チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「チャイコフスキー『1812年』のソナタ部第2主題/破棄したオペラの二重唱からの転用」

2011年08月28日 20時54分27秒 | 戦勝&大聖堂奉献式祝いに(イワイニ)1812年

チャイコフスキー 1812年


数日前の新聞に、
横浜市にある神奈川県立高校の地理歴史科の女性教諭が
日本史の授業で生徒にハングルを教えていたことに対して、
県教委が教育内容として不適切でありこうした授業をしないよう
学校側を指導したという記事が載ってた。また、この教諭が
"関東大震災のさいに起きた朝鮮人虐殺現場見学ツアー"を企画して
生徒に参加を募っていたことも判明したという。
こうやって反日教育を無垢な生徒に施そうとする動きは
以前から日常的にあったことである。が、昨今、
真っ当な記載がなされてるらしい育鵬社版公民教科書を採択する
自治体が増えそうになってる傾向を危惧した
反日貶日思想教職員の輩が企てたもののひとつなのだろう。
この女性教諭の申し開きによれば、
<<日朝貿易に関連して、輸入品の木綿についてハングルの発音の
 モクミョンが日本語と似ていることを教えたところ、
 生徒が関心を示した。韓流のドラマなどもはやっていた>>
とのことである。噴飯ものである。日本が独立させてあげるまで
中国の属国だった朝鮮が漢語を採り入れたのは当然で、
この"ハングルの発音"とされてる"モク・ミョン"は漢語の
"木綿(ムー・ミエン)"の朝鮮訛りである。いっぽう、
優れたものは謙虚に認める日本では中国の属国でなくても
その秀逸なる漢字文化を採り入れてた。我が国の
綿の音読みのひとつであるメンは呉音という日本訛りであり、
木綿は古くは"モク・メン"と発音してたのである。ともあれ、
「木綿」に関して朝鮮語と日本語が似てる、のではなく、
ともに漢語由来の語ゆえ、互いも音が似てるというだけのことである。
そんなことも理解できてない知的レヴェルのくせに、余計なことに
時間をかけ労力を費やすという愚かな活動に精を出す。ちなみに、
この邪心だけは旺盛な左翼先生がない知恵を搾って企画した校外活動ツアーは、
「参加希望者ゼロ」だったために実現しなかったらしい。どうやら、
生徒のほうは至極真っ当だったようである。

チャイコフスキーの「1812年」は、
A=ラールゴ、3/4、3♭、「ロシア正教聖歌」
B=アンダーンテ、4/4、3♭、「進軍ラッパ」
C=アッレーグロ・ジュストのソナータ、4/4、6♭
 第1主題
 推移部挿入=「ラ・マルセイエーズ」
 第2主題=破棄したオペラ「地方長官」の二重唱
 第3主題=ロシア民謡「門の前で」
A´=ラールゴ、3/4、3♭、「ロシア正教聖歌」
B´=アッレーグロ・ヴィヴァーチェ、4/4、3♭、
   「進軍ラッパ」「ロシア帝国国家」
という構成になってる。

このC部「ソナータ形式」の第2主題は、
チャイコフスキー初期(1867-68年作曲)のオペラ
"Воевода(ヴォィヴォーダ=地方長官)"(op.03)
(3幕4場)の2幕終わり近くで歌われる、
Марья Власьевна(マーリヤ・ヴラースィイヴナ=ソプラーノ)と
Олёна(アリョーナ=メッゾ・ソプラーノ)による二重唱の節の
再利用である。

第2幕第2場(第8曲)[Allegro、2/2拍子、1♯(ト長調)]
(マーリヤ) ***♪●│●●・●●・・●●・●●│●●・●●・・●●・●レ│
(アリョーナ)***♪ド│<ソー・ーソ・・ソ>ファ・>ミ>レ│<ソー・ソー・・ソー・●●│

