ダヴィッド ホラティウス兄弟の誓い
[Le Serment des Horaces/Jacques Louis David]
ルーヴルに所蔵されてるダヴィドの絵のひとつに、1784年にローマで描かれた
「ホラティウス兄弟の誓い(Le Serment des Horaces=ル・セルモン・デ・オハス*)」
というものがある。
(*)フランス語の"r"の発音は、キモオヤジが
"痰を吐く"ときに出す、「ル」と「フ」が混ざり合って
「カラカラカラ」みたいになった薄汚い音に近い。
"不潔が売り物""不潔にして免疫力を高めて生き残る"
フランス人に相応しい音である。
このHoratiusは詩人ではない。トロイ戦争に負けた
トロイの王家が落ちのびた先がイタリア半島であり、
現地の王族と血縁になったとされる。そこが、
アルバ・ロンガである。そして、紀元前8世紀、
異端の双子ロームルス&レームス兄弟による脱アルバ・ロンガでローマは築かれた、
とされてる。それから約1世紀、
旧アルバと闘争を繰り返してた新ローマが、
その紛争に終止符を打つべく提案された3対3の決闘の代表に選ばれた
ホラティウス家の三兄弟、という話の主人公一家のことである。ただし、
史実というわけではなく、真実のような作り話かもしれないし、
ホラのような本当の話かもしれない。いずれにせよ、
シェイクスピアの「ハムレット」王子の友人も、提督ネルスンも、
CSIマイアミでデイヴィド・カルーソウが演じる役のHoratio(ホレイショウ)も、
このホラティウス家の家名がモトになってる。
ともあれ、
3対3の決闘はからくもホラティウス兄弟の一人が生き残り、
ローマの勝利となる。が、死ぬことになるホラティウス兄弟のひとりが
敵兄弟の妹と結婚してるのである。ダヴィドの絵の
三人の女性の真ん中の女性である。そして、
三人の女性のうちの左、青いマントを被ってる 兄弟妹の母親が抱擁してるのが、
ホラティウス家の息子と敵方の兄弟の妹との間に生まれた子である。また、
それだけでなく、三人の女性のうちの右、兄嫁の肩にもたれかかってるのが、
ホラティウス家の兄弟の妹であり、敵方の兄弟の一人と婚約してるのである。そして、
このホラティウス兄弟の妹は敵方の婚約者の死を嘆いてローマという(都市)国家を罵る。
それを聞いた生き残りの兄は憤り妹を殺害してしまうのである。当初、
ダヴィドはその場面を描こうとしたという。
自分が殺害した妹の遺体が横たわる傍らで戦闘で生き残った兄は剣を振り上げる、
という絵である。が、
「公的義務は個人的感傷に優先する」
という立場のダヴィドは場面を考え直した。
ちなみに、
人の国の領土・領海を侵犯しといて
海保の監視船の横に体当たりしても、
そっちが悪いと言い、犯罪者を英雄扱いする、
という神経は、孔子の教えそのものである。
孔子は説く。
「葉公語孔子曰 吾党有直躬者 其父攘羊 而子証之
孔子曰 吾党之直者異於是 父為子隠 子為父隠 直在其中矣」
(葉公、孔子に語りて曰く、吾が党に直躬なる者有り。
その父、羊を攘(盗)みて、子これを証す。
孔子曰く、吾が党の直き者は是れに異なり。
父は子の為に隠し、子は父の為に隠す。
直きことそのうちに在り)
[拙大意]
葉公(ショウコウ)=楚の葉県(ショウケン)の長官、沈諸梁(シン・ショリョウ)が
孔子に語ったことには、
「わが国には正直者がおります。その者の父親が羊を盗んだのですが、
その子は父親の罪を暴きました」
と。すると、孔子はこう言ったのです。
「わが国の正直者はそうではありません。
父は子のために罪を隠し、子は父のために罪を隠してやります。
正直とはそうした肉親を庇い合う気持ちの中にあるものことをいうのです」
孔子の理屈は己の「修身斉家治国平天下」というスロウガンに
合わないことを排除する詭弁である。さすがは、
「もっとも効率的な稼ぎ=元手がほとんどかからない盗み」
という理屈を実行して平気なお国柄なのである。
ときに、
いくら喚き散らかされたからといって理不尽にも妹を殺してしまい、
裁判にかけられ己を弁明して無罪を勝ち取った息子に、
父は3本の鎗で作った首枷装着させたという。
普通に通れば首を曲げなければぶつかってしまう家の扉で、
必ず跪いて悔恨させるようにするためだったと言われる。
国家から敵対国との決闘の戦士に選ばれたときには、
正義を為すために家族より国家を優先させた父やその息子兄弟は、
サンデルではなくサンダルを履いてた。
ルイ16世によって引き立てられ、この絵や、やはり
「息子たちの不忠を許さず国家に忠誠を示すブルータス」を描いた
"Les licteurs rapportent a Brutus les corps de ses fils (1789)"
(ブルータス邸に息子たちの遺骸を運ぶ警士たち)
などを発注してもらった大恩がありながら、
同王が逮捕され、裁判にかけられると、
死刑票を投じたダヴィドである。が、
絵は抜群に巧く絵のセンスはきわめて素晴らしい。
最終スィーズンのDVDレンタルが開始された
ジャック・バウアーに問うてみるまでもない。
正義なんて、その人その人によって異なる。
同じ人間でも立場が変わったり、時間がたったりしても、
その場その場で正義も変わる。
異なる意見を出し合っても意味はない。
「相手の立場になって」などというのは偽善もしくは
処世術にすぎないのである。
親を売ったほうが世間から賞賛され自分の立場が守れる場合もあれば、
親を匿ったほうが自己の利益に繋がる場合もあるのである。なにより、
「勝った者」「生き残った者」こそが「正義」なのである。
さて、
この絵の背景の構図はいたって単純である。
うしろに建物の柱が二つ建ち、それらは
「平行」「水平」に描かれてる。そして、
床のタイルも横方向にはほぼ水平に描かれてる。つまり、
この絵は真正面からビシャッと捉えてるのである。が、
画面向かって左側から射す日の影が斜めにかかり、
立ち姿の男性群が画面向かって左に収められ、対して、
座してる女性群が右にまとめられてるので、あたかも
画面左から右の消失点(実際にはないが)に向かって
収束してくがごとくに錯覚してしまう。
人格はともかく、ダヴィドの絵のセンスは
まったくもって素晴らしい。ちなみに、
目玉だけではない父親の右足のふくらはぎに浮かぶ血管は、
血管フェチだというゲゲゲの女房役
松下奈緒女史を満足させるものだろうか。
ゲゲゲの女房といえば、
水木しげるはあまりの貧乏で奥さんに骨を
折らす
ようなこともあったようである。そういえば、
松下奈緒女史は"ピアニスト"であるのみならず、
"作曲家"でもあるらしい。同女史は、
セリフ附きの演技もすれば、
作曲という言葉のない音楽創作もするというのである。
フランスの近代作曲家にArthur Honegger
(アルテュル・オネゲル、1892-1955)というのがいた。同人の作品に、
"Horace victorieux, symphonie mimee"
(オラス・ヴィクトリュ=勝ち誇れるホラティウス、サンフォニ・ミメ=黙劇交響曲)
というものがある。が、残念ながら、
音楽としてはどうというほどのものでもない。
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