チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「チャイコフスキー『1812年』A部からB部へ」

2009年06月18日 00時55分51秒 | 戦勝&大聖堂奉献式祝いに(イワイニ)1812年

チャイコフスキー 1812年


ミッドタウンの江戸切庵に昼飯を食いにいった。
三箇月ぶりだった。が、
蕎麦の小麦粉の割合が増えて、
麺も細くなって、不味くなってた。
がっかりである。

チャイコフスキーの『1812年』のA部は、途中、
「嘆息音型」を含む動機が現れる。そして、
それが少しずつ形を変え、繰り返されて、
転調を重ねる。さらに、
「ポーコ・ストリンジェンド」→「ポーコ・ピウ・モッソ」
と2段階にテンポを速められ、
第71小節で、全奏のfffで、
「b(<)es(<)ges」→「a(<)c(<)es(<)ges」
と、減7を叩きだす。それに導かれて実質変ホ短調、
ファゴットと低減が、やはりfffで、
**♪ドー・ー>シ・>ラ>ファ│>ミ>♯レ>ド・>ラー・>ソー│>ファ、
 <ファ・ー>ド・>ラ>ファ│>ドー・ーー・<レー│ーー・<ラー・>♯レー│
 <『ミ』……♪
ここで、極端に減速する不届きな"指揮者"がいるが、
真っ当なクラ音ファンはそんなまやかしにだまされるべくもないが、
そんなあざとい小細工にも、
まんまとひっかかるむきが多いのが現実である。
がっかりである。が、まぁ、
上村愛子女史と吉澤ひとみ女史の顔を区別できない
拙脳な私ごときが失望する程度のことである。それはともあれ、
この最後の『ミ』(b)をソと置換して、
ふたたび変ホ長調がお膳立てされ、
「アンダーンテ」のB部に相成るのである。

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