チャイコフスキー 1812年
浜崎あゆみ女史、倖田來未女史、大塚愛女史、などの関西での
"コンサート"が、新型インフルの流行の兆しをうけて、
エイヴィックス・ヴェポラッブでは対処できないという判断で、
中止されることになったそうである。
大塚愛というよりは池袋愛、巣鴨愛、
赤坂小町よりもプリプリなおねえさんが好きな私であるが、
古今集に収録され百人一首にも採られてる、
小野小町の作と言われてる和歌に、
「鼻の水は、うつりにけりな。
いたづらに、わが身タミフル、ながめせしまに」
というものがある。小町女史は、
「フル」と「降る」と「経る」、「長雨」と「眺め」
という掛詞を配してるいっぱしの和歌テクニシャンである。いっぽう、
オウ、ノウ!のコマッヂった輩がいる。時事通信によれば、
<5月11日から18日まで、国連の関係機関が主催する
国際会議に出席するため、同級生5人らとともに、
ニューヨークに滞在していた
川崎市高津区の洗足学園の2年に在籍する
八王子在住の女子高生が新型インフルを発症した>
そうである。帰国の機内で発熱してた由。
国連などという、日本やドイツなどを
敵国条項で未だに敵国としてるものが主催する会議に、
世界を担うほどの頭脳でもないだろうに、こんな時期に、
学期中にもかかわらずおめおめと出かけてった
お目出度い輩である。そんなのが、
ウィルスをもらってきて日本にバラマク役を担うのである。
ナポレオンはロシアに侵略しようと目論んで失敗したが、
新型インフルは、自粛、という言葉を知らない
思慮に足りないむきを大陸間弾道弾として
運搬させることに成功した。この
「新型インフル」はたいしたことがないようだが、
一事が万事、バンバンジー。新型トリインフルは、おそらく、
こんな手ぬるいもんではない。そんなときでも、
自分だけの権益を優先する輩は、
他人様のための検疫などしったこっちゃなく、
平気な神経で海外渡航することだろう。それにしても、
ウィルスとはてめぇ一人では増殖もできず、大脳ももたない身ながら、
よそ様の細胞を利用するたいした「頭脳」である。ところで、
「イエズス会」によるカトリック世界制覇日本植民地化の先兵たる
宣教師阻止、以外に、徳川幕府が
鎖国政策を採った理由のひとつに、「梅毒」がある。
黒田孝高、加藤清正、浅野幸長、
などの死因だとされてる。梅毒はウィルスではないが、
家康が次男の(結城)秀康を疎んじたのは、秀康が
先天性梅毒に罹患してハッチンスン歯様を呈してたためではないかと、
私は考えてる。後年の家康の「後家好き」は、熟女マニアという
本能に根ざすものというより、病気持ちでない確証を得やすい、
という理由だったのだろう。いずれにしても、
女子高生などの「濃厚接触者」になりたくなかったことは
明白である。ともあれ、
ウィルスの感染経路というのは、ウィルスの体内での増殖過程と
まったくおなじフラクタル構造である。すなわち、簡単にいえば、
ウィルスに感染した細胞内で増殖したウィルスは、その細胞から
大量放出されて他の細胞に巻き散らかされ、
さらにウィルスを増殖させるのである。発生地帯から、
各地にばら撒かれてく経路とソックリである。ちなみに、
この過程で、その「増殖」「放出行為」を可能にする
ノイラミニダーゼの働きを阻害するのが、
「リレンザ」や「タミフル」である。
「薬くそ商売」という言葉があるように、薬は儲かる。
グラクソ・スミスクライン社やロシュ社など、
ガメツイ英国やスイスの製薬会社は丸儲けである。ともあれ、
タミフルの成分はシキミ酸から精製されるのだが、仏前に供える
「シキミ」から発覚も八角も発見もされたものである。
クスリだからもちろんリスクがある。薬と毒とは紙一重。
シキミの実には猛神経毒のアニサチンが含まれてるのである。
「悪しき実」→アシキミ→シキミ、である。
ヴィオーラ2棹+チェロ4棹=計6棹ソリによって奏される
