4月頃から取り沙汰されてた次期駐日米国大使に
JFKの娘が、という話が現実になったらしい。
TVのニュースで「キャロラインさん」「キャロラインさん」とだけ言うので、
キャロライン洋子女史かと最初思ってしまった。
日本を冷遇する米民主党政権下では、
どうでもいい駐日大使のポウストは「論功行賞」として機能する。かつて、
フランクリン・ルーズヴェルトが利用したが政権中枢に食い込まれると
厄介なので、それ相応のポウストに遠ざける目的で
キャロライン女史の祖父ジョウセフを英国大使として追っ払ったのと同じく、
民主党内の候補争いでヒラリーを退ける最大の功労者だが
それを恩に着せられたくないオバマが邪魔者を遠ざけたのである。
ケネディという家はけっこう知られてるように、
アイルランド系である。アイルランドということは、
宗旨はカトリックである。カトリックは
国教会(プロテスタントの一派といってさしつかえない)の
英国とアングロサクソンにとって目の敵である。
ブリテン島の西に位置するアイルランドは、
ケルト族である。宗教改革以前からアングロサクソンには
虐げられてきた。が、
名誉革命で英国を追われたカトリックのジェイムズ2世のアイルランド軍2万5千が
オランダ王から英国王に迎えられた
(オラニエ公ウィレム→)ウィリアム3世の英国軍3万6千に1690年、
"Battle of the Boyne(バトル・オヴ・ザ・ボイン=ボイン川の戦闘)"で
大敗したことが決定的となった。
♪ボインは大切なんやでぇ~~~♪
と、月亭可朝も嘆くわけである。
それからのアイルランドは悲惨である。
英国からさまざまな規制を受けた。というより、
ほぼ奴隷状態にされたのである。
アイルランド語を禁じられ、集会などもってのほか、
教育すら受けさせてもらえず、当然ながら
公職にも就かせてもらえず、資産所有も封じられてた。
ダンスすることさえ許されなかった。だから、
見回りが外から窓を覗いても踊りでないと
カモフラージュするために下半身だけの踊り、
アイリッシュ・ダンスがうみだされた。そんな支配は
19世紀になっても同じだった。
アイルランド南東部Wexford(ウェクスフォード)州の
New Ros(ニュー・ロス)で小作農をしてた
ケネディ一家はジャガイモ作の飢饉でついに
故郷を去る決意を固めたのである。ちなみに、
カトリックのアイルランド人は英国人によって
小麦を食うことを禁じられてたので、
ジャガイモを食するしかなかったのである。
米国にたどりついたJFKの曾祖父
パトリック一家はボストンに居を構えた。
その子であるパトリックはバーの経営者から
マサチューセッツ州の下院議員、同上院議員となった。
その倅ジョウセフはハーヴァードを出て金融で儲けた。
世界恐慌を察知して売り逃げたいきさつは
"靴磨きの少年の逸話"
で知られるとおりである。が、
野心満々だったため、マフと関係して
汚い金に手を染めたことが自身の
政治生命を閉ざすことになり、さらには
子や孫の"悲劇"にも繋がってったのである。
キャロライン女史もハーヴァード出で
コロンビア大法科大学院卒の弁護士、
という、お勉強ができる家系である。
"Kennedy"というサーネイムは、アイルランド語の祖語である
ゲイル語の"Ceanneidigh(キャウナイディ)"の英語訛りである。
これはニックネイムである。
ceann=head、eidigh=ugly、つまり、
「グロテスクな頭野郎」「メット野郎」という渾名である。たしかに、
JFKの頭はヘルメットみたいだった。
銃弾で吹き飛ばされてしまったけれど……。
JFKの娘が、という話が現実になったらしい。
TVのニュースで「キャロラインさん」「キャロラインさん」とだけ言うので、
キャロライン洋子女史かと最初思ってしまった。
日本を冷遇する米民主党政権下では、
どうでもいい駐日大使のポウストは「論功行賞」として機能する。かつて、
フランクリン・ルーズヴェルトが利用したが政権中枢に食い込まれると
厄介なので、それ相応のポウストに遠ざける目的で
キャロライン女史の祖父ジョウセフを英国大使として追っ払ったのと同じく、
民主党内の候補争いでヒラリーを退ける最大の功労者だが
それを恩に着せられたくないオバマが邪魔者を遠ざけたのである。
ケネディという家はけっこう知られてるように、
アイルランド系である。アイルランドということは、
宗旨はカトリックである。カトリックは
国教会(プロテスタントの一派といってさしつかえない)の
英国とアングロサクソンにとって目の敵である。
ブリテン島の西に位置するアイルランドは、
ケルト族である。宗教改革以前からアングロサクソンには
虐げられてきた。が、
名誉革命で英国を追われたカトリックのジェイムズ2世のアイルランド軍2万5千が
オランダ王から英国王に迎えられた
(オラニエ公ウィレム→)ウィリアム3世の英国軍3万6千に1690年、
"Battle of the Boyne(バトル・オヴ・ザ・ボイン=ボイン川の戦闘)"で
大敗したことが決定的となった。
♪ボインは大切なんやでぇ~~~♪
と、月亭可朝も嘆くわけである。
それからのアイルランドは悲惨である。
英国からさまざまな規制を受けた。というより、
ほぼ奴隷状態にされたのである。
アイルランド語を禁じられ、集会などもってのほか、
教育すら受けさせてもらえず、当然ながら
公職にも就かせてもらえず、資産所有も封じられてた。
ダンスすることさえ許されなかった。だから、
見回りが外から窓を覗いても踊りでないと
カモフラージュするために下半身だけの踊り、
アイリッシュ・ダンスがうみだされた。そんな支配は
19世紀になっても同じだった。
アイルランド南東部Wexford(ウェクスフォード)州の
New Ros(ニュー・ロス)で小作農をしてた
ケネディ一家はジャガイモ作の飢饉でついに
故郷を去る決意を固めたのである。ちなみに、
カトリックのアイルランド人は英国人によって
小麦を食うことを禁じられてたので、
ジャガイモを食するしかなかったのである。
米国にたどりついたJFKの曾祖父
パトリック一家はボストンに居を構えた。
その子であるパトリックはバーの経営者から
マサチューセッツ州の下院議員、同上院議員となった。
その倅ジョウセフはハーヴァードを出て金融で儲けた。
世界恐慌を察知して売り逃げたいきさつは
"靴磨きの少年の逸話"
で知られるとおりである。が、
野心満々だったため、マフと関係して
汚い金に手を染めたことが自身の
政治生命を閉ざすことになり、さらには
子や孫の"悲劇"にも繋がってったのである。
キャロライン女史もハーヴァード出で
コロンビア大法科大学院卒の弁護士、
という、お勉強ができる家系である。
"Kennedy"というサーネイムは、アイルランド語の祖語である
ゲイル語の"Ceanneidigh(キャウナイディ)"の英語訛りである。
これはニックネイムである。
ceann=head、eidigh=ugly、つまり、
「グロテスクな頭野郎」「メット野郎」という渾名である。たしかに、
JFKの頭はヘルメットみたいだった。
銃弾で吹き飛ばされてしまったけれど……。
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