
歌曲「遥かなる恋人に」のpf伴奏パートに組み込まれ、
pf曲「ディアベッリ変奏曲」の第5変奏に編まれてる、
のだそうである。私にはピンとこないのだが……。
ベートーヴェンがメモったポストホルンの節:
**♪『ドードド・ドードー・<ミー>ドー<ミー・
<ソー>ミー<ソー│<ドーーー・ーー』>ソー・
<ドー>ソー・<ドー>ソー│
ソーソー>ミー・>ドードー<ミー・<ソー・……**♪
「のだめ」のような高尚なドラマには出てこない些末は話題ではあるが、
私にはやはり1812年に完成された「7番交響曲」の3楽章、
*♪『ドー│(ド)<ミー・>ド●・<ミー│
(ミ)<ソー・>ミ●・<ソー│
<ドーッ・ドーッ』>シーッ│>ラーッ・ラーッ・>ソーッ│
<ドー>ソー・<ドー>ソー│
>ファーッ・ファーッ・>ミーッ│>レー・ーー・ーー*♪
に『そのまんま』採られてる、ように聴こえる。ちなみに、
私の考えでは、「7番交響曲」の調性はなにもベートーヴェンが
vnのE線を震えさせるという壮大な
オカルト現象を起こしたかったわけではなく、
「A」ntonieの頭文字を選んだ、というものである。
「8番交響曲」の調性ヘ長は、アントーニエとの
「保養地」が「田園交響楽」の
「郊外に着いたときの心地よい気分」であることと、
万が一、「A」に気づかれた場合のエクスキューズとしての
その夫「F」ranzの頭文字である。あるいはまた、
ヘ長の調号「1♭(フラット)」と同意匠の
b(ベー)のを表してるのかもしれない。
私のハンドルネイム「パション・トリプル・ベ」も
「3♭」と「3b」を「かけた」ものである。アントーニエは、
サンダル履きが日常的な家風だった(※)
生家が「B」irkenstock、
嫁ぎ先も「B」retano、
という「B」型人間である。ちなみに、
「Birke(n)/ビルケ(ン)」は通天閣に生えてない「樺(の)」、
「Stock/シュトック」は「棒(スティック)」、である。
さて、ベートーヴェンがアントーニエに献呈しようとして叶わなかった
「32番pfソナータ」の後章の『『アリエッタ』』、
**♪『『ドー>ソ│ソーー・ーーー』』
<『『レ>ー>ソ│ソーー・ーーー』』
として据えてた動機は、奇遇にも、
先にも触れた「ディアベッリ変奏曲」、
*♪『『ド>シ│<ドーッ、>ソーッ・ソーッ』』……
<『『レ>♯ド│<レーッ、>ソーッ・ソーッ』』……*♪
の主題としてディアベッリが送ってきたのである。この動機は、
懐かしい「7番交響曲」の3楽章(ヘ長)のトリオ(ニ長)、
*♪『『ドー・ーー・ー>シ│<ドー・●●・●●
(この間、両翼vnがオクターヴユニゾンで「ソ」を保持)』』│
『『ドー・ーー・ー>シ│<ドー・●●・●●
(この間、両翼vnがオクターヴユニゾンで「ソ」を保持)』』│
ドー・ーー・<レー│<ミー・<ファー・>ミーッ│>レー・……│
『『レー・ーー・ー>♯ド│<レー・●●・●●
(この間、両翼vnがオクターヴユニゾンで「ソ」を保持)』』│
『『レー・ーー・ー>♯ド│<レー・●●・●●
(この間、両翼vnがオクターヴユニゾンで「ソ」を保持)』』│
レー・ーー・<ミー│<ソー・>ファー・>レーッ│>ドー・……*♪
の主題だったのである。ときに、
「ベト7」の主章主部ヴィヴァーチェは、
8分の6拍子というイタリアの舞曲の拍子、律動で書かれてる。
アントーニエの嫁ぎ先ブレンターノ家はフランクフルトの富豪であるが、
その名が示すとおりイタリア系である。のちに、やはり大富豪で
「バルトルディ」というイタリア名も持ってたメンデルスゾーンが、
主章を同じイ長&8分の6拍子で、3楽章にホルンのトリオを配して、
「イタリア交響曲」を作曲するが、その
「ベートホーフェン・マニア」ぶりが強くうかがわれる。
それはともかくも、アントーニエとその夫フランツを
ベートーヴェンに引き合わせたのは、フランツの異母妹の
エリーザベト(ベッティーナ)・ブレンターノであり、
そのベッティーナの夫アヒム・フォン・アルニムは、
ベッティーナの同母兄クレメンス・ブランティーノと
民衆詩集「子供の不思議な角笛」を編纂した人物である。それから、
「ベト7」の終章の主主題は、ディック・ミネが
「ノラ・クレイナ」というアイルランドの花売り娘に女装して歌った(※)
「セイヴ・ミー・フロム・ダ・【グレイヴ】・アンド・ワイズ」
(12のアイルランド民謡セッティング作品WoO154第8曲)
のpf間奏の節
*♪レー<ミ・<ソ>ファ>レ│<ミー<ファ・<ラ>ソ>ミ│
>レー<ミ・<ソ>ファ>レ│<ミー<ド・ドーー*♪
であるが、このように、8分の6拍子である。この歌は……
「【グレイヴ】=まじめくさった」で「ワイズ=分別顔した」な
ことから私を隔離してください。なぜならば、
私が自分の酒に課税しようなんてばかげてるではないですか
……みたいな歌である。
ベートーヴェンが「不滅の恋人」に手紙を送った1812年は、
皮肉にも、身分の違いで思うままにならない社会を恨んだベートーヴェンが
最初は崇拝し、帝位に就いては失望したナポレオンが、
ロシア遠征で躓いた年だった。ちなみに、
戦死者の亡骸が埋葬される光景が思い浮かぶ
チャイコフスキーの大序曲「1812年」の主部対主題に充てられた
*♪ドー│<ソー・ーソ・・ソ>ファ・>ミ>レ│<ソー・ソー、・・●●・
>レー│<ソー・ーソ・・ソ>ファ・>ミ>レ│<ソー・ーー、●●
>ソー│<ラー・<ドー・・<レー<ミ<ファ│<ソー・ーー・・●●
ソー│<ラー・<ドー・・>シー>ラ>ソ│<ドー・ーー・・●●*♪
も、破棄したオペラ「地方長官」第2幕、
マーリヤとアリョーナの二重唱からの地球にやさしいリサイクル品である。
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