[ときにより、売れ過ぐれば民の、ナゲットなり]
マクドナルドの期間限定100円ナゲットが売れすぎて、
終了期日の26日まであと3日もあるのに発売を中止した、
と報道されてた。安いトナルト世の中はこうなのである。
安ければそこに(7割の)人は群がる。それは
ごく自然なことである。が、
五穀豊穣も護国豊饒も願う私の五穀の中に
パン粉は入ってない。ところで、
私が10代の頃、中東戦争(イスラエルvs中東アラブ諸国)が盛んだった。
その第4次戦争でアラブ石油輸出国機構は原油生産を制限し、
原油の値をつり上げた。日米戦争の敗戦で
米国の経済属国となってた日本にも大きい影響があった。
深夜番組がなくされたのはともかく、
米国からパルプを輸入してた関係で、
本類の紙がきわめて粗悪なものになった。とくに、
第2次オイルショックの1979年あたりは、
わら半紙のような紙になった。ところで、
和紙の原料のひとつである三椏(ミツマタ)は、
江戸時代に一般に使われた紙の原料だった。
駿河が主たる産地だった。が、
明治になると中国や四国の山間部に移った。
愛媛の山間部でも栽培され、改良半紙となった。
その古紙を回収して商売にしてたのが、伊予三島、
現在の愛媛県四国中央市の井川伊勢吉だった。
それが現在の大王製紙である。そして、
その弟が興したのが現在のカミ商事であり、
同じく井川一族でエリエールとエルモアを売ってるというわけである。
逮捕前の井川意高を追ってた各TV局のカメラの前で、
同人はマカオというよりはマガオだった。
創業者である爺さんはリヤカーで古紙を回収してたのに、
子会社が井川意高に貸した80億円あまりのうちまだ
50億円が未回収なのだという。
ところで、
第1次オイルショックで引き起こされた世界的経済混乱を回復させようと、
フランス大統領の別邸となってるパリ近郊のランブイエ城に、
1975年(昭和50年)、当時のフランス大統領ジスカル=デストンの発案で
先進国6か国(米、英、独、仏、伊、日)を集めて首脳会議が開催された。
それが第1回サミットである。ちなみに、
ジスカル=デストンのように、フランス大統領には、ガルワでも入学できなかった
理工系エリート養成学校であるエコル・ポリテクニク出身が多い。さて、
そのジスカル=デストンとの大統領選のリヴェンジに勝ったのが、
フランスワ・ミテロンである。ミテロンという男は
「転向」が信条の政治家だった。
社会党のミテロンだが、若い頃は極右だった。
反ユダヤのファスィストだったのである。それが、
反ユダヤのナツィスにフランスがいとも簡単に支配されると一転、
左翼に翻った。大統領になってからも同様である。
左翼社会党だから、めぼしい産業は国有化、
金持ちに課税、低所得者への社会保障強化、
財政再建に向けての予算ばらまき、
という政策を打ち立てた。が、
そんなご立派な信条とは裏腹に、
インフレが加速して景気は落ち込み、失業率が上がってしまう。
目を覆うほど、見テランないほどの大失敗だった。
同時期のサッチャー女史やレーガン、そして中曽根が成功してる中、
ミテロンだけが恥かき男だったのである。が、
そんな30年前の「失敗策」に倣おうとしたのが、
日本民主党である。上記のミテロンの政策と
まったく同じである。愚の骨頂としか言いようがない。とはいえ、
こいつら民主党の本意は、日本を貶めることにあるのだから、
その愚策はこいつらにとっては良策なのである。ともあれ、
信念も信条もへったくれもなく、ミテロンは政策転換する。
首相の首をすげ替え、所得税減税、法人税減税、
社会保障費の削減、という、自由主義経済のサッチャーを
真似るのである。そうして、
フランスは国家財政破綻を免れた。それどころか、
フランス国民の間ではミテロンは歴代大統領の中でも人気者で、
善政を敷いた政治家として記憶されてるのである。そして、
ミテロンが行ったことでもっとも偉大なことは、
「死刑制度の廃止」だと認識されてるのである。
なぜ左翼に「死刑廃止論者」が多いのかといえば、
殺人を筆頭に死刑に値するような犯罪者が多いからである。
一族郎党から同志に至るまで、同胞の数を減らすわけがない。
人を殺した者が本心から悔い改心したのなら、
自ら命を絶つはずである。そうしないならば、
改心は嘘である。
政敵ジスカル=デストンにしろ、シラクにしろ、その
政治思想にかかわらず、フランスの大統領はとくに
女好きなことでは共通してる。だから、
フランスではいちいち政治家の性事倫理を問いただしてたら
政治が立ちゆかなくなってしまう。が、
ミテロンの場合は異常で病的だった。
前立腺癌になってからもさらに色事に精を出した。つまり、
その支配欲求の異様な強さが政治にも向いたのである。
社会主義というのは本来、
利益分配を公平にするのが大前提なはずである。ところが、
