マーラー アダージェット
辰野金吾(たつの・きんご、西暦およそ1854-1919)が設計した
東京駅丸の内駅舎保存復元工事が今月1日に完成したのだそうである。
あの粗雑で安っぽかった「東京ステーションホテル」も立派に様変わりしたらしい。
横長なレンガ積みの前には三菱村が広がる。
関西方面へは今では品川駅を使うし、
北海道と九州は飛行機、
東北・信越は車、な私が東京駅に行くことはまずない。が、
東京駅丸の内中央口の真正面である和田倉門前は
車ではよく通る。三菱村のビルヂングの谷間に駅舎が見える。
辰野金吾は幕末時に唐津藩主だった小笠原家の
下級武士姫松家に生まれた(維新後に叔父辰野宗安の養子となる)。
三菱創業者の岩崎家も小笠原家も、
甲斐源氏武田氏の分かれ(岩崎弥太郎のほうは自称だが)であり、
同じく「三階菱」が家紋である。
辰野金吾の墓はいわゆる西新宿の常圓寺にある。
「三階」の東京駅や日銀、奈良ホテルといった低層建築を残した
辰野の墓の眼前には、新宿副都心の高層ビル群が聳えてる。
JR東日本のTVCM
(貶日非国民吉永小百合が画面を濁してるversionでないほう)では、
Gustav Mahler(グスタフ・マーラー、1860-1911)の
「交響曲第5番」(第4楽章)、いわゆる
「アダージェット」がBGMに使われてる。この楽章は、
1971年制作のヴィスコンティの映画「ベニスに死す」で使われて一躍、
一般に少しく知られるようになった。それまで、
マーラーの音楽なんて、著作権で保護されてたこともあって、
「巨人」以外は一部のコアなファンしか聴いてなかったのである。
私がガキの頃は、「交響曲第4番」などは
「大いなる喜びへの賛歌」と普通に称されてたほどである。
"Meine Zeit wird erst kommen"
(マイネ・ツァイト・ヴィアト・エアスト・コメン=やがて私の時代がやってくる)
とマーラーは言ったとかいわなかったとかだが、
「もういいかい?」
と問うても当時は、
「マーラーだよ!」
という答えが返ってくるだけだった。
ともあれ、
この「アダージェット」は、音楽に尋常には正対することができず、
ややもすると、滑稽で・グロテスクな・ギスギスした曲想に逃げてしまう
強迫観念症のマーラーの音楽としては異例な、
普遍性を備えた出来映えの傑作である。
結婚したての、ほぼ20歳年下のアルマを思って作られたという。
アルマは芸術の才があるブサイク男好みな"多気症"だったから、
それでなくても強迫性障害のひどいマーラーにとっては、
ここにいないこの瞬間にでも他の男との逢瀬を楽しんでるのでは
アルマいかと、ハラハラ・ドキドキものの"妻"だった。
この「アダージェット」という呼称は、
アルマが写譜の際に書き足したとも言われてる。
九段下とグランスタを聞き分けれないほど
拙脳なる私にその真偽はわからない。が、
ビゼーが作曲した劇付随音楽"L'Arlesienne(ラルレズィエンヌ=アルルの女)"で、
老バルタザルがルノー婆さんと再会して若き日を懐かしんで語らう場面に流れる
同じくヘ長調・弦楽合奏の「アダージェット」を念頭にマーラーが作曲し、
作曲家志望だったアルマもその意図を認知してたことは確かである。
Almaという名はラテン語の"alere(アレレ=食い物を与える、養う、扶養する)"
という動詞が語源である。食い物を与えられれば、
それまで飢えで弱ってた体も、
あれれ!? たちまち元気になるという現金なものである。食い物を摂取すれば
人は生きられる。つまり、近代までの一般的な概念として、
生きてる=呼吸する、ということから、almaは
"anima"と同意となり、それが、現在のラテン語系の言葉では、(動くもと=)
「精神」という意味で使われるようになった。16世紀テューダー朝英国の詩人
エドマンド・スペンサーの長詩"妖精の女王"の中の乙女の名として使われ、
19世紀のドイツ語圏で流行った名前である。
シントラーのリストにこの名が載ってたかどうかは、
マーラーとスピルバーグの眼鏡のフレイムの区別がつかない
拙脳なる私は知らない。ともあれ、
アルマからの誠実な愛を確認したい脅迫観念でか、
アルマに寄っかかってたい願望でか、
