チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「メンデルの法則発表から150年、および、長塚節没後100年(『土』とオノマトペ)」

2015年02月08日 19時16分31秒 | 事実は小説より日記なりや?
現在のチェコ、モラヴィア地方のブルノのカトリック教会の司祭だった
(Gregor) Johann Mendel(グレゴアは修道士名、ヨーハン・メンデル、1822-1884)
がブルノの科学研究会でいわゆる「メンデルの法則」を発表してから
150年の日にあたる。現在の
遺伝学の祖となった研究成果である。
自説に都合のいいようなサンプルを採ったが
結果として正しかったことは、最先端の科学は
科学的根拠・裏付けや先例だけでは突破できず、
研究者の感に依るところが大きいことの一例である。

ある遺伝形質を優劣で分かてば、
減数分裂する生殖では
優優 優劣 劣優 劣劣
という組合せができる。このとき、
劣劣のみが他と異なる形質が現れることになる。
メンデルは自分の研究に都合がいいエンドウマメを素材とした。
私は崎陽軒のシウマイや町の来々軒のチャーハンに
グリーンピースがのっかってるのも非難はしないが、
某人種差別主義者で低能ながら悪質テロリスト集団は
遺伝子組み換えエンドウマメを目の敵にするかもしれない。

ちなみに、
MendelとはMenahem(メナヘム)と同義のユダヤ由来の名で、
「ユダヤ同胞を慰める者」
という意味である。
ヨーハン・メンデルは農家の倅だった。本日はまた、
短歌作者・小説家の
長塚節(ながつか・たかし、1879-1915)の
没後100年の日にあたる。長塚は
茨城県の農家に生まれた。
東京とその周辺県の建物は探訪してなかったが、
喉頭結核を治療してくれる医者・病院を
いくつも訪ね歩いた。

その唯一の長編小説「土」は、明治時代の
茨城の農家一家の日常を描いた作品である。
漱石が推挙して、まだ反日左翼売国メディアになる前の
朝日新聞に連載された。
タイトルからも想像できるとおり、
泥臭い文体で綴られてる。が、この「土」は
あまたのオノマトペがちりばめられた小説としても知られてる。
明治期の日本の貧農の話で
エンドウマメ(pea)は作られてないので、
こどもの我慢してたおしっこが勢いよくしゃあしゃあと飛んだ、
みたいな表現はもちろん出てこない。

冒頭の段落はこうである。

<烈しい西風が目に見えぬ大きな塊を【ごうつ】と打ちつけては
又【ごうつ】と打ちつけて皆痩こけた落葉木の林を一日苛め通した。
木の枝は時々【ひう/\】と悲痛の響を立てゝ泣いた。
短い冬の日はもう落ちかけて黄色な光を放射しつゝ目叩いた。
さうして西風はどうかすると【ぱつたり】止んで終つたかと思ふ程靜かになつた。
泥を拗切つて投げたやうな雲が不規則に林の上に凝然とひつゝいて居て
空はまだ騷がしいことを示して居る。
それで時々は思ひ出したやうに木の枝が【ざわ/″\】と鳴る。
世間が俄に心ぼそくなつた。>

そして、この小説の結びはこうである。

<「誠にどうもお内儀さん」
彼は財布を帶から解いて出した時酷く減つて畢つたやうに感じて、
其の財布を外から一寸見て首を傾けた。
彼は又財布の底の錢を攫み出して見た。
燒趾の灰から出て青銅のやうに變つた銅貨は
【ぽつ/\】と燒けた皮を殘して鮮かな地質が剥けて居た。
彼はそれを目に近づけて暫く凝然と見入つた。
彼は心づいた時俄に怖れたやうに内儀さんを顧つて
【じやらり】と其の錢を財布の底へ落した。>

冒頭は「風」を描写するオノマトペが重ねられ、
女房の死を予告してる。
結びでは火事で焼けてしまった住まいの焼け跡に残ってた
銅貨(銭)の焦げた状態とそれ他の銭とぶつかる金属音のオノマトペで
締めくくられ、この小説が終わる先も貧農勘次の
「貧しさ」が続くことを予告してるのである。
オノマトペは言語表現のプリミティヴな形態である。
「土」という小説に相応しいともいえる。
その泥臭い文体とオノマトペ多用もあいまって、この小説は
読みづらい。しかも、案外に長い。いずれにしても、
しいんと残像が続くような後味のする小説である。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「メンデルスゾーンの法則 ... | トップ | 「スケーターズ・ワルツとブ... »

コメントを投稿

事実は小説より日記なりや?」カテゴリの最新記事