チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「チャイコフスキー『悲愴交響曲』第2楽章のガラシャ様」

2008年06月15日 21時00分46秒 | 悲愴中毒(おreたちdニasはない
昨日、地下鉄の新副都心線が開通したらしい。ときに、
東京メトロは宮崎あおいがCMに起用されてるのだとか。
吉永小百合を使うJR東日本といい、東京メトロといい、
私にはまったくなじまない鉄道会社である。
東横線が地下に潜るまでは渋谷止まりのようであるが、いずれにしても、
これから先、利用することもないだろう。現在私は、
篤姫が腰入れ前の1年間を過ごした薩摩藩渋谷屋敷があった
常盤松あたりが居所である。ときに、
このあたりは渋谷金王丸(のちに出家して土佐坊昌俊)の縁深い
金王(こんのう)神社がある。義朝の家来でその謀殺を
決死の「敵陣突破」で常盤御前に伝えた故事を、
関ヶ原の島津義弘の「敵陣中央突破」と重ねた鹿児島藩が
幕末、常盤松伝説の地に屋敷を購入したものである。ちなみに、
土佐坊昌俊はのちに頼朝の命を受けて常盤御前の倅の義経暗殺を図る、
という縁を重ねる。が、失敗して義経の手勢に捕まり、
鴨川河原で斬首され晒されたという。さて、ときは移り、
今日は港区長戦の投票日だったようである。私の住所は港区であるが、
自公民社という「超党派」の現職と共との一騎討ちでは、
勝敗はすでに決してる。私の「出る幕でもない」だろう。
毎度どおり、投票率は超低なことと予想される。さて、
常盤御前は倅らの助命のためにその身を主人の敵である
清盛の愛人となったようだが、敵将の人質となって
主人の不利とならないように自らを家臣に殺させた細川ガラシャとは、
目的は同じとはいえ、手段は大違いなことである。なお、
手柄が薄かったにもかかわらず、
細川家が豊前小倉から、加藤忠広が改易された肥後熊本へ、
明智の縁者で固められた徳川家によって大増禄されて移封されたのは、
忠利が光秀の孫だからである。ところで、
明智光秀の娘珠子の洗礼名ガラシャが、
gratia(グラーティア)というラテン語で、
「神の御恵、恩寵」という意味であることは、近年、
いたるところで解説されてる。

「allegro con grazia」
(アッレーグロ・コン・グラッツィア)
チャイコフスキーの「悲愴」の第2楽章は、
このように示されてる。恩寵→音調は優雅に、
ということかもしれない。が、この「grazia」、
単に「優雅」ということではないのである。イタリア語の
「grazia」は、前述のラテン語
「gratia」が由来である。意味もそのまま引き継いでる。
正真正銘の医者の倅ベン・ケーシー・高峰のセリフ、
「グラッツィエ(grazie)=感謝(する)」も同源である。
そして、この意味は、イエス自身の御恵から、その御母堂である
聖母マリアを指す言葉にもなった。
チャイコフスキーがその「6番交響曲」で「祀った」人物は
母「アレクサンドラ」である。同性愛者という異端者だった
チャイコフスキーが生きた世界は「修羅」場だったことだろうし、
「主ら」も「シューラ」もない地獄だったに違いない。ともあれ、
「allegro con grazia」の「con grazia」は、
「優雅さをもって」の横に「神のみめぐみを授かったごとき至福感をもって」
という意味が並べられてるのである。ゆえに、この章の主主題は、
♪ミ<ファ<ソ(>ファ<ソ)<ラ<シ<ド♪という、
「弦楽セレナード」のワルツ章と同じな上昇音階で構成されてる。が、
チャイコフスキーが法悦の世界に浸れたモーツァルトの世界を模したこの
「弦楽セレナード」の第3楽章である緩徐章が「エレジー」だったように、
「悲愴」第2楽章の中間部では、終楽章終いの
「亡き母とのラストダンスによる死出の道」を「予告する」節になってるのである。
*♪ミー・ーミ・・ミー・ーー・>レー│>ドー・ード・・ドー・ーー・>シー*♪
「con dolcezza e flebile」
(コン・ドルチェッツァ・エ・フレービレ)
=「労わるような優しさをもって、そして、悲しげに」
まさに、聖母マリア様が我が子イエスを見つめる慈愛である。が、
これは「予知」であって、終楽章とまったく同一ではいけない。
異端ながら、道を踏み外しながらも、至福の世界に浸ってる章である。
その中に「不安」「前兆」が「顔を覗かせる」、
という中間部の「仕組み」なのである。ここで一気に
テンポを落として演奏するような指揮者には、はなから
チャイコフスキーは無理である。あえてチャイコフスキーに
関わろうなどとする必要もない。また、
まだ楽譜が読めない無垢な者がそんな愚演を耳にして、
(「悲愴」の2楽章は真ん中の部分はテンポが落ちるんだ!)
と思いこんでしまったらその罪は重い。ともあれ、
終楽章の終いの、ロ短調で再現される
*♪ミー│ミー・>レー、>ドー│ドー・>シー*♪
は、ニ長調だった呈示時、
「con lenezza e devozione」
(コン・レネッツァ・エ・デヴォツィオーネ)
=「慈愛と献身の心をこめて」
と指定されてたのである。

ところで、メンデルスゾーン姉弟は「バッハ」の
「マタイ・パッション」信奉者だった。姉ファニー・ヘンゼル女史のpf曲
「12箇月」のプロローグなど、「マタイ・パッション」の
冒頭そのものである。といっても、チャイコフスキーが
同性愛者だったから「fanny」とオソロというわけではない(※)。
いっぽう、弟フェーリクスの作品に
「リーダー・オーネ・ヴォアテ」というピアノ曲集がある。その中の、
op.30-5は「小川」と呼ばれてるらしい。
*♪ミ<ファ│<ソ<ラ・>ソ>ファ│>ミー*♪
2♯、ニ長調である。
(cf:「悲愴」第2楽章中部
 →*♪ミー・ー<ファ・・<ソー・ーー・<ラー│
   >ソー・ー>ファ・・>ミー・ーー・>レー*♪)
そして、この「無言歌」の発想標語は、
「アンダーンテ・グラッツィオーゾ」
である。

それはともかく、
「悲愴」第2楽章中間部の通奏低音「d」は、
diva→「神々しい」母=同名の妹の嫁ぎ先の姓
「ダヴィードフ(ダヴィードヴァ)の頭文字」
→「献呈する甥ヴラヂーミル・ダヴィードフの姓の頭文字」
を表してるのである。かつて、
ハリウッドの女優にフィラデルフィアの大金持ちの娘がいた。
父はアントワープ五輪のボウト・スィングルスカル、
アントワープおよびパリ五輪のダブルスカル、の金メダリスト、
兄もメルボーン五輪のスィングルスカル銅メダリスト、である。ともかく、
「上流階級」の令嬢だった。さて、
この女優の「引退作」のタイトルは「白鳥」である。そして、
役名は王女「アレクサンドラ」。のちに
不出来な子らのために自動車事故で死ぬモナコ大公妃である。
「我が子への慈愛と献身」……これこそが母親の姿である。
能の足りない倅に教育熱心になることでも、
見切りをつけて次男のほうに期待をかけることでも、
謝罪会見にしゃあしゃあと出てきて
へなへなと腰くだけに地面に横臥せになってみせることでもない。
「この母親」にまともな「人間の心」があるとしたら、
出来の悪い倅が起こした殺人事件の数時間後にはすでに
自決してたことだろう。せめても、すべての財産を遺族に残して。

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