日本は敗戦国であるからして、米英のしもべとされて文句は言えない。
それがイヤならまた一戦構えて勝つしかない。
どんなに搾られても、黙って耐えるしかないのである。なぁに、
昨今の石油関連商品、小麦・小豆関連商品の高騰の要因を、
「中国やインドの消費拡大」と言われて信じてればいいのである。昨今、
なぜにしてやたらと「エコ」「地球環境」「温暖化対策」「リサイクル」
などということが盛んにされてるか、考えもしないで、
どんなに絞り取られてもしぼりとられても、涸れることなく、
せっせと勤労して金を産みだせばいいだけの話である。
勤勉は美徳なのであるから、懸命に励めばよろしい、ということだろう。
我が国には昔から「知らぬが仏」という諺がある。が、最近では、
「知らなければホットケばいい」という意味なんだそうである。ともあれ、
「本当の理由を知られたくない」ときには、
「もっともらしい偽善を打ち出せ」というのが鉄則である。
資源が枯渇しそうだから節約しよう!
いかにももっともらしい言葉である。が、
石油がもうすぐ底をつく、なんてホントだろうか?
もしそうなら、クウェートの王子がハンドボールになど現を抜かしてるか。
原油価格高騰の原因が中国での消費拡充などとは、
投機で日本から金を吸い取るための方便である。これを
改竄歴史家の「ウソ築地デス」は、
米英仏露が対日本から銭を取ルコとに決めた「採掘=ピコ協定」
と呼んでるとかよんでないとか。それはどうでも、
環境保護団体・環境保護活動家らは、そんなハイエナらのために、
せっせと加担してることになるのである。ただし、
なにも「エコ」に反対してるわけではない。ecoといえば、
エド時代がエコ時代だったことは近頃さかんに言われてる。が、
そんな時代でも物事が華美になることも、
湿度が高い気候である我が国がカビっぽくなることもあった。
そこで登場するのが徳川幕府第8代将軍吉宗である。が、
tv朝日ドラマの「暴れん坊将軍」として
ずいぶんと歪曲されて人々に印象づけられてしまってる。ともあれ、
この人物が、まず藩主になるために、そして、将軍になるために、
どれだけのことをしたのか、考えるだに恐ろしくなる。が、それでも、
この人物が真に日本の「政治」を考えてた、ということも事実である。
戦後の日本経済は「土建事業」の上に建ってた。それは、
江戸時代も同じである。
「火事と喧嘩は江戸の華」
という諺も、「真実を隠すため」の方便である。
細い路地に密集した長屋……いかにも、
それでは類焼して当たり前、みたいに聞こえる。が、
現実はどうだったか?
広い敷地を誇る大名屋敷、さらには、江戸城、まで、
「折からの強風に煽られ」、丸焼けになったのである。ときに、
清洲橋(名古屋とはまったく無関係)を渡った東側(東京の江東区)に、
女子ヴァリーボールで知られる中村高校がある。そして、その南隣に
清澄庭園がある。ここは下総関宿藩久世家の下屋敷だった。が、
その以前は、元禄時代の材木商紀伊國屋文左衛門の屋敷だった、
と言われてる。このすぐ南東には、なるほど「木場」がある。ついでに、
江戸時代初期の豪商といえば河村瑞賢、
江戸時代中期の豪商といえば奈良屋茂左衛門。ともに、
「材木商」である。さて、彼らは「牙」を剥いたわけでもなかろうが、
「江戸の華」である「火事」で儲けた。もうひとつの「ケンカ」からは……
「石鹸」では商売はしなかったようである。ところで、
セッケンといえば、先日昼、表参道手前の甲状腺専門病院伊藤病院前で
信号待ちをしてると、以前に「ビオレ」のCMに出てた中山エミリ女史が
右から横断してきた。小さい、細い、顔小さい、色浅黒い。あの
「空気読んでます」ふうな芸風が鼻につくし、苦手な顔だ。が、
すっぴんで野暮ったい服装でも、さすが芸能人は目立つ。それはともかく、
この中山女史、かつて、NHKの大河ドラマ「元禄繚乱」で、
吉良邸を建てた大工の棟梁の娘役をやったことがある。まぁ、
本所の吉良邸は火事で焼失したために建てたわけではないが、
江戸の町は火事のために「建設業者」が潤ってたのである。そして、
その火事の原因だが、もっとも多かったのは「火附け」だったとか。
吉宗は将軍になると、さまざまなことに手を出した。
目安箱、小石川療養所、甘藷、墨田・飛鳥山の桜植樹、貨幣改鋳、
足高制、相対済令、上米令、公事方御定書、御庭番、等など。が、
まっさきに手をつけたのは「いろは45組町火消し」の設置である。
吉宗が火事対策に熱心だったのは、もちろん、江戸の町が
火事で甚大な損失を出すことを防ぐことではある。がしかし、
それよりもなお、この「火事による利得」を妨害することに、
その本質があったのではないかと私は考えてる。
