チャイコフスキー 1812年
基準値を超える殺虫剤成分が四月以来検出されてた
エチオピア産のモカコーヒー豆が、いよいよ
実質的な全面輸入禁止になるようである。私は
「苦くない、高くない、香りがいい」という酸味一体な
頭がはっキリストふコーヒーが好きで、がぶがぶ飲み続けてきた。
それでも死ななかったから、まんざら私も
虫けらでもなかったみたいである。もっとも、
clubケイバの夏のtvCMに出てくる列車内の少年の顔と、
レッドソックスの松坂投手の顔の区別もできない拙脳な私であるから、
エチオピアものならなんでも口にすれば
「オモロ~~~!」と叫んでしまうほど味スアベバ音痴である。ちなみに、
エチオピアではキリスト教とイスラム教が
ほぼ半々で信仰されてるらしい。それはともかくも、
1812年乃至1813年といえば、ヨーロッパじゅうに侵攻してた
ナポレオンによる第一帝政のフランスが各地で敗戦を重ね、
帝国崩壊に向かい始めた頃である。我が国では
文化9年乃至文化10年にほぼあたる。
日本領である北方領土を勝手に測量してたロシア船の船長ゴローヴニンを
松前奉行が捕えたことへの報復として、
高田屋嘉兵衛が国後島沖でロシア艦船に拿捕され、結果、
ゴローヴニンと人質交換してた頃のことである。また、
文化10年6月に、日本橋横山町で死んだ者が
「蕎麦にあたった」ことが死因だとされ、
「蕎麦を食すと死ぬ」という流言が飛び、
蕎麦屋が閑古鳥になる、というできごとがあったらしい。おそらく、
蕎麦アレルギーであろう。20年前に、札幌の小学校で
給食で出た蕎麦を食べた生徒がショック症状をきたして死亡した、
という事故があったが、そのときもまだ食物アレルギーに対する
一般認識が薄く、担任はアレルギーがあることを知ってながら
食べるのをやめさせなかったし、当人も
自分のアレルギーに対する危険度を甘くみてたから
小学校6年にもなって自制できなかったのである。ときに、
週刊新潮によれば、
「東京で第2の『グリコ・森永事件』が起きている」
のだそうである。6月28日、荒川区南千住の
「イトーヨーカ堂三ノ輪店」で、20代後半と思しき色白の女性が、
エバラ食品の「屋台のやきとりのたれ」を、「これ、おかしい」と
店員に差しだした、とか。見た目には目立つとこはなかったが、
「毒入り危険」というシールが底に貼られてたという。実際、
「グリホサート(グリコサートではないが)」という
殺虫剤成分が検出され、3日後に某新聞社に不審な電話があり、
6日後に某放送局の報道関連部署に不審な封書が送られてきたという。
もともとヨーカ堂は北朝鮮と親密であり、北朝鮮への送金機関だった
足利銀行を通じて「20億円のシジミ代」を送金してた金アサリ業者である。
加藤紘一を選出する山形3区や山崎拓を受からせる福岡2区の選挙民らの
ごりっぱな良識よりもはるかにたいした愛国心である。さて、
ビトリア(vitoria)はフランス国境に近いバスクの町であるが、
ここで1813年6月に行われた戦闘で、フランス軍は
ウェリントン侯爵(当時)率いる英国スペイン連合軍に大敗する。ちなみに、
vitoriaは「ポルトガル語」では「勝利」を表す語である。これによって、
フランスによるスペイン支配は終わったのである。そして、
ライプツィヒでの諸国民戦争にも大敗し、パリも陥落されたナポレオンは、
「『皇帝を辞めさせればことは収マルモンです。
あんたと焼肉のタレ、イランはもう』とあなたの部下も申しております」
と国際会議では諸国代表の前でめめしく泣いてみせることも厭わない
外相によって退位を余儀なくされるのである。この、ウェリントン侯による
ビトリアの戦勝にゴマをすってひと儲けしようと目論んだのが、
「met」ronomeを改良して特許を取得したメルツェルである。
そして、ベートーヴェンに作曲を依頼したのが、
交響曲「ウェリントンの勝利またはビトリアの戦い(ヴェリンクトンス・
ズィーク・オーダー・ディ・シュラッハト・バイ・ヴィットリア)」である。
これはソナータ形式ではないので、「交響曲」という名の「非交響曲」である。
この「第1部」で、英国軍の鼓笛のあと、「ルール・ブリタニア」が奏される。
**♪ドーーー・ドーード│ド<レ<ミ<ファ・<ソッ●、>ドッ●│
<レーーレ・レー<ミ<ファ│ファッ●>ミッ●、●●**♪
「変ホ長調」である。対して、仏国軍の鼓笛のあとに奏される
「マールボロ将軍は戦争に行く(マルブル・ソン・ヴァトン・ゲール)
……別名:無敵将軍マールボロの死と葬列
(モール・エ・コンヴワ・ドゥ・アンヴァンスィブル・マルブル)」
はハ長調である。この作品において、ベートーヴェンは英国軍、つまり、