<ソー・ーソ・・ソ>ファ・>ミ>レ│<ソー・ソー・・ソー・●●│
●●・●●・・●●・●●│●●・●●・・●●・ソー│

●●・●●・・●●・●●│●●・●●・・●●・ソー│
<ラー・<ドー・・<レー・<ミ<ファ│<ソー・ーー・・ーー・>ファー│

<ラー・<ドー・・>シー・>ラ>ソ│<ドー・ーー・・●●・●●│
>ミー・ミー・・>レー・レー│>ドー・ーー・・●●・>ソー│

●●・●●・・●●・●●│●●・●●・・●●・ソー│
<ラー・<ドー・・<レー・<ミ<ファ│<ソー・ーー・・ーー・>ファー│

<ラー・<ドー・・>シー・>ラ>ソ│<ドー・ーー・・●●・●●│
>ミー・ミー・・>レー・レー│>ドー・ーー・・●●・(このドをシと置換して、変イ長調)シー│

●●・●●・・●●・●●│●●・●●・・ファー・ーー│
<ドー・>シー・・シー・>ラー│ラー・<シー・・シー・<ドー│

>ミー・<ソー・・ソー・>ファー│ファ>ミ・<ラ>ソ・・>レー・●●│
ドー・ーー・・>シー・ーー│<ドー・>ラー・・<シー・>ソー│

●●・●●・・●●・●●│●●・●●・・ファー・ーー│
<ドー・>シー・・シー・>ラー│ラー・<シー・・シー・<ドー│

>ミー・<ソー・・ソー・>ファー│ファ>ミ・<ラ>ソ・・>レー・ーレ│
ドー・ーー・・>シー・ーー│<ドー・>ラー・・<シー・ー>ソ│

<ミ(このミをラと置換して、変ホ長調)ー・ーー・・ーー・ラー│ラー・ーー・・ーー・ーー│
<ド(このドをファと置換して、変ホ長調)ー・ーー・・ーー・ファー│ファー・ーー・・ーー・ーー│

ーー・●●・・●●・●>ド│<ソー・ーソ・・ソ>ファ・>ミ>レ│
ーー・●●・・●●・●●│●●・●●・・●●・>ソー│

<ソー・ーー・・ーー・●>レ│<ソー・ーソ・・ソ>ファ・>ミ>レ│
<ラー・<♯ラー・・<シー・<ファー│>ミー・ーー・・>レー、・>ソー│

<ソー・ーー・・ーー・ソー│ソー・ーー・・ーー・ーー│
<ラー・<♯ラー・・<シー、・>ソー│<ラー・<ドー・・<レー・<ミ<ファ│

ーー・<ラー・・<シー・、>ソー│<ラー・<ドー・・>シー・>ラ>ソ│
<ソー・ーー・・ーー、・>ファー│>ミー・ミー・・>レー・レー│

<ドー・ーー・・●●・(このドをシと置換してホ長調)シー│
<ミー・ーー・・●●・(ホ長調に転調)>レー│

<ドー・>シー、・・シー・>ラー、│ラー・<シー、・・シー・<ドー、│
>ドー・ーー・・<レー・ーー│<ミー・ーー・・>レー・ーー│

ドー・>ソー、・・ソー・>ファー、│ファ>ミ・<ラ>ソ、・・(ヘ長調に転調)>ファー・<ソー│
>ドー・ーー・・>シー・ーー│<ドー・ーー・・ドー・(このドをシと置換してヘ長調)・シー│

<ドー・>シー、・・シー・>ラー、│ラー・<シー・・<ドー、・(ト長調に転調)<シー│
<ドー・ーー・・<レー・ーー│<ミー・>レー・・<ソー、・(ト長調に転調)>レー│

