チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「ピアノ協奏曲(嬰ハ短調)/フランシス・プーランク没後50年」

2013年01月30日 18時01分24秒 | 説くクラ音ばサラサーデまで(クラ音全般
今日、2013年1月30日は、フランスの作曲家
Francis Poulenc
(フオンシス・プロンキ、いわゆるフランシス・プーランク、1899-1963)
が死んで50年にあたる日である。
ボストン交響楽団からの依嘱で
……湯川博士がノーベル賞を受賞し、
中華人民共和国が成立し、
リヒャルト・シュトラウスが死に、
マーガレット・ミッチェル女史が道路横断とともに去った……
1949年に作曲され、翌年1月に
作曲者自身のピアノ、シャルル・ミュンシュの指揮で初演された
「ピアノ協奏曲」第1楽章冒頭は、

♪●●●●●●●●・●●●●ラー<シー│
<ドーーードードー・ドーーー>ミー<ラー│
<ドーーー>ラーーー・●●>ミー<ラー<シー│
<ドーーードードー・ドー<レ>ド>♭シー>ラー│
<♭シーーー>ファーーー・●●>ミー<ファー<ラー│
<ミー<ファー>♯ソーーー・●●>♯レー<ミー<ファー│
<ラー<ドー>ミーーー・●●ミー<ラー>ドー│
>ラー<ファー>ドー>ラー・>ファー>ミー>レー<ドー│
>ラーーーーーーー・ーー●●●●●●♪

という主題を独奏ピアノが弾き始める。
ナポリの6が出てくるまでには、
西田佐知子女史がこの曲を知ってるつもりで
「コーヒールンバ」を踊り出してしまいそうな節である。
ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第3番」みたいな
雰囲気の芸風でもある。そういえば、昨夜、
仲間由紀恵女史が最近とりつかれたように
はまってるサイコ・スリラーのフジTV火曜22時のドラマ「サキ」で、
ラフマニノフ「交響曲第2番」第3楽章冒頭が流れた。
相手役は三浦カズとのヨーロピアン情事アではなかったし
イタリアの海の断崖も出てこなかったものの、
萩原聖人が妹に邪心を持つことを苦にして
伊豆の海に車ごと落ちてく場面である。
萩原聖人といえば和久井映見女史と結婚してたが、
ラフマニノフ「交響曲第2番」第3楽章は、今から19年前の月9、
同女史が主演した「妹よ」で使われた音楽である。
ブラック・コーヒー・ジョウクなのだろうか?

ともあれ、
この1楽章では、チャイコフスキーが
「ヴァイオリン協奏曲」で短調の節を長調にして引用した
ビゼー「カルメン」の中のドン・ホセによるカルメンへの
断ちがたい思いを未練がましくぶつける嘆き歌、
♪ミー│
<ドー・ー、>シ・・>ラ、<シ・<ド<ミ│
>シー・ー<(レ>)ド・・>シー、<ミー│
<ソー・ー、>ミ・・>ド<レ、<ミ>ラ│
<ドー・ー>シ・・>ラー♪
という節回しも引用されてる。

3楽章(終楽章)には(当時からみて)約100年前に作られた
スティーヴン・フォスターの歌、
"Old Folks at Home(実家の家族、あるいは、スワニー河)"が
♪ミーーー>レ>ド、<ミ>レ>ド♪
ちりばめられてる。この歌は、
黒人奴隷の悲惨な嘆き歌
(白人フォスターがネカマならぬネクロとして感情移入して作った)
である。

"Way down upon de Swanee Ribber,
Far, far away,
Dere's wha my heart is turning ebber,
Dere's wha de old folks stay.
All up and down de whole creation
Sadly I roam,
Still longing for de old plantation,
And for de old folks at home."
「ウェイ・ダウナポン・ダ・
スワニー・リバー、
ファー、ファラ・ウェイ、
デアズ・ファ・マイ・ハート・イズ・ターニング・エバ、
デアズ・ファ・ディ・オウルド・フォウクス・ステイ、
オーラップ・アンド・ダウン・ダ・ホウル・クリエイション、
サッドリ・アイ・ロウム、
スティル・ロンギング・フォ・ディ・オウルド・プランテイション、
アンド・フォ・ディ・オウルド・フォウクス・アット・ホウム」
(スワニー河をずっと下った、
はるかかなたの向こうに、
ひとときも忘れたことがない
なつかしい家族がいるんだよ。
神様が創造なすったこの現世を
無情にもあちこちと売りとばされてきたけれど、
いまでも生まれたとこの大農園にすごく帰りたいよ。
*そこにいるパパ・ママ・妹たちに会いたいよ)
(*)実際には家族はもう死んだり売り飛ばされたりして
  誰ひとりもいないかもしれない

実際に酷な人生しか与えられなかった黒人奴隷とは違うが、
フォスターはそれなりに悲惨な人生だったし、
その作品は抑えきれない創作衝動から生まれた
傑作ばかりである。いっぽう、
プーランクは製薬会社の経営をする裕福な家に育った。そして、
64歳まで生きた、已むにやまれぬ創作意欲から
音楽を作ったわけでもない、凡人である。ただ、
バイ・セクシュアルだったというだけで、
ちょっと並とは違ってたにすぎない。
聞くに堪えない現代音楽の時代にあって、
ハイセンスと安っぽさをいい按排にブレンドした、
口当たりのいい飲み物といった趣きで、
それなりのファンを獲得してるようである。
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