リヒャルト・シュトラウスが死の前年に「作曲」した
「フィーア・レッツェ・リーダー(四つの最後の歌)」の
「トリ」である「夕映えの中で」は、
ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフという詩人の
詩だそうである。
ヴィーァ・ズィント・ドゥルヒ・ノート・ウント・フロイデ、
私たちは悲しみも喜びも幾年月、
ゲガンゲン・ハント・イン・ハント。
手をたずさえあって歩んできた。
フォム・ヴァンデァン・ルーン・ヴィーァ、
ようやく歩みを止めた私たちを、
ヌーン・ユーベァン・シュティレン・ラント。
静寂の地に休息が出迎える。
というようなのが歌詞のはじめである。中は省くが終いは、
イスト・ディース・エトヴァ・デァ・トート?
もしかするとこれがトド(Tod)のつまり、死なのだろうか?
となってるようである。あまたの「芸術」=「感情を伝える営み」
の中で、「作曲」というものはもっとも崇高なものである。なぜなら、
そこにはさまざまな「縛り」があって、「自由」に
コンポウズすることができないからである。
無秩序では音楽の体をなさず、かといって、
ヒトの感情に訴えれるほどの音楽を「作る」には
「単純化」が必要だからである。ゆえに、
「作曲」は「絵画」「文学」のようには年取ってからも
できるようなものではないのである。「大作曲家」
といわれる程度のヒトでも、せいぜいが
「50代」までしか「真っ当な」音楽は
「創造できない」のである。であるから、
「盗作」「倒錯」「剽窃」は生まれやすい。そうでなくても、
「以前に聞き覚えがあった」旋律が、あるとき、
「自分の脳内で創り出した」と誤認したまま
「作曲」してしまうような哀れな現象も起こりやすい。もっとも、
「ジロン」ド川の河岸のワインの飲みすぎも加わって、今では
リヒャルト・シュトラウスと藤田まことの顔の区別もつかない
拙脳な私の持論であるゆえ、まったく根拠がない。
「四つの最後の歌」は、くら音界ではめずらしく
85歳まで生きたリヒャルト・シュトラウスが
84歳のときの「作品」である。この「夕映えの中で」
の前奏は、オーケストレイションの大家にしては
「厚塗り」に過ぎるきらいがあるが、それでも、
この作曲家の最大の特徴である「感傷」で
満ち溢れてるのである。
*♪【ミー・ーー・・ーー・ーー│
ーー・ー<ファ・・<ソー・ー>ファ│
>ミー・ー>レ・・>ドー・ー<レ】│
>シー・ー>ソ、……*♪
この「節」はおなじく変ホ長の
モーツァルトの「39番交響曲」の終章の主主題、
**♪【ミ<ファ│<ソ>ファ>ミ>レ・>ドッ●<レッ●】│
>ソーーー・ーー**♪
「そのもの」である。モーツァルトの「39番」に
「死のニオイ」を嗅ぎとる感性がリヒャルト・シュトラウスには
あったのである。ときに、
チャイコフスキーもその「3番交響曲」の主章主主題推移の際に、
この「モツ39動機」をオッブリガート的に引いてる。
同章の序部は「葬送行進曲」なのである。いっぽう、
このシュトラウスの前奏はまた、
ベートーフェンの「第九」終章を「喚起」させる。
*♪【ミー・ーー・・<ファー・<ソー│
ソー・>ファー・・>ミー・>レー│
>ドー・ーー・・<レ】ー<ミー*♪
いずれにせよ、この「夕映えの中で」を
「どんな」ソプラーノが歌おうが大差ないと思われるが、
ヘルマン・アーベントロートが指揮した録音が残ってないのが
大変に残念である。なお、リヒャルト・シュトラオスが死んだ地、
ガルミッシュ=パルテンキルヒェンと
北海道日本ハムのイケ面投手ダルビッシュ=ユウの間には
何の関係も存在しない、ということだけは確かである。
「フィーア・レッツェ・リーダー(四つの最後の歌)」の
「トリ」である「夕映えの中で」は、
ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフという詩人の
詩だそうである。
ヴィーァ・ズィント・ドゥルヒ・ノート・ウント・フロイデ、
私たちは悲しみも喜びも幾年月、
ゲガンゲン・ハント・イン・ハント。
手をたずさえあって歩んできた。
フォム・ヴァンデァン・ルーン・ヴィーァ、
ようやく歩みを止めた私たちを、
ヌーン・ユーベァン・シュティレン・ラント。
静寂の地に休息が出迎える。
というようなのが歌詞のはじめである。中は省くが終いは、
イスト・ディース・エトヴァ・デァ・トート?
