チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「ドビュッシーとトビダシ」

2005年08月22日 17時45分37秒 | 説くクラ音ばサラサーデまで(クラ音全般
8月22日はクロドゥ・ドゥビュスィの誕生日らしい。
チャイコフスキーとドビュッシーには、
「フォン・メック未亡人」という「共通項」があるのだが、もうひとつ、
「ヴァーグナー」という「新型ウィルス」に対する
「アンビヴァラント」な「抗体」を作り出したものどうし、でもある。
ヴァーグナーの唱える「宗教理念」にはともになじまなかったが、
その「経」の「テクニック」には、はなはだ感化されてるのである。
いっぽうで、この「3人」には「艶聞」というショッパぱいネタも多いのである。
ドビュッシーは「ペレアスとメリサンド」という、
レチタティーヴォだけで進行するオペラの原作者メーテルリンクと、
その初演のメリサンド役をめぐって決裂した。
メーテルリンクはドビュッシーに決闘を申しいれるのである。が、ドビュッシーは
杜歩歩ならぬ杜歩西なチキンちゃんであったため、メーテルリンクが家に
乗り込んできたとき、キッチンに逃げ込むと、女中を盾にしてワナワナと震え、
滑稽なほど取り乱したらしい。それに呆れたメーテルリンクがトビダシを収め、
事なきを得たそうである。また、ドビュッシーは若い頃から
ギャブリエル・デュポンなる女性と同棲してた。当然、同名の男性作曲家とは別人である。
その女性が若きドビュッシーの生活いっさいの面倒をみてた。ドビュっちゃんは、
ギャビーちゃんのヒモだったのである。が、ドビュっちゃんは突如、
ギャビーちゃんの友人ロサリー・テクシェ嬢と結婚すると告げるのである。
まったく手クシェが悪い野郎である。すると、ギャビーちゃんは
トビダシで我が身を撃ったのである。自殺をはかったくらいだから、もとより
デュポン社製の防弾チョッキは着てはなかったが、一命はとりとめた。
ところが、である。ドビュッシーはまもなくロサリー嬢を捨てるのである。
エンマ・バルダックという財産持ちでもある年上の女性といい仲になったのである。
作曲をお教えてた若者の母親である。きっと、
地獄で閻魔さまに舌を抜かれたはずである。が、それはともかくも、今度は
ドビュッシーの妻の座におさまってたロサリーがトビダシで我が身を撃ったのである。
しかも、撃ち込んだ箇所が強烈である。あてつけに、だったのか、
こともあろうに、自分の女性器をぶち抜いた、のである。
相当な情熱家ぶりである。ドビュッシーというのは口が悪いだけでなく、
あの顔のくせに、女性にはモテモテだったのである。もっとも、
以上の女性らは、残されてる写真をみるかぎり、
お世辞にも美人とはいえないレヴェルのご面相であるが。
こういう騒動きぃつけ教室の間に、日本のにおいがプンプンする「海」は初演されたとか。
さて、1889年のバリ万博でマルク・アンドレ・ガムランの演奏を聴いて衝撃を受けた、
ということになってるらしいが、現実は、
北斎の「神奈川沖波裏」を出版譜の表紙に使った「海」の第1章の主主題が、
♪【ラ>ソ>ミ・>レーーー】・ー<ミ<ソ・<ラ>ソ>ミ・<ソォッ<ラァッ♪
であるとおり、ドビュッシーといえばジャポニスムである。それは、
「君が代」の最後の小節、♪【ラー>ソ>ミ・>レーーー】♪
をさかんに自作に用イ譜したことでもわかる。まぁまぁ、
あホクサイなどと言わずに、読んでいただきたい。「海」より10年ほど前の
「『半銃身の午後』への前奏曲」でも、この「君が代」を
♪こー<けー・<のーーー|>むー<うー・>すー>うー|
【マー>ラ>ル・>メーーー】♪と歌ってるのである。
そのことはあとでまた触れる。さて、昨日は
亀・田興毅のボクシングの午後であったが、ドビュッシーの代表作といえば、
「『半獣神の午後』への前奏曲」である。
牧神または半獣神(faune:フォヌ)は、上半身が人間で下半身が獣、
という姿である。頭には八木アンテナ状の角を2本生やしてるらしい。
fauneはpan(パン)の子音交代である。