すばらしき"創造物"である女性だけでなく、
現実には自分だけが利益を独占するのが、こうした
社会主義者、左翼の正体なのである。
異性に関してはさらに拍車がかかり、
一人の女性だけを大切にする気など毛頭ない。
女性も女性で、他の女性からも好かれないような男では
自分も食指が動かないのである。が、きわめて
人間くさい、動物的、生命的な営みであり、
いたしかたないことである。ときに、
Danielle Mitterrand(旧姓Gouze=グズ)、
ダニエル・ミテロン、1924-2011)女史が
昨日死んだそうである。のちにフランス第5共和制第4代大統領になる
フランスワ・ミテロンとレズィストンスの同志で、1944年に結婚し、
3人の息子を産んだ。が、
ミテロンは数ある不倫相手の中でも、
オルセ美術館職員だったアンヌ・パンジョ女史をことのほか気に入り、
娘も設けた。それが現在、
作家として活躍してるマザリヌ・パンジョ女史である。
ミテロンは死後も我を通そうとした。
自分の葬儀には正妻と嫡出子のみならず、
同列に妾アンヌ女史と婚外子マザリヌも座らせることと
遺言したのである。これがTV中継され、
「ミテロンは人間味あふれる優しい男」
「フランスの偉大な大統領」
という認識を国民に与えたという。
正妻ダニエル夫人の思いはいかばかりだっただろう。
意外に知られてないが、フランスは50年ほど前までは
「男尊女卑」の最たる国だった。
男が妻やカノジョに暴力をふるうのは日常茶飯事だった。
つい何年か前も、俳優ジャン・ルイ・トランティニョンの娘が
ロック歌手のカレシに殴り殺された。ともあれ、
ミテロンが大統領に就任した際、
それまでの性事に触れないという禁を破って、
この母娘の存在を質問した記者がいた。が、ミテロンは、
"Et alors(エ・アロル)?"
とひとことだけ答えた。この言葉は、日本では
さして話題になることもなかった。そんな異国の風潮に、
「イマニみてろん、コンチクショ!」
とは言わなかったとは思うが、
約20年後に渡辺淳一が小説のタイトルにしたり、
それを原作にしたTBSのTVドラマがあった。そして、
日テレのTVドラマ「ハケンの品格」で篠原涼子女史の口癖ゼリフとして
「(……ですが、)それが何か?」
と放たれると、なんと
流行語大賞にまでなったのである。
チョヴェリバ!
マクドナルドの期間限定100円ナゲットが売れすぎて、
終了期日の26日まであと3日もあるのに発売を中止した、
と報道されてた。安いトナルト世の中はこうなのである。
安ければそこに(7割の)人は群がる。それは
ごく自然なことである。が、
五穀豊穣も護国豊饒も願う私の五穀の中に
パン粉は入ってない。ところで、
私が10代の頃、中東戦争(イスラエルvs中東アラブ諸国)が盛んだった。
その第4次戦争でアラブ石油輸出国機構は原油生産を制限し、
原油の値をつり上げた。日米戦争の敗戦で
米国の経済属国となってた日本にも大きい影響があった。
深夜番組がなくされたのはともかく、
米国からパルプを輸入してた関係で、
本類の紙がきわめて粗悪なものになった。とくに、
第2次オイルショックの1979年あたりは、
わら半紙のような紙になった。ところで、
和紙の原料のひとつである三椏(ミツマタ)は、
江戸時代に一般に使われた紙の原料だった。
駿河が主たる産地だった。が、
明治になると中国や四国の山間部に移った。
愛媛の山間部でも栽培され、改良半紙となった。
その古紙を回収して商売にしてたのが、伊予三島、
現在の愛媛県四国中央市の井川伊勢吉だった。
それが現在の大王製紙である。そして、
その弟が興したのが現在のカミ商事であり、
同じく井川一族でエリエールとエルモアを売ってるというわけである。
逮捕前の井川意高を追ってた各TV局のカメラの前で、
同人はマカオというよりはマガオだった。
創業者である爺さんはリヤカーで古紙を回収してたのに、
子会社が井川意高に貸した80億円あまりのうちまだ
50億円が未回収なのだという。
ところで、
第1次オイルショックで引き起こされた世界的経済混乱を回復させようと、
フランス大統領の別邸となってるパリ近郊のランブイエ城に、
1975年(昭和50年)、当時のフランス大統領ジスカル=デストンの発案で
先進国6か国(米、英、独、仏、伊、日)を集めて首脳会議が開催された。
それが第1回サミットである。ちなみに、
ジスカル=デストンのように、フランス大統領には、ガルワでも入学できなかった
理工系エリート養成学校であるエコル・ポリテクニク出身が多い。さて、
そのジスカル=デストンとの大統領選のリヴェンジに勝ったのが、
フランスワ・ミテロンである。ミテロンという男は
「転向」が信条の政治家だった。
社会党のミテロンだが、若い頃は極右だった。
