美人ギタリストでタレントの村治佳織女史(35歳)が
舌癌のために当分の予定をキャンセルして長期休養に入ると
そのウェブサイトで公表したらしい。とすると、
少なくとも2回めの橈骨神経麻痺も
舌癌のリンパ節転移によるものだったのかもしれない。
酒が好きで喫煙者(幼少期の愛情不足と演奏へのプレッシャー)なら
発癌率は高くなるのはしかたないが、そもそも、
吉永小百合や坂本龍一なんかに見込まれて
親しくしてたのが運の尽きだったのである。
ベン・ケーシー・高峰みたいにさきっちょにできた、転移や浸潤のない
ごく初期のもの以外は舌癌は難しい。
あれほど貶日の所業をやり放題にされてもなお、
民主党やそこから退けられた徒党に入れる輩があとをたたない。
民主党大惨敗などといっても、それでも
17人もの貶日が当選してしまったのである。が、
<本日、海江田代表に幹事長職の辞表を提出しました。
今回の参議院選挙で、民主党は歴史的敗北を喫しました。
幹事長は選挙の責任者です。
特に、東京選挙区での敗北は、
候補者を一本化した私に全ての責任があります。
多くの方から温かい励ましを頂きましたが、辞意は変わりません。>
と、民主党幹事長はtwitterで自ら
"歴史的大敗北"
などと謳ってしまってるのである。
あれだけひどいことをしておいてそれでもなお
17人も当選するのだから、
"よくやった""まだまだ捨てたものではない"
という感想しか持ちえないと思うのだが。
癌細胞と同じで、根絶しなければまた増える、
かならず生じる、というのが"悪政"や"悪性"のアクセイたるゆえんである。
ともあれ、選挙前、
民主党が党所属国会議員に、
<ツイッターやブログを使って政策の審議経過や個人的な情報の発信を
しないよう"自粛"を求める>通知を出していた、
のは3か月ほど前のことだった。が、それは
一部には<ツイッターでバカが露見する>
という理由からだったとも報じられてた。
モナ山本女史との公道での堂々路チュウで一躍全国区に
その"ハンサムぶり"を轟かせた細野豪志大先生も
twitterを愛用してる口である。その
プロフィール欄にはこう書かれてる。
<民主党幹事長を務める衆議院議員です。
ツイッターでは個人的な考えをつぶやくと共に、
普段みなさんに伝わりづらい国会議員の仕事を、
わかりやすくお伝えしていきたいと考えています。
細野豪志本人と、ときどき秘書・佐藤でつぶやき中です。
選挙区は静岡5区です。>
まず、<@hosono_54>というアカウント。ゴーシだから54、
なとという最下等のダジャレ語呂合わせ。それに、
本人アカウントで<ときどき秘書がつぶやく>のはダメである。
秘書は別のアカウントで発言すべきである。ともあれ、
"ネット選挙"中のツイッターで細野大先生はこうつぶやいてる。
<これから仙台。
「自由主義とは反対者を認めることだ。
今の自民党は全体主義、ファシズムだ。
長く支持してきたが、やめた。
自由民主党と名乗る資格はない」
と語った91歳の男性と出会った場所です。
最終盤、もう一度、権力のあり方について話そうと思います。>
その翌日には、
<岡崎トミ子 @okazaki1035 候補と4ヶ所で街頭演説を行いました。
今回の選挙はこれまでになく厳しいですが、
オカトミ節は今日も健在でした。
古くからの支援者に若い応援団も加わり、
何としても勝ってもらいたい。>
選挙戦終盤に牛タンの町その他東北に行ったのは、いわゆる
"被災地"を慮ってますよ、というジェスチャーそのものである。
自民党がファシズムだというのを架空の91歳の持論という体で
巧く責任逃れしてるようである。が、
「韓国人の反日デモ参加は日本の国益」などという岡崎トミ子に
<何としても勝ってもらいたい>
というほうがよほど"別の国のナショナリズム"に溢れるファシズムである。
<(その8)皆さんなしではこの選挙は成り立たちませんでした。
明日の天気は全国的に晴れまたは曇り。投票という審判を待ちます。
※この写真は今年の5月19日に福島で田植えをした時の写真です。>
菅直人が被害を増大させた"福島"を思いやってますよ、というアピール。
<民主党政権の実績はマニフェストなどに記載しています。
「ほざく」というのは、批判でも異論でもなく罵倒です。
通常の社会生活の中で大人は使わない。
RT @OverthetopThe: @hosono_54
だから、自分達が政権とった時に何もせんと今更何をほざいとるんじゃ。>
現在の「ほざく」の語意のご説明、ごもっともである。が、