昼寝を邪魔されると怒り狂って羊を恐怖に陥れることからpanic、という
「パニック」の語源でもある。ウォール街やロンバート街、それに兜町は気をつけたい。
ナルシスやニンフといった少年少女が大好き、というアブないおっさんだが、
カルピスや妊婦が好き、というほどはマニアックではないらしい。
シュリンクスの化身である葦で笛を作り、それをコップの中の水に挿入して
ブク・ブクと吹くのが好きだった牧神であるからして当然のごとく、
ドビュッシーの「前奏曲」はフルート独奏で始まる。
ところで、この「前奏曲」の調性は「ホ長」なのだそうである。
たしかに、調号は4♯であり、終いはホ長の主和音で閉じられてる。
のであるが、なぜこのキーをドビュッシーが選んのだかを
すっきりと説明してくれる専門家はいない。
この「前奏曲」の中間に、
♪【ラー>ソ>ミ・>レーーー・ー】<ソ<ラ<ミ|>レ>シ<ド>ラ♪
というホ長のワキ主題が独奏オブワに吹かれる。やはり【君が代】が流れてる。さらに、
「メーム・ムヴモン・エ・トレ・ストゥニュ(おんなじ速度で、そして、
非常に格調高く……君が代であるからして当然である)」と指定されて確保される、
♪『ソーーー>ミー|>レーー>ドー>ミ』|
<<【ラーー>ソー>ミ|>レーー】>ドー>♭シ*♪
のであるが、ここに【君が代】を引用した意味を探ってみよう。
Japonaisジャポネ=日本人は黄色人種である。
ジョヌjaune(黄色)とフォヌfaune(半獣神)、
をかけたダジャレでなのである。いっぽう、ここではさらに『』部分に注目してみよう。
その調性(「変ニ長」)といい、音型といい、
チャイコフスキーの「1番pf協奏曲」主章序部の、
あの有名すぎる主題そのものである。
♪『ソ>ミ>レ|>ドー<<ミーー』>レ|<ファーー>ミ>シ<ド♪
美少年を追いかける半獣神とおんなじシュミのチャイコフスキーを重ねたのである。
おりしも、ドビュッシーがこの「前奏曲」を作曲してる時期に、
チャイコフスキーは死んだ。1893年のことである。ときに、
このpf協の主題は♪『ラー』<レーー<ミ|>『ラーー』<レ>シ>ラ♪
と、『ラ』を強拍で繰り返す、という『ラ強迫観念』にとりつかれた節である。
対して、ドビュッシーの「半獣神」の主題は、
「変ニ長」から「*変ハ音」を境目にそこから全音降りて「嬰ヘ短」に転調し、
♪『ドーー』>シー>ラ|<『ドーー』>シー>ラ|
 <<『ドーーー』>シ<ド>シ|>ラ……♪
と、「正真正銘」の『(本位の)ラ』を「強拍」するのである。
「trop d’hymen souhaite 
 de qui cherche le la」
マラ・ルメの詩は私のような低知能には難解すぎるので、
「破瓜に関して、あまりにも多くがイ音化傾向を望みすぎる。
 MgワイはただのHよりイオン化傾向が大きい」
と解してしまう。マラルメのこの詩は「牧神の妄想」というむきもあるが、一昨日、
8月20日は、「妄想ワルツ」を書いたヨーセフ・シュトラオスの誕生日であった。
それはともかく、浮世絵を見たドビュッシーは、
君が代日本人すべての弾性器を「ウタマロ」と思い込んでたにちがいない。
妄想である。が、それはどうでも、上記の一節が大事である。
つまり、「la」という階名が重要なのである。
(長)音階で「ラ」はドレミファソラ……「6」番めの音である。
フランス語で「6」は「six(スィス)」。それと、
「cis(スィス)」をダジャレたのである。
「cis」が第6音「ラ」になるのは「ホ長」である。そして、
この「前奏曲」を「6つ」の部分から構成したのである。
さて、「トレ・モデレ(きわめて控えめな速度で)」という
アセラン(assez lent)速度で始まる横笛の独奏節は、
「嬰ハ(cis)」から降りて「本位ト(g)」で下げどまる。
ついで現れる角笛は、『ホ(e)』から昇って『変ロ(b)』で上げとどまる。
この関係は一目瞭然、誰にでもわかりやすい。
どちらも、「『リード』が仕込んでない笛」である
横笛と角笛それぞれが、最遠隔音の関係であり、互い違いに、
