チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「音楽創作というスピリチュアルな世界/こんにちは赤ちゃん(歌=梓みちよ、作曲=中村八大)発表から50年」

2013年07月06日 22時36分54秒 | 倒錯の世界(嗜好の微調節と微ヒョウセツ
今から50年前の昭和38年(1963年)7月6日(土曜日)に、
NHKの「夢であいましょう」の「今月の歌」コーナーで、歌謡曲
「こんにちは赤ちゃん」(作詞=永六輔、作曲=中村八大)が
梓みちよ女史の歌唱によって発表された。ちなみに、
同女史はバイ・セクシュアルだと公言してる。

♪【ド(こん)ーーー・ド(に)ーード(ち)・・ド(は)ーーー・<ミ(あ)ーーー>ド(か)│
>ラ(ちゃん)ーーー・●●●●・・●●●●】・>ソ(あ)ーー<ラ(な)♪

久留米で旧制中学時代を過ごした中村八大(1931-1992)は、
日中戦争下で日本軍に占領されてた中国青島(チンタオ)で、
青島第一日本尋常高等小学校の校長をしてた
中村和之の三男として生まれた。
青島の八大関景区、あるいは、
仏教の八大聖地からその名をとったという。
青島は、日清戦争で勝利した日本に対して仏独露が難癖を付けた
いわゆる「三国干渉」で、大清国から恩着せがましくも
膠州湾一帯を99年間租借したドイツが築いた町である。
1914年、第一次世界大戦でドイツ(およびオーストリア)は、
日英同盟国との青島戦線で敗北した。日本が占領して
1922年に中国に返還された。その後、
日中戦争で再び日本が統治し、その当時の青島には
5万人ほどの日本人が住んでたのである。
音楽の才能があるらしいので、父親は10歳の八大を単身、
日本(東京)に帰して音楽教育を受けさせた。が、
また青島に戻し、そこでドイツ人に音楽を習わせた。が、
クラスィカルには向かず、早大高等学院ではポップスとくに
ジャズに惹かれてったようである。ジャズのもとともいわれてる
黒人霊歌にも興味を持ったことだろう。

♪【ド(Ma-)ード(ry)ー・ド(had)ード(a)ー・<ミ(ba-)ーーー>ド(by,)ーーー│
●●・>ラ(My)ーーー・・>ラ(Lord!)ーーー・ーーーー】♪

これは、黒人霊歌の中でもクリスマスに歌われる
"Mary had a baby, My Lord!
(メアリ・ハダ・ベイビ、マイ・ロード!
=マリアさまは赤子を産みなさった、主キリストを)"
というものである。ただし、これが
"Mikity got a baby, My Lord!"
だと、どこかのフィギュア・スケイティングのコウチが慌てて、
♪もーろーぞふーー、こまーりーてーーー
(ドーーー・>シーー>ラ│>ソーーー・ーー>ファー│
>ミーーー・>レーーー│>ドーーー・ーー)♪
と唸ってしまうことになる。ザビエルがどんなに、
「たとえあなたは現世では奴隷であっても、
ご主人様のためにせっせと働けば、
死んだら天国への門が開かれるかもしれない。だから、
精神的な主(イエス)へも忠誠を誓い信仰すれば、
あなたは必ずや天国に行けるのですよ」
と説いても、総じて知能が高く、
人生はつらくて当たり前という
物の道理をわきまえてた日本人は騙されなかった。
黄金の国での布教成績の悪さでザビエルは
イエズス会内で立場を失い、中国に転進せざるを得なかった。
現在でも日本でのキリスト教信者は
すべての宗派をひっくるめても
全人口の1パーセントにも満たない。が、
簡単にひっかかってしまう人種・民族もいたのである。

中村八大はキリスト者ではなかったが、
シャブ中だった。いわゆるヒロポン漬けだったのである。
話によると、これを打ってするエッチは
至福の快楽だということである。
ちょっとアブノーマルなものだったら、なおさらである。
"作曲家""ミュージシャン""アーティスt"などと言われる者は
凡人だったら何の有難みもない。他に
遺伝子を残せる手段がない者のうち
何らかの創作活動に天分を備えてる者が
なせるわざでしかない。だから、
平凡に結婚して子をもうけてるのに
"作曲家""ジャズピアニスト"というエセアーティストであるためには
薬の助けが要ったのである。が、
そういう凡人の脳内では、既成の傑作を自作として
アウトプットしてしまう事例が多い。
ベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第5番」いわゆる「皇帝」が
「上を向いて(向精神?)歩こう」ということになり、ついには
「スキヤキ」の旨味成分イノシン酸となってしまった。そして、
聖母マリアがイエスを産んだことを信者らが大いに喜び言祝ぐ気持ちが、
自らの長男の誕生の喜びにシンクロして、つい、
自作として「こんにちは赤ちゃん」となってしまったのである。
主よ(罪深き私を)憐れみ給え、なのである。

足を洗う弟子もいないし、洗ってくれるマグダラのマリアもいない私は、
足を洗ったはずの煎餅焼きを、浮世の義理で引き受けてしまった。
さっき素材を受け取って明日いっぱいで仕上げなければならない。
しかも、その素材といったらメチャクチャな最低レヴェルの代物である。
仕上げ指定のデザインだけは一流なので何とかなるかもしれないが、
今から明日にかけては溜まってた留守録もみなければならないので、
気が重い。私のような才も能もない凡人ながら、
通常の人生も送れないブサイクで異性からはじかれた男は
ただただつらい縁の下でいつづけなければならない。が、
人生はつらいのが当たり前の人間に生まれた私の
虫けらと同等の微々たる存在価値なのである。
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