ウェリントンを「英雄調」である「変ホ長調」としたのである。ちなみに、
この作品の「第1部の「戦闘シーン」においては、
フランス軍およびイギリス軍の大砲の音がそれぞれ鳴らされるのであるが、
最後はイギリス軍のものしか聞こえてこなくなる、という仕儀である。
話がそれるが、
ベートーヴェンはこの「交響曲」の9年ほど前に完成された
「英雄交響曲」において、「変ホ長調」は、
コルシカ島が舞台のモーツァルトの「バスティアンとバスティエンヌ」の
序曲の主題を第1楽章の主要主題に「引用」し、この交響曲が
「ナポレオン」である(あった)ことを示した。そして、
終楽章に旧作のバレエ「プロメーテウスの創造物」の終曲の主題を充てた。
ちなみに、この間にも、pf曲「(通称)エロイカ変奏曲」として扱ってる。が、
それはともかく、すでに、緩徐楽章を「葬送行進曲」としてるのは、
ナポレオンが「戦死」という「英雄的な死」を迎えると「予想」したからである。
そして、「神格化」したのが終楽章の「プロメーテウス」なのである。
これらは「変ホ長調」(とその平行調のハ短調)である。
「プロメーテウス」の創造物とは、「人類」もしくは
「(人類に与えられた)『火』という知恵・文明」である。
prometheus(ギリシア文字をラテン文字で代用)のproは
「前に」を意味する接頭辞であり、metheus(知恵を有するもの)は
mathematics(学習されたもの)やmethod(道を進むこと)
と同源であり、「経験によって得られた知恵」ということができる。
met(a)-という接頭辞は多義に広がってるが、
「変化」を表す。学習すれば「無知→習得」ということである。ちなみに、
methとは、生きてたものが変化したものである「死」を表すのである。また、
メトロノームのメトロであるが、「学習」するためには
「尺度」「方法」が必要なのである。
話を戻すと、
1804年時点で「英雄交響曲」においてナポレオンを
「英雄調」の「変ホ長調」としてたベートーヴェンは、
1813年にはウェリントン侯爵のほうを
「英雄調」の「変ホ長調」としたのである。いっぽう、
チャイコフスキーが依嘱でイヤイヤ書いた、とされてる序曲「1812年」は、
第1部=ラールゴ(ロシア正教の聖歌「主よ、汝の民を救い給え」
ちなみに、後年、この旋律を引用したのが
リーロイ・アンダースンの
「スィンコペイティド・クロック」である。
フランス軍の侵攻ペイトによって生活を乱されるロシアの民。
そこからアンダースンは「刻時の乱れ」
というインスピレイションを得た)
第2部=アンダーンテ(バッハのカンタータ第140番「目覚めよと我らに呼ばわる
物見らの声」の第4曲「『四音(ソドレミ)』は物見らが
歌うを聴き」(変ホ長調)の引用である。ちなみに、
このカンタータは「三位一体の祝日後第27日曜日のための」
カンタータという副題が附されてる。「三位一体の祝日」は
ナポレオン軍によるロシア軍追討が始まった頃であり、
それから27週でフランス軍はロシアから駆逐された、
という史実を暗示してるのである。この音型は、
「フランチェースカ・ダ・リーミニ」の
終結部に入る箇所でも引用された。また、
ロッスィーニの「グッリェルモ・テル」の
「スイス軍の行進曲」も同曲の「引用」である)
第3部=アッレーグロ・ジュスト(ソナータ:主要主題=ファで始まるチャイコ主題、
対主題=自作オペラ「地方長官」の女声デュエット)
第4部=ラールゴ(第1部の再現)
第5部=アッレーグロ・ヴィヴァーチェ(第2部の再現)
という5部構成になってる。第3部が同主調の「変ホ短調」である以外は、
「変ホ長調」なのである。つまり、
「対ナポレオン」=「変ホ長調」
という「ウェリントンの戦勝」調をチャイコフスキーは踏襲したのである。ちなみに、
リヒャルト・シュトラオスの「アイン・ヘルデン・レーベン」は
「変ホ長調」ではあるが、「対ナポレオン」ではなく、ただ、
「英雄」という一つのキーワードだけで揃えた、あまり意味のない踏襲である。
リヒャルト・シュトラオスは、ただただ
センティメンタルな曲想に秀でた凡人である。そして、その主な作品がすべて
♪「ソ<ド<レ<ミ」♪という「四音」音型を主要主題の主要動機にしてる、
という点で、特異な存在である、というだけのことである。それらはどうでも、
1814年4月、ナポレオンは帝位を失い、「エルバ島」に左遷させられた。
それから約200年後、毎夜マイヨル鬱の症状にさいなまれてたダイヴァーが、
エルバ島の自宅で首を吊って果てた。少年の頃、
唐津の海で素潜りを覚えたジャック・マイヨールである。
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