『ホe』(<)「トg」(<)『変ロb』(<)「嬰ハcis」
という幻惑的な効果音響である「減7の和音」を振り分けてるのである。
いっぽう、なんの伴奏・和声もなく始まる「前奏曲」であるが、
♪ラ<シ<ミ・>ドー>ミ・<ソーー|ーソ<ラ♪のあとにやっと
初めて現れる和声が、
「ラcis」(<)「ドe」(<)「ミgis」(<)「♯ファb」
という「トリスタン・コード」なのである。これは、上記の
横笛*角笛の上限・下限の4音のうちのひとつだけが、
g→gisとなっただけのものである。さて、
この「前奏曲」の結尾部では「ふたつ」、【先人の牧童の笛】、
が響くのであるが、ドビュッシー研究専門家にしてセリー「作曲家」の
ジャン・バラケというのはそれにまったく気づいてなかったようである。
その程度の「感受性」で、作曲という、もっとも難しく崇高な営みの世界に
加わろうなどというのは、身のほど知らず、不届き至極である。
服毒の手引き本よりも職業選びの指針の副読本のほうが必要だった。さて、
そのひとつめ、
「前奏曲」の「第5部」で、シテ主題が「平行移動」させられて「横笛」で、
ついで、「半音下げ」られて「葦笛」で、「再現」されるときには、
♪ド<レ<ソ・>ミーーー>『ドー』|<♭ラー♪
であるので私のようなボンクラは気づかないが、
「前奏曲」終いから8小節め、独奏オブワが、
♪【ド<レ<ソ・>ミー>ソ・<♭シーー|(♭)ー】♭シ<ド・>ラーー♪
と突如ハ長に転じた節を吹く。これは、シテ主題の後半、
♪【ラ<シ<ミ・>ドー>ミ・<ソーー|ーソ<ラ・>♯ファー】♪、すなわち、
【嬰ハ<嬰ニ<嬰ト・>ホー>嬰ト・<ローー|ーロ<嬰ハ・>嬰イー】
が「嬰」をかなぐりすてて、その正体をついに現したものである。その正体とは、
ベルリオーズの「幻想交響曲」緩徐章の【牧童の笛】、
♪【○○ドーーー・<レッ○<ソーーー|>ミッ○>ソーーー・<ラーーーーー】♪
である。ハ長(「幻想」の主調)に転調しといてから、最後の「♭シ」を利用し、
ごく一時的に、「幻想」3楽章どおりの「ヘ長」に導いてる、のである。
もうひとつ、
終い3小節、第1横笛が、
♪ラーーーーー・<ドーーーーー|>ラーーーー>ミ・ミーーーーー|ー♪
と吹いて曲を閉じるのであるが、これはべつに、
♪ラ<(<シ<ミ>)ドー>(>ミ<ソーーーソ<)ラ……♪の簡略化などではない。
長化処理して、
♪ドーーーーー・<ミーーーーー|>ドーーーー>ソ・ソーーーーー|ー♪
それを、坩堝に注いで加熱して余分な音価を蒸発させれば、
♪ドーーー<ミー|>ドーーー>ソー♪
モーツァル神の「バスティヤンとバスティヤンヌ」の主題に戻る、のである。
「バスティアン」とは「コルシカ島」の港町の名であり、
「パリズィヤン」が「パリの若者」というのと同様、
「バスティアの男の子」という意味である。この「男の子」、
の彼女が「バスティヤンヌ(バスティアの娘ッ子)」であり、
カレの浮気を気に病んでる、という、かなりオマセなお話ではあるが、
この「バスティヤン」君は「少年」ながら、
立派に「仕事」をして家計を助けてるのである。
その「お仕事」とは【牧童】である。
♪【ドーーー<ミー|>ドーーー>ソー】♪
この主題を「コルシカ」つながりで「英雄交響曲」に引用した
ベートー神もハイリゲンシュタットで発砲自殺を考えしたし、
その甥カールは実際にトビダシの引き鉄を引いてしまった。が、発見されてから
八方手をつくされたおかげで一命をとりとめたのであった。
さて、ロサリーの自身股間発砲事件のあと、
ドビュっちゃんはエンマさまと再婚して、幸せに暮らしましたとさ、
といきたいとこだったのであるが、やがて直腸癌を患い、
不遇のうちに死んだそうである。この病にはシュシュの原因が考えれるが、
食生活が大きく関わってるそうである。
下の口からファイバー・スコウプを飲み込まされる前に、日頃、
上の口から繊維質を摂るように心がけるべきだそうである。
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