「風が吹くと桶屋が儲かる」
という諺をただの戯言と見過ごす者やダジャレをバカにする者には、
「風が吹くと材木屋が儲かる」
「風が吹くと桶狭間がある尾張藩が儲かる」
という、ごく簡単な図式を直接に言っては憚れるから
婉曲に言いまわしたものだという意図が読み取れないのである。
「江戸で大火があると、材木屋が儲かる」
だけではない。その木材は木曾の山林からやってくるのである。
名古屋藩、つまり、いわゆる尾張藩の領地は膨大なものである。
尾張一国に、美濃の一部。これだけでオワリではない。
信濃の一部も領してたのである。とくに木曾からは、
表高の62万石のに匹敵する額の収入があったのである。
これを紀州出の吉宗は断とうとしたのである。
吉宗の政策を少しでも検討すると、そこから、
同人の徹底した「尾張家潰し」が見えてくる。実際、
「尾張家」は、吉宗の曾孫にあたる第11代将軍家斉の子を
養子に入れられることになるのである。また、
町屋の屋根を茅葺や板葺きから瓦葺きにせよとなったときにも、
結局は尾張のライヴァルであり、徳川家「発祥」の岡崎、浜松の
三河の三州瓦を葺かせるようになった経緯も、
「裏」がありそうである。それから、側近中の側近、
大岡忠相を大名に引き上げて西大平に領地を与えたことにも、
そこが岡崎の隣で、刈谷、高浜、西尾、吉良、などの
矢作川流域の土地と何やら関連がありそうなのである。さらには、
それらがまた、将軍家の中の「明智人脈」が織りなす絢を
形成してることに気づかされるのである。
綱吉就任、若年寄稲葉正休による親類筋である大老堀田正俊刺殺事件、
土井利意と吉良義央の諍い、赤穂・吉良事件、等など。
イナバの物置は百人乗っても大丈夫、なんだそうであるが、
斎藤福子(春日局、つまり明智一族)の倅稲葉の美濃人脈は
弐百年経っても大丈夫、だったのである。
「七重八重、花は咲けども。山吹の、美濃ひとつだに、なきぞかなしき」
家光の系統が途絶えて吉宗の代になっても、その
勝手掛老中を務めた松平乗邑の三男が、遠山の金さんの祖先の領地だった
美濃岩村藩を継ぐことになるのである。
(その弐につづく……期日は未定)
それがイヤならまた一戦構えて勝つしかない。
どんなに搾られても、黙って耐えるしかないのである。なぁに、
昨今の石油関連商品、小麦・小豆関連商品の高騰の要因を、
「中国やインドの消費拡大」と言われて信じてればいいのである。昨今、
なぜにしてやたらと「エコ」「地球環境」「温暖化対策」「リサイクル」
などということが盛んにされてるか、考えもしないで、
どんなに絞り取られてもしぼりとられても、涸れることなく、
せっせと勤労して金を産みだせばいいだけの話である。
勤勉は美徳なのであるから、懸命に励めばよろしい、ということだろう。
我が国には昔から「知らぬが仏」という諺がある。が、最近では、
「知らなければホットケばいい」という意味なんだそうである。ともあれ、
「本当の理由を知られたくない」ときには、
「もっともらしい偽善を打ち出せ」というのが鉄則である。
資源が枯渇しそうだから節約しよう!
いかにももっともらしい言葉である。が、
石油がもうすぐ底をつく、なんてホントだろうか?
もしそうなら、クウェートの王子がハンドボールになど現を抜かしてるか。
原油価格高騰の原因が中国での消費拡充などとは、
投機で日本から金を吸い取るための方便である。これを
改竄歴史家の「ウソ築地デス」は、
米英仏露が対日本から銭を取ルコとに決めた「採掘=ピコ協定」
と呼んでるとかよんでないとか。それはどうでも、
環境保護団体・環境保護活動家らは、そんなハイエナらのために、
せっせと加担してることになるのである。ただし、
なにも「エコ」に反対してるわけではない。ecoといえば、
エド時代がエコ時代だったことは近頃さかんに言われてる。が、
そんな時代でも物事が華美になることも、
湿度が高い気候である我が国がカビっぽくなることもあった。
そこで登場するのが徳川幕府第8代将軍吉宗である。が、
tv朝日ドラマの「暴れん坊将軍」として
ずいぶんと歪曲されて人々に印象づけられてしまってる。ともあれ、
この人物が、まず藩主になるために、そして、将軍になるために、
どれだけのことをしたのか、考えるだに恐ろしくなる。が、それでも、
この人物が真に日本の「政治」を考えてた、ということも事実である。
戦後の日本経済は「土建事業」の上に建ってた。それは、
江戸時代も同じである。
「火事と喧嘩は江戸の華」
という諺も、「真実を隠すため」の方便である。
細い路地に密集した長屋……いかにも、
それでは類焼して当たり前、みたいに聞こえる。が、
現実はどうだったか?