話者とてその意味を知らないのではなく、あえて使ってるのは明白である。
それだけ民主党が"子供手当に目がくらんだ意識レヴェルの国民を欺いた"
という意思表示なのである。
細野大先生は「日本語」についてとやかく言えたレヴェルではない。
それは後述のこの大先生の別のツイートで触れる。
では、最近のつぶやきから。
<人生には良いときもあれば悪いときもある。
困難に直面した時は寄りかかってもいい。
ただ、誰かから寄りかかられた時は、
寄りかかった時の倍の力で支える。
これが、私の考える共に生きる社会であり、私自身の生き方。>
「寄りかかった時の」では主体客体が曖昧になる。ここはおそらく、
「寄りかかられた」だろう。また、こうした形式名詞の
「とき」を漢字で「時」と書くと読みづらくなるので
公式文書でなくてもひらく、
というのが一般的に教養のある者の慣習なのだが、
細野先生はどうやら違うようである。が、ともあれ、
「作用反作用」というごく初歩のニュートン古典力学も知らないご様子。
倍の力では"支える"どころか"腕力で完璧に突きはなす"行為である。
先月下旬には、
<いよいよ、国会最終日。
国民のために残された法案成立を目指したいと思います。>
と、民主党が加担して東電に都合の悪い法案を廃案にしたくせに、
ツイッター上で虚偽の報告をして自ツイッターを炎上させた。
嘘をついったーのである。
また、先月上旬にはふたつも爆笑を勝ちとった。まず、
同胞蓮舫の愛犬写真附きツイートに対して、
<お~。ずぼらな瞳ですね。
蓮舫さん、今日はお疲れさまでした!>
これもすぐにフォロアーその他から指摘された。
永六輔や梓みちよ女史や元カノのモナ女史らから、
「こんにちは、細のちゃん。
あなたの喘ぎ声、そのちいさな○、ずぼらな瞳」
という返信はこなかったようだが、蓮舫は、
<細野さんのお茶目な誤字Tweet、からまれてるなぁσ^_^;。
急いで打つと、間違えること私もよくあるので気持ちがわかる。>
などと、"フォロウ"とも激オコプンプン丸ともオコさま並のアホともつかない
ツイートをしてた。
いっぽう、
この"お茶目"な失言のつい3日ほど前には、
<これまで沈黙してきましたが、
こういうツイートはやめていただきたい。
私は先祖からの日本人ですが、
在日の人たちを卑下するかのような表現は、
少なくとも私のツイッターのやり取りの中で
見過ごすことはできません。>
などとカム着火インフェルノに息巻いてた。
自分のツイッター以外のところでなら見過ごすことも悪びれない、
と言ってるようなものである。それはともあれ、大先生、
「卑下」という言葉の意味も知らない。これでも、
私大よりもさらに多額が日本人の税金でまかなわれてる
国立大学の京都大学法学部卒なのである。それがさらに
国会議員の先生として国民の税金を莫大な歳費として手にしてる。
学歴がなくても地道に真面目に田を耕し米を育てて
腰を曲げて働いて日本社会の一員として尽くしてきた
おじいさんおばあさんがたを
「おめえら無学歴が泥だらけになって汗水垂らして
腰曲げて収めた税金で一流大学と呼ばれる大学を出て
国会議員の先生になってやったぜ」と
バカにしせせら笑ってる人がいたとしたら、
それといったいどこか違ってるだろうか。ちなみに、
「卑下」の対象を自身以外にして使うむきがいまや
大勢いる。そうなると、誤用とはいえなくなる。
こいつらが建前とする"民主主義"と同じである。多数決である。
「新しい」を「あらたしい」と言う者がいなくなったのが
その極端な例である。巷の議論を垣間見ると、
"辞書を引くと"という言葉が溢れてる。
辞書に書いてあれば正しい、という短絡もまた愚かしいのだが、
その例として載ってたのが、国木田独歩が
田山花袋らとともに出した「抒情詩」(1997年)に著した
「独歩吟」なる詩編をまとめたものの序文の一節、
「新文明は物質的偏長の弊に陥り、
世を挙げて唯物主義の浅薄固陋に走り、
宗教は卑下せられ」
なのである。ところがこれは、
漢語名詞+動詞「す」(複合動詞)の未然形「せ」+受身の助動詞「らる」
なのであるが、国木田はこの
動詞「す」をその意味に加えて使役の助動詞「す」の意味も
ごっちゃに混用してるのである。ともあれ、
意味としてはたとえ強要された体であったとしても
主体である「宗教」が「卑下してる」のであって、
客体の「宗教」を誰かが(そんな用法があったとしても)
「卑下してる」のではないことは明白である。
「宗教は卑下させられて」
