["Death Valley", the old Yankee Stadium]
私はMLB(メイジャー・リーグ・ベイスボール)好きだが、
ポウストスィーズンはそれほど関心はない。
白河法皇は「賀茂河の水」「双六の賽」「山法師」
の3つだけはどうにもならないと嘆いたそうだが、
往々にして私の虫の好かないティームが
プレイオフを勝ち上がってしまうからである。
今スィーズンもまた、両リーグの優勝決定戦に進出してきた
4球団のうち、SF・ジャイアンツ以外の3つは嫌いなティームである。
好きな球団が出ないリーグ・チャンピオンシップやワールド・スィリーズなど、
たいして観る気にもならない。とはいえ、
生来の夜更かしである私は、日本時間の明け方や、
ちょうど起きかけの午前11時台にTVで中継をやってると、
チャンネルをあわせてしまうのである。
NY・ヤンキーズはディトロイト・タイガーズを本拠地に迎えて
2連敗した。だいたい、
ロビンスン・カノーだのマーク・テシェーラだのが3番4番を打つなんて、
ヤンキーズの価値も落ちたものである。それから、
一般には人気者でスーパースターなようだが、私には
デレク・ジーターやアレックス・ロドリゲスもまた
大嫌いなバッティングをする選手らである。
一昔前のバーニー・ウィリアムズのセンスのない振りかたも嫌いだった。
古くはジョウ・ディマージオのバッティング・フォームも御免だった。
なにより私は(フィルムでしか観たことはないが)
ベイブ・ルースの打ちかたが大好きである。
あのスウィングを観ただけで涙が出てくる。また、
幼い頃にわずかに観ることができたミッキー・マントルもまた
私が熱中した選手だった。それから、
在籍期間はそれほど長くなかったが、
ストライクゾウンが低かった(ベルトと膝の間)時分の選手だった
レジー・ジャクスンのバッティングはまた、
ルースの時代とは別の美しさがあった。
「ルースが建てた家」と呼ばれた旧ヤンキー・ステイディアムは、
1923年に開場し、85年半後の2008年に閉場した。
この球場は閉場時にも、
左翼ポウルまでが約97m
左中間フェンズでが約122m
センター奥までが約124m
右中間フェンズでが約117m
右翼ポウルまでが約96m
というイビツな形をしてた。が、
開場時にはさらにもっと「メリハリ」の効いた形だった。
左右ポウルまではもっと短く、対して
センター奥は150m以上あった。その後、
1937年、1976年、1985年、1988年に
各外野までのフェンスの位置は変更されたのである。これは、
ヤンキーズのクリーナップ
左打ちルース(1920-1935)/左打ちゲーリッグ(1923-1937)
右打ちディマジオ(1936-1951)
両打ちマントル(1951-1968)
左打ちマーサー(1969-1974)/両打ちホワイト(1965-1979)(ヤンキーズ低迷期)
左打ちジャクスン(1977-1981)
右打ちウィンフィールド(1981-1990)/左打ちマッティングリ(1982-1995*)
(*マッティングリは実質1990年以降は役立たず)
の事情が大きく反映してるのである。とくに、
左中間フェンズでは長らく約139mだった。これは
"Death Valley(デス・ヴァリー=死の谷間)"と呼ばれてた。つまり、
フィールドは海原はるかの髪の毛の「1:9分け」のように
左中間が膨張するようなでっぱったイビツな形をしてたのである。
それを、
低迷期を経て1976年に約130mに短縮し、それが功を奏したのか
1970年代後半に復活したのち、
右の強打者デイヴ・ウィンフィールドをサン=ディエーイゴウ・パードレイズから
獲得したものの、期待はずれだったために
左中間フェンズでを約125mに狭めたのである。が、
ウィンフィールドが役立たずで、1988年にFAで鳴り物入りでやってきた
右打ちジャック・クラークがまたパッとせず、
第二次低迷期に入ってしまう。今期、
弱小ボーティモウ・オウリオウルズをワイルド・カードとはいえ
ディヴィジョナル・プレイオフにまで進めたあの無愛想な
バック・ショウウォルターが1990年代半ばに立て直して
それを引き継いだジョウ・トーリーの元で復活する。
旧ステイディアムもその"晩年"はこのようにしてだいぶ
"おとなしい"形に改変されてたものの、
私のような"old fan"にとっては、
故パンチョ伊東の言葉を借りれば、
「左中間が139mなんて、尋常の沙汰ではないでしょ?
どうです、メジャーリーグっておもしろいでしょう?」
今のヤンキー・ステイディアムは、右中間も左中間も特段に
差はないのである。が、
ジーターとロドリゲスの控えとして縛ろうとして
中島に拒否された意趣返しか、
ヤンキーズ球団はイチローに
スィーズン中はずっと下位打線を打たせ、
衰えた松井にも守らせた左翼を守らせる、
という屈辱を与え続けてきた。ヤンキーズ移籍後、
イチローの成績は実際、良かったのにである。白人の
ベイブ・ルースをグラウンドの整備員で使うようなものである。
ダイガーズとの第1戦、(延長)12回表で
右翼手のスウィッシャーはヤングが放った簡単な飛球を捕球できず、
決勝点を与えてしまった。
イチローに右翼を守らせてたらどうだったか。
相田みつをとせんだみつおの区別がとっさにはつかない
拙脳なる私の感想である。でも、
三つ子の魂百までもだっていいじゃないか、人間だもの。。。
ナハっ、ナハっ、ナハっ!
私はMLB(メイジャー・リーグ・ベイスボール)好きだが、
ポウストスィーズンはそれほど関心はない。
白河法皇は「賀茂河の水」「双六の賽」「山法師」
の3つだけはどうにもならないと嘆いたそうだが、
往々にして私の虫の好かないティームが
プレイオフを勝ち上がってしまうからである。
今スィーズンもまた、両リーグの優勝決定戦に進出してきた
4球団のうち、SF・ジャイアンツ以外の3つは嫌いなティームである。
好きな球団が出ないリーグ・チャンピオンシップやワールド・スィリーズなど、
たいして観る気にもならない。とはいえ、
生来の夜更かしである私は、日本時間の明け方や、
ちょうど起きかけの午前11時台にTVで中継をやってると、
チャンネルをあわせてしまうのである。
NY・ヤンキーズはディトロイト・タイガーズを本拠地に迎えて
2連敗した。だいたい、
ロビンスン・カノーだのマーク・テシェーラだのが3番4番を打つなんて、
ヤンキーズの価値も落ちたものである。それから、
一般には人気者でスーパースターなようだが、私には
デレク・ジーターやアレックス・ロドリゲスもまた
大嫌いなバッティングをする選手らである。
一昔前のバーニー・ウィリアムズのセンスのない振りかたも嫌いだった。
古くはジョウ・ディマージオのバッティング・フォームも御免だった。
なにより私は(フィルムでしか観たことはないが)
ベイブ・ルースの打ちかたが大好きである。
あのスウィングを観ただけで涙が出てくる。また、
幼い頃にわずかに観ることができたミッキー・マントルもまた
私が熱中した選手だった。それから、
在籍期間はそれほど長くなかったが、
ストライクゾウンが低かった(ベルトと膝の間)時分の選手だった
レジー・ジャクスンのバッティングはまた、
ルースの時代とは別の美しさがあった。
「ルースが建てた家」と呼ばれた旧ヤンキー・ステイディアムは、
1923年に開場し、85年半後の2008年に閉場した。
この球場は閉場時にも、
左翼ポウルまでが約97m
左中間フェンズでが約122m
センター奥までが約124m
右中間フェンズでが約117m
右翼ポウルまでが約96m
というイビツな形をしてた。が、
開場時にはさらにもっと「メリハリ」の効いた形だった。
左右ポウルまではもっと短く、対して
センター奥は150m以上あった。その後、
1937年、1976年、1985年、1988年に
各外野までのフェンスの位置は変更されたのである。これは、
ヤンキーズのクリーナップ
左打ちルース(1920-1935)/左打ちゲーリッグ(1923-1937)
右打ちディマジオ(1936-1951)
両打ちマントル(1951-1968)
左打ちマーサー(1969-1974)/両打ちホワイト(1965-1979)(ヤンキーズ低迷期)
左打ちジャクスン(1977-1981)
右打ちウィンフィールド(1981-1990)/左打ちマッティングリ(1982-1995*)
(*マッティングリは実質1990年以降は役立たず)
の事情が大きく反映してるのである。とくに、
左中間フェンズでは長らく約139mだった。これは
"Death Valley(デス・ヴァリー=死の谷間)"と呼ばれてた。つまり、
フィールドは海原はるかの髪の毛の「1:9分け」のように
左中間が膨張するようなでっぱったイビツな形をしてたのである。
それを、
低迷期を経て1976年に約130mに短縮し、それが功を奏したのか
1970年代後半に復活したのち、
右の強打者デイヴ・ウィンフィールドをサン=ディエーイゴウ・パードレイズから
獲得したものの、期待はずれだったために
左中間フェンズでを約125mに狭めたのである。が、
ウィンフィールドが役立たずで、1988年にFAで鳴り物入りでやってきた
右打ちジャック・クラークがまたパッとせず、
第二次低迷期に入ってしまう。今期、
弱小ボーティモウ・オウリオウルズをワイルド・カードとはいえ
ディヴィジョナル・プレイオフにまで進めたあの無愛想な
バック・ショウウォルターが1990年代半ばに立て直して
それを引き継いだジョウ・トーリーの元で復活する。
旧ステイディアムもその"晩年"はこのようにしてだいぶ
"おとなしい"形に改変されてたものの、
私のような"old fan"にとっては、
故パンチョ伊東の言葉を借りれば、
「左中間が139mなんて、尋常の沙汰ではないでしょ?
どうです、メジャーリーグっておもしろいでしょう?」
今のヤンキー・ステイディアムは、右中間も左中間も特段に
差はないのである。が、
ジーターとロドリゲスの控えとして縛ろうとして
中島に拒否された意趣返しか、
ヤンキーズ球団はイチローに
スィーズン中はずっと下位打線を打たせ、
衰えた松井にも守らせた左翼を守らせる、
という屈辱を与え続けてきた。ヤンキーズ移籍後、
イチローの成績は実際、良かったのにである。白人の
ベイブ・ルースをグラウンドの整備員で使うようなものである。
ダイガーズとの第1戦、(延長)12回表で
右翼手のスウィッシャーはヤングが放った簡単な飛球を捕球できず、
決勝点を与えてしまった。
イチローに右翼を守らせてたらどうだったか。
相田みつをとせんだみつおの区別がとっさにはつかない
拙脳なる私の感想である。でも、
三つ子の魂百までもだっていいじゃないか、人間だもの。。。
ナハっ、ナハっ、ナハっ!
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