曲は倚音(イオン)だらけで、
エキナカにジャスコが一店建ってしまいそうなほどである。
CMで使われてるのは第23小節からの、
♪ソーーー・ーーーー・・ソーーー・ーー>ファー│
ファーーー・>ミーーー・・ーー<ファー・<ソー<ラー│
<シーーー・ーーーー・・ーー<ドー・>ソー>ミー│
ミーーー・レーーー・・ーーーー>♯ドー<レー│
>(ラ)<【ラーーー・ーー】>ミー・・ミー<ファー・>(ラ)<<【シーーー│
ーー】>ラー・>ソー>♯レー・・<ドーーー・ーー>ソー│
>ファー>ミー・(ミ)<レー>ドー・・>♯ソー>ミー・>レー>ドー│
>♭シー>♭ラー・>ファー>♭レー・・<(ド<ミ)<<『ミーーー・ーーーー│
ーーーー・ーーーー・・ーー』>ドー・>ソー>ミー│
<♭ラー>ソー・>ファー>ソー・<『『レーーー・ーーーー│
ーーーー』』・>「ドーーー・・ーーーー」……♪
という部分である。
通常の15秒ヴァージョンではかなりカット処理されてるが、
第27小節の【】の箇所では、
[fis-es-a-d]、そして、もう一度、それを全体的に全音ずつあげた
[gis-f-h-e]……減三和音に短9度という不協和音を
偏執的に繰り返す。とはいえ、
これが「哀切感」をこのうえもなく醸し出して実にいいのである。
ppのここからクレッシェンドしてって、
第30小節第2拍でffになって『a』が4拍半も引き伸ばされる。
この「a」は「alma」の頭文字である。そして、
チェロ→vnセコンド→チェロ→ヴィオーラと主和音の分散をちりばめ、
やっとオクターヴ下の『『g』』に舞い降りるのである。
この「g」も引き伸ばされるが、言うまでもなく
「gustav」の頭文字である。それから、
vnプリーモから断絶されてvnセコンドが
主音の「f」を引き継がされるのである。「f」は
「Familie(ファミーリエ=家族)」の頭文字である。が、
この音には"Griffbrett(グリフブレット=指板)"という
指示が附されてる。つまり、
旧来のイタリア語表記で"sul tasto(スル・タスト)"
ヴァイオリンのあの黒檀の指板の上の弦のところで弓を擦れ、
というのである。当然、
ソット・ヴォーチェな柔な音になる。
アルマとの間にできた長女も加えて幸せな家庭を築きたい、
などという夢みたいな思いを込めてたのである。だから、
ただ、「ミ>レ>ド」と下るカデンツに、
これだけの手間を掛けてるのである。
翌年に生まれる次女は永らえることにはなるが、
この「アダージェット」を作曲した頃に生まれた長女は夭逝し、
不誠実なアルマとの仲もギクシャクして、
マーラーは極度の神経症となるのである。
心臓に難を抱えるマーラーの暗い、救いのない
近い未来を暗示してるかのようである。だが、
そんな痛ましいおももちも、音楽としては
じつに感動的なものとなってるのだから皮肉である。
マーラーの父親はユダヤ人で商売っ気が旺盛だった。
現在のチェコで、酒の販売許可を取得して、
各種酒類の醸造権・蒸留権も持つようになった。いっぽう、
同年代の作曲家・指揮者リヒャルト・シュトラウスは母親がミュンヒェンの
6大ビール醸造業者
Augustiner(アオグスティーナー、創業1328年)、
Paulaner(パオラーナー、1634年に修道院の酒蔵として誕生)、
Spaten-Franziskaner(シュパーテン=創業1397年、フランツィスカーナー=創業1363年)、
Loewenbraeu(レーヴェンブロイ、創業1383年、日本でアサヒビールが販売)、
Hacker-Pschorr(ハッカー=プショール、創業1417年、現在はPaulaner傘下)、
Hofbraeuhaus(ホーフブロイハオス、創業1589年)、
のひとつであるハッカー=プショール(当時はプショール)のプショール家の娘だった。
マーラーの家とは規模が違ってた。お坊ちゃんである
シュトラウスの作品は優美で感傷に満ちてて、それはそれで心地好いが、
「メタモーフォーセン」でも、この「アダージェット」の極みには、はるかに及ばない。
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