広い敷地を誇る大名屋敷、さらには、江戸城、まで、
「折からの強風に煽られ」、丸焼けになったのである。ときに、
清洲橋(名古屋とはまったく無関係)を渡った東側(東京の江東区)に、
女子ヴァリーボールで知られる中村高校がある。そして、その南隣に
清澄庭園がある。ここは下総関宿藩久世家の下屋敷だった。が、
その以前は、元禄時代の材木商紀伊國屋文左衛門の屋敷だった、
と言われてる。このすぐ南東には、なるほど「木場」がある。ついでに、
江戸時代初期の豪商といえば河村瑞賢、
江戸時代中期の豪商といえば奈良屋茂左衛門。ともに、
「材木商」である。さて、彼らは「牙」を剥いたわけでもなかろうが、
「江戸の華」である「火事」で儲けた。もうひとつの「ケンカ」からは……
「石鹸」では商売はしなかったようである。ところで、
セッケンといえば、先日昼、表参道手前の甲状腺専門病院伊藤病院前で
信号待ちをしてると、以前に「ビオレ」のCMに出てた中山エミリ女史が
右から横断してきた。小さい、細い、顔小さい、色浅黒い。あの
「空気読んでます」ふうな芸風が鼻につくし、苦手な顔だ。が、
すっぴんで野暮ったい服装でも、さすが芸能人は目立つ。それはともかく、
この中山女史、かつて、NHKの大河ドラマ「元禄繚乱」で、
吉良邸を建てた大工の棟梁の娘役をやったことがある。まぁ、
本所の吉良邸は火事で焼失したために建てたわけではないが、
江戸の町は火事のために「建設業者」が潤ってたのである。そして、
その火事の原因だが、もっとも多かったのは「火附け」だったとか。
吉宗は将軍になると、さまざまなことに手を出した。
目安箱、小石川療養所、甘藷、墨田・飛鳥山の桜植樹、貨幣改鋳、
足高制、相対済令、上米令、公事方御定書、御庭番、等など。が、
まっさきに手をつけたのは「いろは45組町火消し」の設置である。
吉宗が火事対策に熱心だったのは、もちろん、江戸の町が
火事で甚大な損失を出すことを防ぐことではある。がしかし、
それよりもなお、この「火事による利得」を妨害することに、
その本質があったのではないかと私は考えてる。
「風が吹くと桶屋が儲かる」
という諺をただの戯言と見過ごす者やダジャレをバカにする者には、
「風が吹くと材木屋が儲かる」
「風が吹くと桶狭間がある尾張藩が儲かる」
という、ごく簡単な図式を直接に言っては憚れるから
婉曲に言いまわしたものだという意図が読み取れないのである。
「江戸で大火があると、材木屋が儲かる」
だけではない。その木材は木曾の山林からやってくるのである。
名古屋藩、つまり、いわゆる尾張藩の領地は膨大なものである。
尾張一国に、美濃の一部。これだけでオワリではない。
信濃の一部も領してたのである。とくに木曾からは、
表高の62万石のに匹敵する額の収入があったのである。
これを紀州出の吉宗は断とうとしたのである。
吉宗の政策を少しでも検討すると、そこから、
同人の徹底した「尾張家潰し」が見えてくる。実際、
「尾張家」は、吉宗の曾孫にあたる第11代将軍家斉の子を
養子に入れられることになるのである。また、
町屋の屋根を茅葺や板葺きから瓦葺きにせよとなったときにも、
結局は尾張のライヴァルであり、徳川家「発祥」の岡崎、浜松の
三河の三州瓦を葺かせるようになった経緯も、
「裏」がありそうである。それから、側近中の側近、
大岡忠相を大名に引き上げて西大平に領地を与えたことにも、
そこが岡崎の隣で、刈谷、高浜、西尾、吉良、などの
矢作川流域の土地と何やら関連がありそうなのである。さらには、
それらがまた、将軍家の中の「明智人脈」が織りなす絢を
形成してることに気づかされるのである。
綱吉就任、若年寄稲葉正休による親類筋である大老堀田正俊刺殺事件、
土井利意と吉良義央の諍い、赤穂・吉良事件、等など。
イナバの物置は百人乗っても大丈夫、なんだそうであるが、
斎藤福子(春日局、つまり明智一族)の倅稲葉の美濃人脈は
弐百年経っても大丈夫、だったのである。
「七重八重、花は咲けども。山吹の、美濃ひとつだに、なきぞかなしき」
家光の系統が途絶えて吉宗の代になっても、その
勝手掛老中を務めた松平乗邑の三男が、遠山の金さんの祖先の領地だった
美濃岩村藩を継ぐことになるのである。
(その弐につづく……期日は未定)
再びコメントありがとうございました。
きっと、何らかのフィルターがあって、それに引っかかった言葉の含まれているコメントが削除される・・・とかって事なのかなと想像していますが、本当に、未だにどういう経緯で消されているのか分かりません。
でも、それで実際にある程度なごやかな雰囲気が保たれてもいるようなので、一概に悪いとも癒えず・・・。
ともかく、今回は消えなくてよかったぁ。
またこちらも覗きに参ります。
お邪魔しましたー!
