下総国佐倉12万石堀田家の中屋敷があったあたり周辺、
いわゆる西麻布・広尾は私の地元なので、
芸能人や著名人にはしょっちゅう遭遇する。
外人もいっぱいいるが、
"What time is it now?"
...(今何時かと訊かれても)ホッタ芋いじるな...
と尋ねられたことは一度もない。ともあれ、
女優の森光子(1920年-2012)女史が、10日夕に、その
佐倉藩と深い関わりがある順天堂大病院で死んでたらしい。
私がガキの頃の森光子女史といえば、
「天国の父ちゃんこんにちは」で
「こんちはー、パンツ屋でーすっ」と叫んでるか、
「時間ですよ」で
「いらっしゃいましぃー」
と番台に坐ってるか、だった。
近年では、東山紀之との交友と、
「放浪記」の舞台での高齢での
「でんぐり返し」
で世に知られてた。
晩年はパーキンスン病を患ってたので、
体が震えたり、ときとして認知症のような言動が見られ、
でんぐり返しへのドクター・ストップがかかった。ときに、
「でんぐり返し」とは
「手繰り返し」の音変化である。
手を床に置き、床を手繰り寄せるようにして
体を返すからである。
森光子女史は、現在の
京都市中京区木屋町で、旅館の娘として生まれた。
御池通りを木屋町通りに沿って上がったあたり、
鴨川と高瀬運河の挟間である。幕末維新時には、
松代藩出身の佐久間象山、そして
長州藩出身の村田蔵六(大村益次郎)がそれぞれ
別の時期に襲撃された場所である。また、
長州藩の桂小五郎(木戸孝允)が芸妓の幾松(後の妻松子)と
同棲してた家もすぐ近くである。今夕、
フジTVの「秋の4大ぶらり旅SP」では、
「すき焼き」の「モリタ屋」が紹介されてたが、そこは
森光子女史の生家跡から数百m木屋町通りを
下ったとこにある。ともあれ、
森光子女史は尋常小学校を出て間もなく両親が死に、
宿もつぶれ、従兄弟のアラカンの家の御厄介になったという。
戦時中は芸能人として満州や南方の各戦地で慰問に回った。
ちなみに、
南方への豪華客船には職業慰安婦も同船してたと森女史は
回想してる。
上記「でんぐり返し」の「放浪記」の役を得たのは、
戦後もだいぶ経った41歳のときだった。それから、
およそ半世紀。3年前の最後の公演では
通算2000回を超えた。世の中には
ただ長く続けることに価値を見いだされることもある。
が、森光子女史の場合はそれ以上に、
自ら手繰り寄せ、裏返した後半生の栄光だったのである。
TBSっ子だった同女史がもし、
「おかみさん、チューボーですよ」
なんていう番組に出演してたとしたら、その評価は、
「もり、みっっっっっつデスっ!」
だったに相違ない。
いわゆる西麻布・広尾は私の地元なので、
芸能人や著名人にはしょっちゅう遭遇する。
外人もいっぱいいるが、
"What time is it now?"
...(今何時かと訊かれても)ホッタ芋いじるな...
と尋ねられたことは一度もない。ともあれ、
女優の森光子(1920年-2012)女史が、10日夕に、その
佐倉藩と深い関わりがある順天堂大病院で死んでたらしい。
私がガキの頃の森光子女史といえば、
「天国の父ちゃんこんにちは」で
「こんちはー、パンツ屋でーすっ」と叫んでるか、
「時間ですよ」で
「いらっしゃいましぃー」
と番台に坐ってるか、だった。
近年では、東山紀之との交友と、
「放浪記」の舞台での高齢での
「でんぐり返し」
で世に知られてた。
晩年はパーキンスン病を患ってたので、
体が震えたり、ときとして認知症のような言動が見られ、
でんぐり返しへのドクター・ストップがかかった。ときに、
「でんぐり返し」とは
「手繰り返し」の音変化である。
手を床に置き、床を手繰り寄せるようにして
体を返すからである。
森光子女史は、現在の
京都市中京区木屋町で、旅館の娘として生まれた。
御池通りを木屋町通りに沿って上がったあたり、
鴨川と高瀬運河の挟間である。幕末維新時には、
松代藩出身の佐久間象山、そして
長州藩出身の村田蔵六(大村益次郎)がそれぞれ
別の時期に襲撃された場所である。また、
長州藩の桂小五郎(木戸孝允)が芸妓の幾松(後の妻松子)と
同棲してた家もすぐ近くである。今夕、
フジTVの「秋の4大ぶらり旅SP」では、
「すき焼き」の「モリタ屋」が紹介されてたが、そこは
森光子女史の生家跡から数百m木屋町通りを
下ったとこにある。ともあれ、
森光子女史は尋常小学校を出て間もなく両親が死に、
宿もつぶれ、従兄弟のアラカンの家の御厄介になったという。
戦時中は芸能人として満州や南方の各戦地で慰問に回った。
ちなみに、
南方への豪華客船には職業慰安婦も同船してたと森女史は
回想してる。
上記「でんぐり返し」の「放浪記」の役を得たのは、
戦後もだいぶ経った41歳のときだった。それから、
およそ半世紀。3年前の最後の公演では
通算2000回を超えた。世の中には
ただ長く続けることに価値を見いだされることもある。
が、森光子女史の場合はそれ以上に、
自ら手繰り寄せ、裏返した後半生の栄光だったのである。
TBSっ子だった同女史がもし、
「おかみさん、チューボーですよ」
なんていう番組に出演してたとしたら、その評価は、
「もり、みっっっっっつデスっ!」
だったに相違ない。
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