という意味なのである。いずれにしても、
京大を出ながら日本語のにの字も学習してない者が
権力の中枢にいたというのは国の内外に対して恥ずかしい話である。
国語を知らなければ一事が万事、政策や外交のこと
もな~~、きっと知らないぞ、と思われてしまうのである。
いっぽう、
閲覧者にこのように指摘されてる。
<細野さん、たまにRTの横のスペースを削除してるんで、
相手にリプが飛んでない時がありますよ。>
それに対する細野先生の返答:
<なるほど。気がつきませんでした。ご指摘ありがとうございます。>
なるほど、というのは丁寧親切に指摘してくれたかたには
失礼な物言いである、教えていただいてる者なのだから。
サッカーWCアジア予選の試合結果について。
<残念。オーストリア戦に期待!>
対して、閲覧者から:
<オーストラリアな。オーストリアはアジアじゃないから。>
(サッカーWC予選のこの場合、オーストラリアはアジア枠)
それに対する細野先生の返答:
<確かに。変換、ミスりました。皆さん、ご指摘ありがとうございます。
それにしても、悔しくてすぐには寝られん。>
たとえそうだとしても「変換ミス」は余計ないいわけである。
モーツァルトやベートーヴェンはさぞかし紫外線対策に悩まされたことだろう。ともあれ、
反日や日本に敵意むき出しの国のための政策は推進するくせに、
サッカーにだけは異様に日本を贔屓するエセ愛国者はこの大先生以外にも
非常に多い。普段は、
「国を越えて」「世界じゅうの人たちが手をとりあって」
などと言ってるのに限って、五輪やWCなどになると
蓑を脱いでナショナリストであることを平気でさらすのである。
で、この先生のもっともひどいつぶやきが、前述の売国集団政党に
twitterやブログの自粛を促させる原因となった以下の応答である。
<この三宅氏は本人じゃないですよw。三宅先生はお亡くなりになってますから。>
<三宅さん亡くなったの知らない政治家とかいるんだな>
<無知をさらけだしているな、瓦礫ばらまき議員は。。。>
<馬鹿発見、細野豪志大先生亡くなられた三宅氏にコメントす。>
<細野幹事長様。お疲れですね。もう見ているのも哀れです。
亡き三宅先生を生きていると勘違いして本気で会話しているとは。
その頭の混乱ぶりでは国会議員も務まらないでしょう。
一日も早く病院へ行くことをお勧めします。>
<オレも言いたくはないですが、コレばかりは
他の人と意見は一緒なので言わせてください。
三宅さんが亡くなったのをホントに知らなかったんですか?
世間でも三宅さんが亡くなったのを存じ上げているのに、
そんな調子で次の参議院選挙をやったら、
また敗北を見ることになりますよ。>
これらに対する細野先生の返答。
<大変、失礼致しました。私のコメントは削除致します。>
故人に失礼致しましたなのか、閲覧者に生返事してるのか、
よくわからないツイート。この件は4月20日あたりのことだが、
政治評論家三宅久之は昨年の11月に死亡してる。
三流大卒のそこらへんの中小企業の普通の勤め人レヴェルの男性でも
誰でも知ってることである。また、
自分にとって都合の悪いツイートは消してしまうという、
事故新幹線を土中に埋めてしまうのと同じ思考回路である。
削除してしまった文面はこうだった。
<三宅先生からコメント頂けるとは光栄です。
与党時代、定数削減の協議を幹事長間で何度となく行い、
民主党から妥協案も提示しています。>
さらに、
<ご指摘の通りですね。
ツイッターではなりすましが容易ですので、
対応をより慎重にするように致します。>
なりすましが容易などと容易に軽率な発言である。
これに対しても一般閲覧者から鋭いつっこみをされた。
<あの、そんな調子でネット選挙活動解禁って大丈夫ですか?>
ところが、細野先生は2月下旬にもお粗末な行いを露呈してた
(現在は3月21日以前をざっくり削除してるようだが)。
<細野豪志です。大前先生、大変、ご無沙汰しております。
先日、頂戴した「クオリティ国家」、拝読致しました。
しっかり、考えます。>
これは、
<大前研一 BOT ?@ohmaebot 2月27日
1時間読書をしたならば、3時間考えてみよう。>
への"リプ"だったのである。
<この人なんでbotに挨拶してるの?>
<botにマジレス。必見だよ。>
<いくら機械オンチでもbotに挨拶ツイートしちゃうのはまずいでしょ。>
などなど、世間の反響を呼んだのである。
これに対して細野先生は、
<ツイッターにはbotというものがあるのですね!
