石橋財団ブリヂストン美術館は今年正月に開館60年を迎えたらしい。
久留米の仕立物屋の倅石橋正二郎が、
ゴム底付き地下足袋製造販売に転じて大成功し、
それをヒントに自動車用タイアを作った。これが、
世界的シェアを誇るブリジストン・タイヤの始まりである。
正二郎の娘安子女史は鳩山威一郎と結婚した。政治家
鳩山由紀夫に月額1500万円のこづかいをやってた母である。
そんな家であるからして、
Gustave Caillebotte(ギュスタヴ・カイユボット、1848-1894)
の絵を買い取るくらい、屁でもない。先般、
"Jeune Homme au Piano(ジュヌ・オム・オ・ピヤノ=ピアノに向かう若い男)"
を購入したという。それを今、
「金を取ってあなたに見せたい絵があります
……ブリヂストン美術館開館60周年記念」
として昨日まで展示してた。"Jeune Homme au Piano"は、
有名な「床の鉋削り」や「窓辺の若い男」とともに
第2回印象派展に出展した作品のひとつだということである。
その「床の鉋削り」や「窓辺の若い男」などと同様に、
ミロメニル通りの豪華な自宅の一室を描いたものである。
「ピアノに向かう若い男」の絵は、
窓・窓から室内に射す陽・壁・床・人物・小道具、
という、フェルメールのような陳腐な題材である。
小道具がピアノで、人物がそれを弾く弟のマルスィヤル、
というだけのことである。もちろん、
壁や床やカーテンの花模様は瀟洒で、マルシャルの上衣も
いかにも高価そうなものである。そして、
エラールのグランド・ピアノ。兄弟の父は、
軍需産業(軍用寝具、軍服)で儲けたブルジョワである。
子供らはこの絵が描かれる2年前に莫大な遺産を相続してる。
その豪邸の2階の窓から薄いカーテンごしに外のバルコニーや外観が見える。
外の景色を背景に室内で人物がプレイに興じてる、
というのは、
鈴木春重(司馬江漢)の「碁」という浮世絵と同じである。
がしかし、
この絵はパースペクティヴがおかしい。
カイユボットはパースペクティヴを誇張した絵が多い。
パースペクティヴを誇張し極端なデフォルメをする描きかたは、
フェルメールもやってるが、なにより、
カイユボットは他の印象派以上にパースペクティヴを誇張した
浮世絵から受けた影響が大きかった。それにしても、
この絵はピアノだけが異様に小さいのである。
何らかの意図があってそうしたのだろうが、
にしても違和感がありすぎる。ピアノほどでないにしても、
人物も小さすぎる。画面向かって右端の椅子も小さい。
ひょっとすると、実際にはピアノはこの場所にあったのではなく、
画家は二つの映像をコラージュしたのではないだろうか。
いずれにしても、何より、この絵からは、
心の中からわき上がってくる情念がまったくない。
凡作が極めて少ないカイユボットにしては大変にめずらしい。
Martial Caillebotte(マルスィヤル・カイユボット、1853-1910)は、
著名な画家カイユボットの5歳年下で、父親と同名の末弟である。
Martialといっても、武道家でもなければ軍人でもない。
コンセルヴァトワルで音楽を学んだ作曲家である。今では
ほとんど演奏されないが、1874年から1878年にかけて作曲した
"Air de Ballet(エル・ドゥ・バレ=バレエの調べ)"
という5曲から成るpf曲がもっとも有名である。その第2曲は、
[Lento、6/8拍子、2♭(ト短調)]
♪ラ>♯ソ>ミ・<Nソーー│ーーー・>ファ>ミ>ド│
<♭ミーー・ーーー│ーーー・ーーー│
>レ>ラ>♯ファ・>Nファ>ミ>ド│<ミーー・>ドーー│
>ラ<シ<ド・>ラ>♯ソ>ミ│<(N)ソーー、・>ドー<レ│
<ミーー・ーーー、│>ラ<シ<ド・<レ<ファ<ラ│
<ドーー・>シー>レ│<ミーー・<ソーソ♪
というような、19世紀フランス音楽界にありがちな
アンニュイな感じの曲である。
明確な主題というものになってないのが
特徴なんだか欠点なんだか、
藤田嗣治とトニー谷の顔を瞬時には判別できない
拙脳なる私にはよくわからないところである。いずれにしても、
凡作であることに変わりはない。
1887年、マルスィヤルは結婚し、兄ギュスタヴとの
34年にわたる同居に終止符を打つとともに、
音楽の創作をやめてしまったという。現在の我が国にも
文章の素養もないくせに「私は物書き」などという
スノッビーなのが多いが、マルスィヤルは
自らの才のなさに見切りをつけれるだけまともである。
1894年に兄は独身のまま子を残さず45歳で死に、
弟は一姫二太郎を残し1910年に56歳で死ぬ。いっぽう、
母安子女史の言うところによれば、鳩山兄弟は、
兄の由紀夫は勉強しなければ東大に入れなかったが、
弟は勉強しなくても東大に入れるほどだったらしい。が、
兄は総理大臣になったが弟はただの大臣どまりだった。
質はともかくも。
久留米の仕立物屋の倅石橋正二郎が、