プチMで楽天屋なので、コメントが削られても、
心がボキっと折れてしまうようなことはありません。
音楽に関しては感情に左右されがちなのに、
ama損失も貸方に仕訳けてしまうほどの
勘定オンチです。以前は
人様のウェブサイトやブログなどに
コメントを書き込むようなことはしてませんでした。が、
私のHNを騙ってある方のブログに書き込んだ
勇気ある人がいたようです。あとで
書き込みをされた方からお返しのコメント
というものをいただいて、初めて知りました。が、
うかがってみれば、とても私が書き込むような
内容でも筆致でもありませんした。
そのようなニセ書き込みが私のものでないことに
容易に気づいていただくために、それなら、
私の「文章」「内容」を真似れるものなら
まねてみて下され、という思いで、
よそ様のサイトにコメントを書くようになりました。
といっても、私は男嫌いなたちなので、その
ほとんどがきれいで聡明な女性のブログにですが。
というのはたてまえです。本当は、
オヤジギャグを発さずにはいれない癖を患ってて、
つい最近までは「ビヨンセ」のことを
東北方面の「美容師」だと思ってたくらいの
駄メージ甚大脳な私なので、
コメントを書きこむのはその
リハビリだと思って大目に見て下されば幸甚です。
削られた、というよりは、おそらく
「400字」を超えてた、ので、
当初載っかってたのがそもそも「間違い」だった、
のだと勝手に解釈してます。
追伸:プロフィールに書き忘れたものがあります。
簿記 thank you.
まだ、今日書かれたエントリーとプロフィールを書かれていたエントリーしか拝読しておりませんが、passionbbbさんのちょっとクセのある言い回しに、思わず引き込まれておりました。色々なことをご存知なんですね。私はたいした知識もなくブログだの携帯サイトだのと文章を書いているので、passionbbbさんのような方の文章を読むと、時々時分が恥ずかしくなります。でもまあ、書きたい事を書いてしまうんですが・・・。
さて、実はどうしてこちらにお邪魔したかと言いますと、先ほど私のブログにコメントを投稿して頂いたのをメールで知り、その面白さにもう少しこの方の文章を読んでみたいと思ったからでした。
そうしてこちらにお邪魔してから、もう一度自分のブログに戻ったら、なんと、折角書いて頂いたコメントが消えておりました。
大変申し訳ありません。
ア◯ブロのオフィシャルブログでは、社内の方が、勝手にコメントを判断して消去しているようです。私のブログでは既になんどもなんどもコメント消失事件があり、それで離れて行ってしまわれたかつての常連さんもいらっしゃいます。私も事務所を通して、なぜ勝手に消されるのかと聞いた所、そのままほったらかしにされています・・・。
それにしても、どうしてpasisionbbbさんに書いて頂いたあのコメントが消えるのか、基準が全く分かりませんよね。あまりにもそういう消え方が多いので、本当に書いて頂いた方に申し訳なく思っています。
こちらには、こう言う場違いなコメントを投稿してしまって申し訳ないのですが、このような方法しかご連絡の手段を見つけられませんでしたので、お読みになったらそのままにするなり、消去されるなりされて下さい。
それにしても、隅田川にかかっているどっかの橋が鎧のデザインだというのは随分前にどこかで読んだのですが、なぜ鎧!?と、なんとなく腑に落ちていないままになっていたので、目から鱗でした。
お気を悪くされたかもしれませんが、もしもお許しいただけるようでしたら、是非また私のブログに遊びにいらして下さい。
消えてしまいましたが、本日のコメント投稿、ありがとうございました。