チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「記憶のホタテマン(紋切り遊びとマドレーヌ)/プルースト『失われた時を求めて』第1部出版から100年」

2013年11月14日 23時25分38秒 | 事実は小説より日記なりや?
本日は、フランスの作家、
Marcel Proust(マルセル・プルスト、1871-1922)の
代表的長編、
"A la recherche du temps perdu
(ア・ラ・ルシェルシュ・デュ・トン・ペルデュ)
(邦題「失われた時を求めて」"の第1篇
"Du Cote de Chez Swann Ⅰ
(デュ・コート・ドゥ・シェ・スワンヌ・プレミエ)
(邦題)「スワン家のほうへ」の第1部
"Combray(コンブレ)"が
自費出版されて100年の日にあたる。
その第1章終わり近くで、
少年期に夏を過ごした、パリから西南約100kmの町
コンブレでの光景がたちまち脳裏に現れる。ちなみに、
私の少年期は半ズボンにハイソックス、白のタートルネック・セーターに
紺ブレを着てた。
耳鼻科に通ってたときに持ち歩いてた
メンデルスゾーンの「スコットランド交響曲」の
全音のポケットスコアの表紙の匂いで当時の記憶が蘇る。
それはともあれ、「失われた時を求めて」の
書き手の記憶を呼び覚ましたものは、
petite(プチット) madeleine(マドレヌ)である。が、
何かにプチッとキレたわけではない。ところで私は、
稼ぎと頭髪は少ないが、やることはいっぱいあって
夜中もマドロメヌのである。

"Et tout d'un coup le souvenir m'est apparu."
(エ・トゥ・ダン・ク・ル・スヴニア・メ・タパリュ。)
「(拙大意)すると、突然、記憶が蘇った」

"ma tante Leonie m'offrait apres l'avoir trempe
dans son infusion de the ou de tilleul."
(マ・トント・レオニ・モフレ・アプレ・ラヴワル・トロンペ・
ドン・ソン・アンフュズィオン・ドゥ・テ・ウ・ドゥ・ティヨル。)
「(拙大意)レオニおばさまがご自分のカップの紅茶とか
西洋菩提樹葉茶とかに浸してから手渡してくれた(マドレーヌ)」
である。カトリックの世界ではマドレーヌ=ホタテ貝は、
キリストの12使徒の一、聖ヤコブのお印で、フランスでは
"coquille Saint-Jacques(コキ・サン=ジャキ=聖ジャック貝)"である。

日本では武田系源氏の佐竹氏の家紋
「五本骨扇に月丸」の扇を開いた要部分が
ホタテ貝の貝殻に似てるので、
ホタテ貝のことを「秋田貝」とも呼ぶ。
(佐竹氏は関ヶ原で家康に楯突いたので
常陸から出羽久保田(現、秋田)に国替えされた)
私の家は父方が諏訪氏、母方の男系が武田源氏であるが、
私が産まれてからもまだ存命だった父方の祖母は
武士の孫だったので行儀にうるさかった。
幼い私が朝、パンをミルクにひたして食すると、
「行儀が悪い」
と注意された。ガキの頃から宵っ張りだった私は、
朝食が食道を通りにくいたちである。
中学以降は朝飯は食わない。ともあれ、
戦後に日本で大腸癌が増えたのは、私見では、
パン食習慣にあると思ってる。日本人が長年にわたって
粒状で米食(いわゆる、ご飯)を続けてきたのは、
日本人の経験的知恵によるもので、それが
消化時間を長くさせて血糖値上昇を
おだやかに上げることになるからである。だから、
「よく噛む」ことも大事である。どこぞの民族のように、
最初から食器の中でゴチャ混ぜにして匙で食らうのではなく、
口中調味によって味の塩梅を自然と調節するのである。さらに、
右手で箸を使い、左手では椀を持つ。
そうすることで姿勢よく食えるのである。