知らずに 挨拶してしまいました。
自分がツイートを始めて初の100リツイート越えが、
まさかの間違いツイートとは。
これがツイッターなんですね・・・。「bot」覚えました!>
と宣う。PCに触ったこともなければ、
ガラケーさえいじれないおじいさんおばあさん世代、否、
ももいろクローバーZと物入れクローゼットの違いがまったく判らない
私のようなオヤジ世代とは違うIT世代の1971年生まれで
しかも京大卒でである。
さて、細野先生が、
<私も富士山を目の当たりにして、三島の町を好きになりました♪>
<福島と共に歩む。皆さんとご一緒できるのを楽しみにしてます!>
<大阪で肉を食ってます。
経営者の皆さんの話によると、大阪の景気はまだまだとのこと。>
などと、富士山を見なければ三島は好きにならなかったし、
バスツアーで行くときだけ共に歩み、
貶日民主党が景気をさらに後退させたくせに
大阪の経営者のかたがたの話を聞かなければ
大阪の景気がまだまだだと気づかず、
というステキなツイートを繰り広げてた4月28日に私は、
「語意の空騒ぎ(道理と通り篇)」
( http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/d50fd6cefa58dfa5133b993001a58a05 )
というエントリをアップした。
東京芸術大学音楽学部楽理科に通う
「エッセイスト」と自称する美人ハーフ・タレントの
「通り」と「道理」の混同についてふれたが、最近また、
国民の税金が多く使われてるNHK交響楽団の
"首席"オーボエ奏者でエッセイストを自称する大先生もまた、
<どおりで最近遭遇しないじゃった。>
と、「道理」を「通り」だと誤認してた。また、
「作詞家」を自称し、ネット・エッセイ欄に寄稿し、
演芸誌の巻頭エセーにもエッセイを書いてる大先生も、
<なるほど!通りで空港にSPがたくさん!>
と、これまた物書きで大卒を端々に謳って自分を盛ることには
余念がないが「通り」と「道理」の違いも知らない
教養レヴェルを露呈させるツイートをしてた。とはいえ、
このご婦人はその勘違いぶりや無知ぶりがまた
滑稽すぎてむしろ笑わせてもらえるのでそれはそれでいいのだが……。
それにしても、昨今の"エッセイスト"とは、
羊のクロウン(dolly)みたいに、どれもこれもみな一様に、
「どーりで」に「道理で」という認識が欠如してるのである。
義務教育は大事である。
口にする高低アクセントも「ド↑-→リ↓デ」でなく
「ド↓-→リ→デ」なんて言っててまったく気にも留めないから、
"どおりで""通りで"とやらかす。
日本人の美徳のひとつは
「分相応」「身の丈を知る」「身のほどをわきまえる」「分際をまもる」
というものだったが、自分を盛ることには余念はないが、
基礎勉強をおろそかにしてて平気な日本の左翼政治家や、
オウム真理教のブレインで昨今も日本を貶める「緑の党」の思想的支柱である
中沢新一に傾倒する文化人が跳梁する世の中なのである。
義務教育の小学校の国語で学習してるはずの
基本的な読み書きもできないのに、
「政治家」「エッセイスト」などというのだから日本は懐が深い国である。だがまあ、
少なくともこの先生がたに道理は通らないのだろう。あ、
そうか。中国船が魚釣島周辺の日本領海内で跋扈してるのも
何とも思わない先生がただから、何を言っても馬耳右風なのか。
とはいっても、
"私はこのかたがたを卑下している"わけではない。
ただ老婆心で、ストリートに、否、ストレートにご忠告申しあげてるだけである。
むしろ、微笑ましく思い、応援してるのである。
(ガンバレっ!)