もしかするとこれがトド(Tod)のつまり、死なのだろうか?
となってるようである。あまたの「芸術」=「感情を伝える営み」
の中で、「作曲」というものはもっとも崇高なものである。なぜなら、
そこにはさまざまな「縛り」があって、「自由」に
コンポウズすることができないからである。
無秩序では音楽の体をなさず、かといって、
ヒトの感情に訴えれるほどの音楽を「作る」には
「単純化」が必要だからである。ゆえに、
「作曲」は「絵画」「文学」のようには年取ってからも
できるようなものではないのである。「大作曲家」
といわれる程度のヒトでも、せいぜいが
「50代」までしか「真っ当な」音楽は
「創造できない」のである。であるから、
「盗作」「倒錯」「剽窃」は生まれやすい。そうでなくても、
「以前に聞き覚えがあった」旋律が、あるとき、
「自分の脳内で創り出した」と誤認したまま
「作曲」してしまうような哀れな現象も起こりやすい。もっとも、
「ジロン」ド川の河岸のワインの飲みすぎも加わって、今では
リヒャルト・シュトラウスと藤田まことの顔の区別もつかない
拙脳な私の持論であるゆえ、まったく根拠がない。
「四つの最後の歌」は、くら音界ではめずらしく
85歳まで生きたリヒャルト・シュトラウスが
84歳のときの「作品」である。この「夕映えの中で」
の前奏は、オーケストレイションの大家にしては
「厚塗り」に過ぎるきらいがあるが、それでも、
この作曲家の最大の特徴である「感傷」で
満ち溢れてるのである。
*♪【ミー・ーー・・ーー・ーー│
ーー・ー<ファ・・<ソー・ー>ファ│
>ミー・ー>レ・・>ドー・ー<レ】│
>シー・ー>ソ、……*♪
この「節」はおなじく変ホ長の
モーツァルトの「39番交響曲」の終章の主主題、
**♪【ミ<ファ│<ソ>ファ>ミ>レ・>ドッ●<レッ●】│
>ソーーー・ーー**♪
「そのもの」である。モーツァルトの「39番」に
「死のニオイ」を嗅ぎとる感性がリヒャルト・シュトラウスには
あったのである。ときに、
チャイコフスキーもその「3番交響曲」の主章主主題推移の際に、
この「モツ39動機」をオッブリガート的に引いてる。
同章の序部は「葬送行進曲」なのである。いっぽう、
このシュトラウスの前奏はまた、
ベートーフェンの「第九」終章を「喚起」させる。
*♪【ミー・ーー・・<ファー・<ソー│
ソー・>ファー・・>ミー・>レー│
>ドー・ーー・・<レ】ー<ミー*♪
いずれにせよ、この「夕映えの中で」を
「どんな」ソプラーノが歌おうが大差ないと思われるが、
ヘルマン・アーベントロートが指揮した録音が残ってないのが
大変に残念である。なお、リヒャルト・シュトラオスが死んだ地、
ガルミッシュ=パルテンキルヒェンと
北海道日本ハムのイケ面投手ダルビッシュ=ユウの間には
何の関係も存在しない、ということだけは確かである。
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