それはさておき、
プルーストによる第1章の結びはこう書かれてる。

"Et comme dans ce jeu ou les Japonais s'amusent a tremper dans un bol de porcelaine rempli d'eau de petits morceaux de papier jusque-la indistincts qui, a peine y sont-ils plonges s'etirent, se contournent, se colorent, se differencient, deviennent des fleurs, des maisons, des personnages consistants et reconnaissables, de meme maintenant toutes les fleurs de notre jardin et celles du parc de M. Swann, et les nympheas de la Vivonne, et les bonnes gens du village et leurs petits logis et l'eglise et tout Combray et ses environs, tout cela qui prend forme et solidite, est sorti, ville et jardins, de ma tasse de the."
(エ・コム・ドン・ス・ジュ・ウ・レ・ジャポネ・サミュゾン・ア・トロンペ・ドン・ザン・ボル・ドゥ・ポルスレヌ・ロンピ・ドゥー・ドゥ・プチ・モルソ・ドゥ・パピエ・ジュスク=ラ・アンディスタン・キ、ア・ペヌ・イ・・ソンチル・プロンジェ・セチロン、ス・コントゥルノン、ス・コロロン、ス・ディフェロンシオン、ドゥヴィエノン・デ・フロー、デ・メゾン、デ・ペルソナジュ・コンシストン・エ・ルコネサブル、ドゥ・メーム・マンドゥノン・トゥト・レ・フロー・ドゥ・ノトル・ジャルダン・エ・セル・デュ・パルク・ドゥ・ムシュ・スワヌ、エ・レ・ナンフィア・ドゥ・ラ・ヴィヴォヌ、エ・レ・ボヌ・ジョン・デュ・ヴィラジュ・エ・ロー・プチ・ロジ・エ・レグリズ・エ・トゥ・コンブレ・エ・セ・ゾンヴィロン、トゥ・スラ・キ・プロン・フォルム・エ・ソリディテ、エ・ソルティ、ヴィル・エ・ジャルダン、ドゥ・マ・タス・ドゥ・テ。)
「(拙大意)日本人がやってる遊びにこんなのがある……水でいっぱいになったガラス鉢にちっちゃい紙切れをいくつか浸す。すると、何だか判らなかったそれぞれの紙が水を吸ってたちまちに広がり、生き物のように動きまわり、色がついたように見えてきて、同じような紙切れだったそれぞれが他とは違ってくる。やがて草花や建造物や文字といった、それが何であるかはっきり判る形となるのだが……それと同じように、我が家の庭やスワンさんの屋敷の敷地の花という花、ヴィヴォンヌの川の睡蓮、善良な村人たちとそのみすぼらしい住まい、教会、そうしたコンブレの町と周囲のすべてが完全な形となって、建物から土地に至るまでが私が口にした一
杯の紅茶から抽出されたのである」

パリ万博かなんかで垣間見たのだろう。
プルーストはその「日本人の遊び」を生半可に認識してて
きちんとは把握してなかったとみえる。
これは、江戸時代、家紋の型を作るのに、
その細かい意匠をいちいち書いて型を取ってたら
きりがないから、あらかじめ「型」を作っといて、
それを使って衣装に染め抜いたのであるが、
その工程でも、家紋の対称性(すべてではないが)を利用して
紙を折ってから切れば作業の手間は半減するという
その職人の仕事がプチ芸術みたいになったのを
近所の子供たちに簡単なもの教えて遊びにしたもので、
「紋切り遊び」といわれてたものである。だから、
プルーストは書いてないが、まず最初に千代紙を折って、
そこにハサミを入れてあるのである。

知能が優れた者が残した古典文学(とくに小説)とは、そのように、
自分と異なる時代や世界の文化、知恵、できごと、人々、
などを知ることができる便覧である。だから私は、
自分が身をもって見知ることができる現在の
他人が書いた小説にはほとんど興味がない。
ゲイは美的感覚・感受性に秀でてることが多い。
プルーストは同性愛者だったらしいが、
女性器の暗喩でもあるマドレーヌ(それも、ひたした=濡れた)によって
まだ性を知らなかった少年期を鮮やかに蘇らせた、
ということにもなにやら意味がありそうである。私は、
ホタテ貝のあの腐敗臭に似たニオイとか、いわゆる磯の臭いに
淫靡で下卑たものを想起する。

(プルーストが相当に好きだったという
ベートーヴェン「弦楽四重奏曲第15番」(イ短調、作品132)
終楽章(第5楽章)部分(原曲は第4楽章からアタッカであるが)
(Allegro appassionato→Presto、3/4拍子、無調号→3♯)
を2台のピアノにアレンジしたものを
https://soundcloud.com/kamomenoiwao-1/beethoven-string-quartet-15
にアップしました)

ちなみに、
このベートーヴェンの「弦楽四重奏曲第15番」(イ短調、作品132)
終楽章の主要主題後半の動機、
♪【ミー・ー>シ<レ・>ド│>ラ】♪
は、「エリーゼのために」の主要主題の
♪ミ>♯レ│<ミ>♯レ・<【ミ、>シ・<レ>ド│>ラー・ー】♪
への固執の表象である。
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