チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「ラジオたんぱ米式お岩い馬券術/ジャパンカップ(東京)」

2007年11月25日 20時12分06秒 | ケイ・バー(馬券の皮を剥いじゃうわよン
今年の11月23日の勤労感謝の日は、二の酉なことだった。
麻布十番の十番稲荷前で開かれるささやかな酉の市に出かけた。
二の酉→二酉→ニトリ→お値段異常、というくらい、
大根が100円だった(家具は売ってなかったが)。それはさておき、
11月25日は、一説には、弘治3年の同日(1557年にあたる)、
毛利元就が毛利隆元・吉川元春・小早川隆景の倅3人に
競馬に勝つための14箇条の遺訓(三子教訓状)を記した、
とかそうでないとか。これを我々エセ歴史研究屋は、長男の名をとって、
「タカモト式馬券術」と呼んでることである。それはともかく、
「毛利」といえば、旧防衛庁→現六本木ミッドタウンとなってる場所が
その江戸下屋敷のひとつがあったとこである。ちなみに、
現在の防衛省があるとこは旧市谷陸自駐屯地だったのであり、
三島由紀夫が切腹→斬首で果てた地である。ともあれ、毛利家上屋敷は
現在の日比谷公園、「祝」田橋の交差点あたりなことである。
「祝(イワ・イ)」からは「違和」感→「岩」勘があることであるが、
今回もキーワードのひとつは「岩=石→米」となろう。ところで、
11月25日は「ハイヴィジョンの日」なことだそうである。
旧郵政省が制定した由。「走査線」上に浮かぶのは、
「電波」というキーワードなことである。はるか遠く四国の
「こうち」のお隣愛媛県の宇和島市で
乗用車が坂から転落して2人が死んだ、という
ニュースも報道の電波で東京まで伝播することである。さて、
岩村選手が所属するメイジャー・リーグの球団本拠地は
気候が温暖で、男は冬でも
「タンパ」ンで過ごすのが普通だとかそうでないとか。
旧ラジオ「たんぱ」(現ラジオNIKKEI)の社屋が
「米」国大使館の麓にあることを我々
エセ株式市況番組リスナーはつきとめ、溜池のきわを
「たんぱベイ」と呼んでることである。ときに、
ジャパンカップ(ターフ)当日のゲストは、
「米(ベイ)」スボール・プレイアーの
「岩」村明憲選手だったことである。同選手は
ナイキとアドヴァイザリー契約を結んでる由。なるほど、
「NIKE→NIKKEI→たんぱ→Tampa」
ということなのである。さて、レイスでは
「ニケ」たのではなく「ニゲ」たのが横山典弘騎手だったことである。
同騎手は3年前の春の天皇賞をイングランディーレ号でニゲ切った。
検量室前で同騎手を真っ先に向かえたのは、同号を管理する
清水美波調教師ではなく松田博資調教師だったことである。
今年、かねてからその騎乗方を嫌ってたとされる松田調教師が
武豊騎手を乗せなくなったことである。同師に有力馬を預けてる
近藤氏の馬(アドマイヤオーラ号、アドマイヤムーン号など)は
「岩」田騎手に乗り換えられることになったことである。奇しくも、
ニゲたチョウサン号を管理する清水利章調教師は、
清水美波調教師の兄なことである。さて、
「ラジオ『たんぱ』杯2歳ステークス」は、
昨年末開催から「ラジオNIKKEI杯2歳ステークス」に
名称変更されたことである。いっぽう、前日の
「ジャパンカップダート」を勝ったヴァーミリアン号は、
2004年の「ラジオ『たんぱ』杯」の勝ち馬だったことである。
2003年の同競走勝ち馬は「コスモバルク」号。
2005年の同競走の2着馬は「アドマイヤムーン」号。
『タンパ』競走の連体馬が揃った2枠は「鉄板」だったことである。
(1着)2枠4番「アドマイヤムーン」号
    (「岩」田騎手/松田博厩舎)
同馬に勝ったサクラメガワンダー号は、
「ジャパンカップ」の「裏側」京都競馬のメイン競走
「アンドロメダ・ステークス」に「1枠」で出走してたことである。
(2着)1枠2番ポップ「ロック(rock)」号
    (ペリエ騎手/角居厩舎)
いっぽう、「ラジオたんぱ杯」でダートの勝ち馬
ヴァーミリアン号の2着に敗れたローゼンクロイツ号が入り、
「ラジオNIKKEI杯」に変わってからの勝ち馬
フサイチホウオー号(ダート出走)が入った7枠、その2着に負けた
ヴィクトリー号(ターフ出走)の3枠、は
掲示板にも乗らない用なし枠なことである。他方、
11月24日なら「オペラの日」でよかったのであるが、
一日ずれてしまってはさすがのダービーかつ春秋天皇賞馬も
(3着)5枠10番メ「イシ(石=岩)」ョウサム「ソン(村)」号
    (武豊騎手/高橋成厩舎)
ということである。同馬のサイアーは
「オペラハウス」号なことである。ときに、右打ち左投げという、
大リーグの投手には稀でないタイプのジョウ・ケネディ投手が
突然死したことである。同投手はタンパベイにドラフトされ、
そこで何年か投げたことである。黒い枠で弔意が示された、
かどうかは知らないが、右投げ左打ちの岩村選手や
左利きの大桑女史という布陣には妙な因縁を覚える。いずれにせよ、
勝ったのはア「ドバイ」ヤムーン号だったことであり、
AneCanの大桑マイミ女史ではなく、
CanCamの「エビ」茶ン色の勝負服だったことである。
馬主はすでに近藤氏からアラブ首長国連邦の一首長が経営者である
ダーレー・ジャパン・ファームに移ってることである。
同法人馬主の持ち馬であるフリオーソ号
(furioso:イタリア語フリオーゾ=荒馬)が、
前日のダートに出走。おなじ「2枠4番」で露払いしてたことである。
「キャンディデイト」号という「優勝候補者」なる「予言」を添えて。
「あらうまや、砂土に『横』たふ、アドマイヤ」(松尾パッション)
JRA競馬は極めるに奥の細い嶮しい道なことである。

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