チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「ラ・テクニカ・デル・アラキリ・コン・フスィル(ヘミングウェイの流儀)」

2010年07月02日 01時13分37秒 | 事実は小説より日記なりや?
[la tecnica del harakiri con fusil]

私は10歳から16歳くらいまで、じつに
米映画好きな子供だった。自分にはない
甘いマスクのタイロン・パワーが好きだった。だから、
彼が主演した「日はまた昇る」にも興味を持った。もっとも、
小説も読みあさってた時期だったので、映画には関係なく、
ヘミングウェイの小説は「川を渡って木立の中へ」以外は
すべて読んでた。そして、
性根が腐ったスノッブが小難しい単語を使ったり
不必要に倒置したりして複雑にした言い回しのようには、
ヘミングウェイは文章を綴らない。通常の箇所なら、
マイク・タイスンと中田英寿の顔の区別がままならない拙脳なる私にも、
原文で読めてしまう。

"The Sun Also Rises"の第15章冒頭、
"At noon of Sunday, the 6th of July,
the fiesta exploded.
There is no other way to describe it."

祭は爆発だが、散弾銃は暴発ではなかった。

外科医の友人ホセ・ルイス・エレーラ・ソトロンゴの前で、生前、
ヘミングウェイは愛用のライフルの台尻を床に据えて、銃口を口に含んで、
足の指で引金を引いてみせ、
「これがライフルによるハラキリだよ」
と示してたとおりの方法で、
1961年7月2の朝、ヘミングウェイは自殺した。

ちなみに、
俳優田宮二郎は1978年の12月28日に一本松の自宅で、
He committed suicide by the Heming-WAY.

今年のSan Fermin祭は7月7日から14日までである。が、
世界のどの動物愛護団体からも止めろという声は出ないようである。
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