ゴム底付き地下足袋製造販売に転じて大成功し、
それをヒントに自動車用タイアを作った。これが、
世界的シェアを誇るブリジストン・タイヤの始まりである。
正二郎の娘安子女史は鳩山威一郎と結婚した。政治家
鳩山由紀夫に月額1500万円のこづかいをやってた母である。
そんな家であるからして、
Gustave Caillebotte(ギュスタヴ・カイユボット、1848-1894)
の絵を買い取るくらい、屁でもない。先般、
"Jeune Homme au Piano(ジュヌ・オム・オ・ピヤノ=ピアノに向かう若い男)"
を購入したという。それを今、
「金を取ってあなたに見せたい絵があります
……ブリヂストン美術館開館60周年記念」
として昨日まで展示してた。"Jeune Homme au Piano"は、
有名な「床の鉋削り」や「窓辺の若い男」とともに
第2回印象派展に出展した作品のひとつだということである。
その「床の鉋削り」や「窓辺の若い男」などと同様に、
ミロメニル通りの豪華な自宅の一室を描いたものである。
「ピアノに向かう若い男」の絵は、
窓・窓から室内に射す陽・壁・床・人物・小道具、
という、フェルメールのような陳腐な題材である。
小道具がピアノで、人物がそれを弾く弟のマルスィヤル、
というだけのことである。もちろん、
壁や床やカーテンの花模様は瀟洒で、マルシャルの上衣も
いかにも高価そうなものである。そして、
エラールのグランド・ピアノ。兄弟の父は、
軍需産業(軍用寝具、軍服)で儲けたブルジョワである。
子供らはこの絵が描かれる2年前に莫大な遺産を相続してる。
その豪邸の2階の窓から薄いカーテンごしに外のバルコニーや外観が見える。
外の景色を背景に室内で人物がプレイに興じてる、
というのは、
鈴木春重(司馬江漢)の「碁」という浮世絵と同じである。
がしかし、
この絵はパースペクティヴがおかしい。
カイユボットはパースペクティヴを誇張した絵が多い。
パースペクティヴを誇張し極端なデフォルメをする描きかたは、
フェルメールもやってるが、なにより、
カイユボットは他の印象派以上にパースペクティヴを誇張した
浮世絵から受けた影響が大きかった。それにしても、
この絵はピアノだけが異様に小さいのである。
何らかの意図があってそうしたのだろうが、
にしても違和感がありすぎる。ピアノほどでないにしても、
人物も小さすぎる。画面向かって右端の椅子も小さい。
ひょっとすると、実際にはピアノはこの場所にあったのではなく、
画家は二つの映像をコラージュしたのではないだろうか。
いずれにしても、何より、この絵からは、
心の中からわき上がってくる情念がまったくない。
凡作が極めて少ないカイユボットにしては大変にめずらしい。
Martial Caillebotte(マルスィヤル・カイユボット、1853-1910)は、
著名な画家カイユボットの5歳年下で、父親と同名の末弟である。
Martialといっても、武道家でもなければ軍人でもない。
コンセルヴァトワルで音楽を学んだ作曲家である。今では
ほとんど演奏されないが、1874年から1878年にかけて作曲した
"Air de Ballet(エル・ドゥ・バレ=バレエの調べ)"
という5曲から成るpf曲がもっとも有名である。その第2曲は、
[Lento、6/8拍子、2♭(ト短調)]
♪ラ>♯ソ>ミ・<Nソーー│ーーー・>ファ>ミ>ド│
<♭ミーー・ーーー│ーーー・ーーー│
>レ>ラ>♯ファ・>Nファ>ミ>ド│<ミーー・>ドーー│
>ラ<シ<ド・>ラ>♯ソ>ミ│<(N)ソーー、・>ドー<レ│
<ミーー・ーーー、│>ラ<シ<ド・<レ<ファ<ラ│
<ドーー・>シー>レ│<ミーー・<ソーソ♪
というような、19世紀フランス音楽界にありがちな
アンニュイな感じの曲である。
明確な主題というものになってないのが
特徴なんだか欠点なんだか、
藤田嗣治とトニー谷の顔を瞬時には判別できない
拙脳なる私にはよくわからないところである。いずれにしても、
凡作であることに変わりはない。
1887年、マルスィヤルは結婚し、兄ギュスタヴとの
34年にわたる同居に終止符を打つとともに、
音楽の創作をやめてしまったという。現在の我が国にも
文章の素養もないくせに「私は物書き」などという
スノッビーなのが多いが、マルスィヤルは
自らの才のなさに見切りをつけれるだけまともである。
1894年に兄は独身のまま子を残さず45歳で死に、
弟は一姫二太郎を残し1910年に56歳で死ぬ。いっぽう、
母安子女史の言うところによれば、鳩山兄弟は、
兄の由紀夫は勉強しなければ東大に入れなかったが、
弟は勉強しなくても東大に入れるほどだったらしい。が、
兄は総理大臣になったが弟はただの大臣どまりだった。
質はともかくも。
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