反ユダヤのファスィストだったのである。それが、
反ユダヤのナツィスにフランスがいとも簡単に支配されると一転、
左翼に翻った。大統領になってからも同様である。
左翼社会党だから、めぼしい産業は国有化、
金持ちに課税、低所得者への社会保障強化、
財政再建に向けての予算ばらまき、
という政策を打ち立てた。が、
そんなご立派な信条とは裏腹に、
インフレが加速して景気は落ち込み、失業率が上がってしまう。
目を覆うほど、見テランないほどの大失敗だった。
同時期のサッチャー女史やレーガン、そして中曽根が成功してる中、
ミテロンだけが恥かき男だったのである。が、
そんな30年前の「失敗策」に倣おうとしたのが、
日本民主党である。上記のミテロンの政策と
まったく同じである。愚の骨頂としか言いようがない。とはいえ、
こいつら民主党の本意は、日本を貶めることにあるのだから、
その愚策はこいつらにとっては良策なのである。ともあれ、
信念も信条もへったくれもなく、ミテロンは政策転換する。
首相の首をすげ替え、所得税減税、法人税減税、
社会保障費の削減、という、自由主義経済のサッチャーを
真似るのである。そうして、
フランスは国家財政破綻を免れた。それどころか、
フランス国民の間ではミテロンは歴代大統領の中でも人気者で、
善政を敷いた政治家として記憶されてるのである。そして、
ミテロンが行ったことでもっとも偉大なことは、
「死刑制度の廃止」だと認識されてるのである。
なぜ左翼に「死刑廃止論者」が多いのかといえば、
殺人を筆頭に死刑に値するような犯罪者が多いからである。
一族郎党から同志に至るまで、同胞の数を減らすわけがない。
人を殺した者が本心から悔い改心したのなら、
自ら命を絶つはずである。そうしないならば、
改心は嘘である。
政敵ジスカル=デストンにしろ、シラクにしろ、その
政治思想にかかわらず、フランスの大統領はとくに
女好きなことでは共通してる。だから、
フランスではいちいち政治家の性事倫理を問いただしてたら
政治が立ちゆかなくなってしまう。が、
ミテロンの場合は異常で病的だった。
前立腺癌になってからもさらに色事に精を出した。つまり、
その支配欲求の異様な強さが政治にも向いたのである。
社会主義というのは本来、
利益分配を公平にするのが大前提なはずである。ところが、
すばらしき"創造物"である女性だけでなく、
現実には自分だけが利益を独占するのが、こうした
社会主義者、左翼の正体なのである。
異性に関してはさらに拍車がかかり、
一人の女性だけを大切にする気など毛頭ない。
女性も女性で、他の女性からも好かれないような男では
自分も食指が動かないのである。が、きわめて
人間くさい、動物的、生命的な営みであり、
いたしかたないことである。ときに、
Danielle Mitterrand(旧姓Gouze=グズ)、
ダニエル・ミテロン、1924-2011)女史が
昨日死んだそうである。のちにフランス第5共和制第4代大統領になる
フランスワ・ミテロンとレズィストンスの同志で、1944年に結婚し、
3人の息子を産んだ。が、
ミテロンは数ある不倫相手の中でも、
オルセ美術館職員だったアンヌ・パンジョ女史をことのほか気に入り、
娘も設けた。それが現在、
作家として活躍してるマザリヌ・パンジョ女史である。
ミテロンは死後も我を通そうとした。
自分の葬儀には正妻と嫡出子のみならず、
同列に妾アンヌ女史と婚外子マザリヌも座らせることと
遺言したのである。これがTV中継され、
「ミテロンは人間味あふれる優しい男」
「フランスの偉大な大統領」
という認識を国民に与えたという。
正妻ダニエル夫人の思いはいかばかりだっただろう。
意外に知られてないが、フランスは50年ほど前までは
「男尊女卑」の最たる国だった。
男が妻やカノジョに暴力をふるうのは日常茶飯事だった。
つい何年か前も、俳優ジャン・ルイ・トランティニョンの娘が
ロック歌手のカレシに殴り殺された。ともあれ、
ミテロンが大統領に就任した際、
それまでの性事に触れないという禁を破って、
この母娘の存在を質問した記者がいた。が、ミテロンは、
"Et alors(エ・アロル)?"
とひとことだけ答えた。この言葉は、日本では
さして話題になることもなかった。そんな異国の風潮に、
「イマニみてろん、コンチクショ!」
とは言わなかったとは思うが、
約20年後に渡辺淳一が小説のタイトルにしたり、
それを原作にしたTBSのTVドラマがあった。そして、
日テレのTVドラマ「ハケンの品格」で篠原涼子女史の口癖ゼリフとして
「(……ですが、)それが何か?」
と放たれると、なんと
流行語大賞にまでなったのである。
チョヴェリバ!
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