誤解なきよう。
舌癌のために当分の予定をキャンセルして長期休養に入ると
そのウェブサイトで公表したらしい。とすると、
少なくとも2回めの橈骨神経麻痺も
舌癌のリンパ節転移によるものだったのかもしれない。
酒が好きで喫煙者(幼少期の愛情不足と演奏へのプレッシャー)なら
発癌率は高くなるのはしかたないが、そもそも、
吉永小百合や坂本龍一なんかに見込まれて
親しくしてたのが運の尽きだったのである。
ベン・ケーシー・高峰みたいにさきっちょにできた、転移や浸潤のない
ごく初期のもの以外は舌癌は難しい。
あれほど貶日の所業をやり放題にされてもなお、
民主党やそこから退けられた徒党に入れる輩があとをたたない。
民主党大惨敗などといっても、それでも
17人もの貶日が当選してしまったのである。が、
<本日、海江田代表に幹事長職の辞表を提出しました。
今回の参議院選挙で、民主党は歴史的敗北を喫しました。
幹事長は選挙の責任者です。
特に、東京選挙区での敗北は、
候補者を一本化した私に全ての責任があります。
多くの方から温かい励ましを頂きましたが、辞意は変わりません。>
と、民主党幹事長はtwitterで自ら
"歴史的大敗北"
などと謳ってしまってるのである。
あれだけひどいことをしておいてそれでもなお
17人も当選するのだから、
"よくやった""まだまだ捨てたものではない"
という感想しか持ちえないと思うのだが。
癌細胞と同じで、根絶しなければまた増える、
かならず生じる、というのが"悪政"や"悪性"のアクセイたるゆえんである。
ともあれ、選挙前、
民主党が党所属国会議員に、
<ツイッターやブログを使って政策の審議経過や個人的な情報の発信を
しないよう"自粛"を求める>通知を出していた、
のは3か月ほど前のことだった。が、それは
一部には<ツイッターでバカが露見する>
という理由からだったとも報じられてた。
モナ山本女史との公道での堂々路チュウで一躍全国区に
その"ハンサムぶり"を轟かせた細野豪志大先生も
twitterを愛用してる口である。その
プロフィール欄にはこう書かれてる。
<民主党幹事長を務める衆議院議員です。
ツイッターでは個人的な考えをつぶやくと共に、
普段みなさんに伝わりづらい国会議員の仕事を、
わかりやすくお伝えしていきたいと考えています。
細野豪志本人と、ときどき秘書・佐藤でつぶやき中です。
選挙区は静岡5区です。>
まず、<@hosono_54>というアカウント。ゴーシだから54、
なとという最下等のダジャレ語呂合わせ。それに、
本人アカウントで<ときどき秘書がつぶやく>のはダメである。
秘書は別のアカウントで発言すべきである。ともあれ、
"ネット選挙"中のツイッターで細野大先生はこうつぶやいてる。
<これから仙台。
「自由主義とは反対者を認めることだ。
今の自民党は全体主義、ファシズムだ。
長く支持してきたが、やめた。
自由民主党と名乗る資格はない」
と語った91歳の男性と出会った場所です。
最終盤、もう一度、権力のあり方について話そうと思います。>
その翌日には、
<岡崎トミ子 @okazaki1035 候補と4ヶ所で街頭演説を行いました。
今回の選挙はこれまでになく厳しいですが、
オカトミ節は今日も健在でした。
古くからの支援者に若い応援団も加わり、
何としても勝ってもらいたい。>
選挙戦終盤に牛タンの町その他東北に行ったのは、いわゆる
"被災地"を慮ってますよ、というジェスチャーそのものである。
自民党がファシズムだというのを架空の91歳の持論という体で
巧く責任逃れしてるようである。が、
「韓国人の反日デモ参加は日本の国益」などという岡崎トミ子に
<何としても勝ってもらいたい>
というほうがよほど"別の国のナショナリズム"に溢れるファシズムである。
<(その8)皆さんなしではこの選挙は成り立たちませんでした。
明日の天気は全国的に晴れまたは曇り。投票という審判を待ちます。
※この写真は今年の5月19日に福島で田植えをした時の写真です。>
菅直人が被害を増大させた"福島"を思いやってますよ、というアピール。
<民主党政権の実績はマニフェストなどに記載しています。
「ほざく」というのは、批判でも異論でもなく罵倒です。