<ドー・>シー、・・シー・>ラー、│ラー・<シー・・<ドー、●●│
>ドー・ーー・・<レー・ーー│<ミー・>レー・・>ドー、●●│

●●・●●・・●●・●●│●●・●●・・●●・●●│
●●・●●・・●●・●●│●●・●●・・●●・●●│

●●・●●・・●●・●●│●●・●●・・●●・●>ド│
●●・●●・・●●・●●│●●・●●・・●●・●●│

<ソー・ーソ・・ソ>ファ・>ミ>レ│<ソー・ーー・・ーー・●>レ│
●●・●●・・●●・>ソー│<ラー・<♯ラー・・<シー、<ファー│

<ソー・ーソ・・ソ>ファ・>ミ>レ│<ソー・ーー・・ーー、・ソー│
>ミー・ーー・・>レー、>ソー│<ラー・<♯ラー・・<シー、>ソー│

ソー・ーー・・ーー・ーー│ーー、<ラー・・<シー、・>ソー│
<ラー・<ドー・・<レー・<ミ<ファ│<ソー・ーー・・ーー、>ファー

<ラー・<ドー・・>シー>ラ>ソ│<ドー・ーー・・●●、・>ソー│
>ミー・ミー・・>レー・レー│<ミー・ーー・・●●、・>ソー│

ソー・ーー・・ーー・ーー│ーー、<ドー・・>ソー、・>ソー│
<ラー・<ドー・・<レー・<ミ<ファ│<ソー・ーー・・ーー、>ファー

<ラー・<ドー・・>シー>ラ>ソ│<ドー・ーー・・●●(ドをミと置換して変ホ長調)、・>ミー│
>ミー・ミー・・>レー・レー│>ドー・ーー・・●●(ドをミと置換して変ホ長調)、・>ドー│

<ファー・ーー・・<♯ファー・ーー│<ソー・ーー・・<♯ソー・ーー(これをミと置換してト長調)│
ドー・ーー・・<レー・ーー│レー・ーー・<ミー・ーー(これをドと置換してト長調)│

<ファー・>ミー・・>レー・<ミー│<ファー・<♯ファー・・<ソー・<ラー│
ドー・ドー・・ドー・ドー│ドー・<♯レー・・<ミー・>ドー│

>ミー・ーー・・>♯レー・ーー│<ミー・ーー・・>♯レー・ーー│
ドー・ーー・・>♯ファー・ーー│<ドー・ーー・・>♯ファー・ーー│

●●・●●・・●●・●●│●●・●●・・<ドー・ーー│
●●・●●・・●●・●●│●●・●●・・●●・<♯レー│

>シー・ーー・・<ミー・>♭シー│>ラー・ーー・・<♭シー・ーー│
<ラー・>♯ソー・・>Nソー・ーー│ソー・ーー・・ーー・>♯ドー│

>ラー・ーー・・<レー・>♭ラー│>ソー・ーー・・>♯ファー・ーー│
<ファー・<♯ファー・・>Nファー・ーー│ファー・>ミー・・ーー>♭ミー│

>(N)ファー・ーー・・>ミー・ーー│>レー・ーー・・ーー・>ドー│
<(N)ミー・>レー・・ーー・>ドー│●●・>ファー・・>レー、・<ミー│

>シー・ーー・・>ラー・●●│<ファー・ーー・・ーー・>ミー│
<ファー・<ソー・・<♭ラー・ーー│●●・♭ラー・・>ファー、・<ソー│

>レー・ーー・・ーー・●●│●●・●●・・<ミー・ーー│
<♭ラー・<♭シー・・<Nシー・ーー│●●・●●・・<ドー・ーー│

<ファー・ーー・・<シー・ーー│シ(tr)ー・ーー・・ーー・ーー│
<レー・ーー・・>ファー・ーー│<♭ラー・ーー・<♭ラー・>ファー│

ーー・ーー・・ーー・ーー│ーー・ーー・・ーー・ーー│
>レー・>シー・・>♭ラー・ーー│>ソー・ーー・・ーー・ーー│

ーー・ーー・・ーー・ーー(>ラ<シ)│<ドー・ーー・・ーー・ーー│
>ファー・ーー・・ーー・ーー│>ミー・ーー・・ーー・ーー│

ーー・ーー・・●●・●●♪
ーー・ーー・・●●・●●♪

"сердечного(スィルヂェーシナヴァ=心優しい) дружка(ドルーシカ=友)"
とか、
"милого(ミーラヴァ=愛しい) дружка"
とか言い合う、マーリヤ・ヴラースィィヴァとアリョーナの再会の場面である。
これを転用したのであるから、単純には、
戦場で、生き残った友同士が再会した感慨を詠ってると推量できる。
いずれにしても、
2分の2拍子でアッレーグロというテンポ指定であるから、
かなり速い歌である。転用先でも
4分の4拍子ながらアッレーグロ・ジュストのリステッソ・テンポ(同じテンポで)なので、
この箇所でテンポを落として演奏させる指揮者は
まったくの心得違いをしてると思っていい。
作曲者の指示がないのに恣意的にテンポを落とす指揮者には、もとより
「拍感」「律動感」が備わってないのである。というより、
そんな指揮者ばかりである。
真っ当な指揮者は皆無なのである。
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