チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「ダルゴムイシスキー様式のバロック舞曲/ダルゴムイシスキー生誕200年」

2013年02月14日 00時27分29秒 | 説くクラ音ばサラサーデまで(クラ音全般
ダルゴムイシスキーは、
ナポレオン軍が這々の体で敗走してった翌年、
現在のロシアのトゥーラ州で生まれた。ちなみに、
その5年後にはわりと近くで、のちに
名門貴族くずれ作家となるいわゆるトルストイが生まれる。
それはともあれ、ダルゴムイシスキーも、
父親が大貴族の妾腹という貴族の出身である。
当時のロシア帝国は、ほとんどが
西欧からの帰化人で占められる貴族以外は、
貴族の部屋住み次男・三男の家系から医者・弁護士、
新興商人ブルジョワになった階層を除いて、
人間扱いではなかった(文字も読めない)。だから、
いわゆる音楽家などは農奴あがりにやらせてればいい、
というものだった。
ロシアのプロの作曲家のさきがけとされてる
グリーンカもそれに嗣ぐ世代(9歳下)のダルゴムイシスキーも、
実家に金があったからこそ職業音楽家になれたのである。

数少ない我が国のダルゴムイシスキーに関する資料には、
その功績はロシア語の抑揚に合わせた曲作りにあった、
となってる。だから、未完だったオペラ
「石の客」(要するに、プーシキンが脚色したドン・フアン)が、
ダルゴム石好キーの最重要作品なのらしい。とはいえ、
岡倉天心と甘栗天津と蒸籠点心とナポレオン軍転進と
カメンライダー変身、の違いが
いまひとつ解らない拙脳なる私には、
そんな小難しいことはなじまない。なので、
上記の憂鬱なワルツのような、
ダルゴムイシスキーが残したサロンふうな通俗的ピアノ小品にしか
あまり心動かされないのである。

そんな中のひとつに、
「カザチョーク(ちょっとしたコサック・ダンス)」、つまり、
「ゴパック(ホパーク)」がある。

♪ミーー<ファ・(<ラ>)ソー>♯ファー│
(<ラ>)ソー>♯ファー・<ソー<ラー│
>ファー<ソー・>ミー<ファー│
>レー(<ファ>)レー・>ドーーー♪
(この箇所を含めてオルゴールふうにアレンジしたものを
TwitSoundにアップしておきました。
http://twitsound.jp/musics/tsgQaQqQi)

チャイコフスキーにはウクライナ・コサックの血も流れてる。
後年、チャイコフスキーは大バッハの「管組」を模したものを
モーツァルト作品の編曲ものを含めて「4作品」残した。そしてその
「組曲第2番」(1883)の終楽章(第5楽章)を
「バロックふうダンス(ダルゴムィスィスキーの様式で)」としたのである。
タンブーランふうの舞曲である。

[Vivaciccimo(4分音符=168)、2/4拍子、無調号(ハ長調)]
♪ドーー<レ・<ミー<ソー│
>ファーーー・>ミーーー│
>レーー>♯ド・<レー<ミー│
>ドーーー・>シーーー♪
(この部分をアコーディオンふうにアレンジしたものを
TwitSoundにアップしておきました。
http://twitsound.jp/musics/tshXvBFXl)

「組曲第2番」は、ウクライナ・コサックの頭領が題材のオペラ
「マゼッパ」を書き上げた直後の作品である。
その年の夏をチャイコフスキーはモスクワの北北東約50kmの
Подушкино(パドゥーシキナ)にある
弟アナトーリーのダーチャ(都市郊外の夏の貸別荘)で過ごした。
そこには、アナートリーが前年に結婚した
Прасковья Владимировна Коншина
(プラスコーヴィヤ・ブラヂーミラヴナ・コーンシナ、1864-1956)がいた。
チャイコフスキーとはかなり気が合ったらしい。
死ぬまでのたった10年間にプラスコーヴィヤには
100通以上の手紙を書いてるほどである。ちなみに、
プラスコーヴィヤの母親は、トレチャコフ美術館の元となった
トレチャコフ兄弟の妹、つまり、大富豪トレチャコフ家の娘である。
下の兄パーヴィルの娘ヴェーラと結婚したのが、
ラフマニノフの従兄弟でピアニスト・作曲家のジロティである。ともあれ、
チャイコフスキーはこの「組曲第2番」を弟の嫁に献呈した。弟夫妻には、
一人娘のタチヤーナ(1883-1970)が生まれたばかりだった。だから、
組曲の第4楽章が"Reves d'enfant(レヴ・ドンフォン=幼な子の夢)"
なのである。私の夢は、きれいなおねえさんと
帝国ホテルのインペリアルスイートルームのバスルームで
水かけごっこをすることである。。。
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