「タミフルよ、おバカなツアー痢をまもりたまえ」という
ロシア正教の聖歌で始められたチャイコフスキーの
「1812年」の冒頭A部ラールゴは、
23小節めから、変ホ長調の平行調ハ短調で、
木管群の合いの手が入る。
ここらへんの弦ソリとのやりとりは、
じつに感動的である。やりとりはクレッシェンドされ、
ついに第34小節でソリから弦楽合奏になる。
弦楽合奏がハ短調の属和音をトレモロで分散させる向こうで、
木管群(+ホルン4管)は、
***♪●●・【ファー>ミー│ーー・ミー・ミー】│>ラ♪
という【嘆息音型】を属7の和声で強奏する。そして、
独奏オーボエが、ハ短調で、
***♪●●・【ファー・ー>、ミ】│>ラ、<シ・<ド>シ・、ラ>ファ│>ミ♪
という節を吹く。2小節前の木管群の【嘆息音型】は、
この「露払い」だったことが解る。さて、
このオーボエのソロには、
"piangendo(ピアンジェンド) e(エ) molto(モルト) espr.(エスプレッスィーヴォ)"
という指示がなされてる。ノッチと山口良一の区別もおばまつかない、否、
おぼつかない拙脳なる私にはイタリア語の意味が解るはずもないが、
e(エ)=and、molto(モルト)=much espr.(エスプレッスィーヴォ)=expressively、
みたいな意味であることは言うまでもない。それより、
piangendo(ピアンジェンド)である。これは、
動詞piangere(ピアンジェレ=泣き嘆く)の
gerundio(ジェルンディオ=この場合は、動詞が副詞化したもの、
とでもとりあえずは思っといていただきたい)、つまり、
「泣き嘆くように」である。したがって、
この♪【ファ>ミ】♪=嘆息音型によるオーボエのソロによって、
(主の、聖母の)「嘆き」が初めて歌われてしかるべきなのである。
一部思慮に足りないむきが解説してるようには、冒頭の
「ロシア正教の聖歌」が「民の嘆きを表してる」、
というわけではない。また、チャイコフスキーの作品に多様されてる
「ファ」で始まる主題のうちの♪【ファ>ミ】♪=嘆息音型が、
「いやいや作った」という言葉を鵜呑みにするむきも多い
この「1812年」に使われてる、というのもなんとも不思議だ、とは、
大砲は実弾がいい、大鵬の45連勝大鵬の45連勝白鵬の30連勝よりがいい、
とんかつは目黒の大宝より恵比寿のウスギリミルフィーユな安っぽいキムカツがいい、
なんていうむきには思いもよらないことなのだろう。いずれにせよ、
この「ラールゴ」部の【嘆息音型】は、あとに出てくる
「ソナータ部」の主要主題の「前触れ」なのである。
****♪ファー│<【ファーーー・ー>ミ】>レ<ミ・・>レ>ド>シ>ラ・♯ソー♪
ときに、NHKに勤務してる合コン仲間の話だと、最近、
「世界ふれあい街歩き」が"静かな人気番組"だという。つまり、
放送形態・放送時間帯の割には視聴率がいいのである。
その音楽を担当してる村井秀清なる人物は、
この【嘆息音型】を本来の意図からは大きく方向変換して、
****♪【ファ│>ミーー】>ソ・ーー●<【ファ│>ミーー】>ラ・ーーー●│
●<シー<ド・<レ<ファーー│>ミーーーー・ーー●♪
と、「おだやか」で「大衆受け」しそうな曲想にしてる。ただ、
この♪『ファ│>ミーー>ソ』♪という動機は、チャイコフスキーの
「眠れる森の美女」の(第3幕)第24曲「パ・ド・カラクテール」、
「ル・シャ・ボテ・エ・ラ・シャト・ブランシュ(ブーツを履いたオス猫と白いメス猫)」の
****♪●●●『ファ・>ミーーー・>ソーーー』♪
という動機が「頭に残って」て、それが時を経て
「自作」として「放出」したもの、だと思われる。いずれにせよ、
「猫」は「大衆受け」するネタなようである。まぁ、
「世界」と「ふれあう」のもほどほどにしとくのが得策である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます