チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「ドレースデン大空襲式馬券術(第46回宝塚記念)」

2005年06月27日 17時05分55秒 | ケイ・バー(馬券の皮を剥いじゃうわよン
当日の阪神競馬場のイヴェントのゲストは、ちょっと造作をへたすると
さとう珠緒になってしまう恐れがある和希沙也嬢である。
滋賀県の「琵琶」湖附近の出身である。ならば、「住みやすさランキング日本一」、
つまり、日本でいっとう住みやすい町と東洋経済新報社が認定した
栗東(りっとう)出身(ということはオヤジが西の調教師)の騎手が勝つはずである。
いっぽう、今年は「日本におけるドイツ年」である。前日、土曜、
21時からTBSが「世界・不思議発見!」で、
「ドレスデン:廃墟から蘇った町」を放送してたことである。その番組中、
マイセンの皿の絵柄の「徹子のタマネギ」のモトネタは何だったか、
という問題の選択肢のひとつに「ビワ」があったことである。ちなみに、
正解の「ザクロ」は花も実も「赤」いのである。さて、同番組の
2次大戦末期に連合軍による爆撃大ザクセンで「掃討(sweep)」された
市街の復興状況がナレイションされる場面、
エルベ川に渡された「橋」が映されたあと、レジデンツ宮殿に切り替わる。
そこには、「緑」の丸天井。「ドレスデン・グリーン」と呼ばれる宝飾品の数々。
世界最大級のエメラルド(緑色)が展示されてたことである。ときに、
自殺未遂から「復興」した黒澤明がはじめて手がけた映画が、
「ドデスカデン」だったことである。その主人公は「六」ちゃんである。
また、ドレースデンといえば陶磁器、「アイリッシュ」・ドレスデンである。
いっぽう、当日6月26日は「独・日」に復讐されないために設けられた
「戦勝国」による「国連憲章調印記念日」である。その
「安保理」の設立当時の「非常任理事国」は「6」箇国。
常任5箇国と併せて理事国数は「11」箇国であった。ちなみに、
1945年6月26日当時の米国大統領は、歴代大統領中、
もっとも学歴のない大統領として知られてる。農家に生まれ、高卒後、
いくつもの職につくもどれも長続きせず、結局、家に帰って
家業に10年間就くのであるが、1次大戦が始まると志願。
帰還後、結婚。雑貨屋を営んで大失敗、破産。多額の借金を背負う。
が、民主党に入党。郡判事になれてしまう。その間、夜学で法律を学ぶ、
という奇妙奇天烈な経歴である。そして、大物政治家の
アヤツリ人形として上院議員に当選。ついには、1944年の
大統領選に民主党内部の派閥争いの海部擁立式に副大統領候補となり、
ロウズヴェルト戦時特例4選の勝利で副大統領。そして、
1945年4月、ロウズヴェルトの死により大統領昇格。
吉宗なんて数のうちに入らない、みごとな出世物語である。ともあれ、
大統領になるや、晩酌はカクテルの「ロブ・ロイ」でなく「マンハッタン」を
口にしながら、広島、長崎に原爆を人体実験投下したのである。
ときに、この人物の月命日は26日である。ところで、
「宝塚記念」のTVCMは「安田記念」のときとおんなじ、
中居クンのオツムに「角(ツノ)」が生えるヴァージョンである。
だから、「安田記念」の連体枠のいずれかが連体するはずである。
また、当日、「角(ツノ)」田騎手は阪神競馬4レースだけに騎乗。
「6枠11番」だったことである。
(1着)6枠(緑色の枠)11番「スイープ」ト「ウシ」ョウ号
            (池添騎手/鶴留厩舎)
(2着)3枠(赤色の枠)4番「ハーツ」クライ号
            (横山典騎手/「橋」口厩舎)
(3着)4枠(青色の枠)6番ゼンノ「ロブロイ」号
            (デザーモ騎手/藤沢和厩舎)
1着馬は、単勝「11」番人気。4コーナーから鋭く差してきたことである。
前走「安田記念」でも同枠同番でホンコン馬に挟まれて2着、
今回は「橋」口厩舎と「橋」田厩舎に挟まれてたことである。
「安田記念」同様、武豊騎手の隣が馬券対象となったことである。
2着馬の母は、「緑」がお国色である「アイリッシュ」ダンス号。
タップダンスの元だと言われてるが、シチーは失速。代わって、
メジロライアン号の東京優駿以来、大レースに後方からのびて2着、
というパターンが定着してる横典の必死の追い込み。
これで緑・赤補色の宝塚記念が完成したのである。さて、もうひとつの
「非核3原色」ならぬ「光の3原色」は「青」色発光ダイオードである。
もっと光を! 今年は日本におけるゲーテ年である。目フィストフェレスである。
3着馬の馬名「ロブ・ロイ」は、スコットランドの義賊
ロバート・マグレガーのあだ名「赤毛のロブ」である。
2着馬のお帽子のお色を支えた、わけである。
また、その馬主はつい1週間ほど前に死亡したが、
「ゼンリン」経営者の2代めである。言わずと知れた、
「別府温泉観光案内図」から始まった地図屋である。ともあれ、
カク地馬であるコスモバルク号が出走したからには、
安田記念馬券対象馬と前年東京優駿2着馬、が馬券対象、だったのである。
が、順番でミスってばっかりだった前期のG1戦、
最後は欲をかかずに3連複勝負で大正解であった。どうやら、
3着馬を誤ってトホホだった東京優駿の敗戦後の復興もかなったようである。
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