通常の社会生活の中で大人は使わない。
RT @OverthetopThe: @hosono_54
だから、自分達が政権とった時に何もせんと今更何をほざいとるんじゃ。>
現在の「ほざく」の語意のご説明、ごもっともである。が、
話者とてその意味を知らないのではなく、あえて使ってるのは明白である。
それだけ民主党が"子供手当に目がくらんだ意識レヴェルの国民を欺いた"
という意思表示なのである。
細野大先生は「日本語」についてとやかく言えたレヴェルではない。
それは後述のこの大先生の別のツイートで触れる。
では、最近のつぶやきから。
<人生には良いときもあれば悪いときもある。
困難に直面した時は寄りかかってもいい。
ただ、誰かから寄りかかられた時は、
寄りかかった時の倍の力で支える。
これが、私の考える共に生きる社会であり、私自身の生き方。>
「寄りかかった時の」では主体客体が曖昧になる。ここはおそらく、
「寄りかかられた」だろう。また、こうした形式名詞の
「とき」を漢字で「時」と書くと読みづらくなるので
公式文書でなくてもひらく、
というのが一般的に教養のある者の慣習なのだが、
細野先生はどうやら違うようである。が、ともあれ、
「作用反作用」というごく初歩のニュートン古典力学も知らないご様子。
倍の力では"支える"どころか"腕力で完璧に突きはなす"行為である。
先月下旬には、
<いよいよ、国会最終日。
国民のために残された法案成立を目指したいと思います。>
と、民主党が加担して東電に都合の悪い法案を廃案にしたくせに、
ツイッター上で虚偽の報告をして自ツイッターを炎上させた。
嘘をついったーのである。
また、先月上旬にはふたつも爆笑を勝ちとった。まず、
同胞蓮舫の愛犬写真附きツイートに対して、
<お~。ずぼらな瞳ですね。
蓮舫さん、今日はお疲れさまでした!>
これもすぐにフォロアーその他から指摘された。
永六輔や梓みちよ女史や元カノのモナ女史らから、
「こんにちは、細のちゃん。
あなたの喘ぎ声、そのちいさな○、ずぼらな瞳」
という返信はこなかったようだが、蓮舫は、
<細野さんのお茶目な誤字Tweet、からまれてるなぁσ^_^;。
急いで打つと、間違えること私もよくあるので気持ちがわかる。>
などと、"フォロウ"とも激オコプンプン丸ともオコさま並のアホともつかない
ツイートをしてた。
いっぽう、
この"お茶目"な失言のつい3日ほど前には、
<これまで沈黙してきましたが、
こういうツイートはやめていただきたい。
私は先祖からの日本人ですが、
在日の人たちを卑下するかのような表現は、
少なくとも私のツイッターのやり取りの中で
見過ごすことはできません。>
などとカム着火インフェルノに息巻いてた。
自分のツイッター以外のところでなら見過ごすことも悪びれない、
と言ってるようなものである。それはともあれ、大先生、
「卑下」という言葉の意味も知らない。これでも、
私大よりもさらに多額が日本人の税金でまかなわれてる
国立大学の京都大学法学部卒なのである。それがさらに
国会議員の先生として国民の税金を莫大な歳費として手にしてる。
学歴がなくても地道に真面目に田を耕し米を育てて
腰を曲げて働いて日本社会の一員として尽くしてきた
おじいさんおばあさんがたを
「おめえら無学歴が泥だらけになって汗水垂らして
腰曲げて収めた税金で一流大学と呼ばれる大学を出て
国会議員の先生になってやったぜ」と
バカにしせせら笑ってる人がいたとしたら、
それといったいどこか違ってるだろうか。ちなみに、
「卑下」の対象を自身以外にして使うむきがいまや
大勢いる。そうなると、誤用とはいえなくなる。
こいつらが建前とする"民主主義"と同じである。多数決である。
「新しい」を「あらたしい」と言う者がいなくなったのが
その極端な例である。巷の議論を垣間見ると、
"辞書を引くと"という言葉が溢れてる。
辞書に書いてあれば正しい、という短絡もまた愚かしいのだが、
その例として載ってたのが、国木田独歩が
田山花袋らとともに出した「抒情詩」(1997年)に著した
「独歩吟」なる詩編をまとめたものの序文の一節、
「新文明は物質的偏長の弊に陥り、
世を挙げて唯物主義の浅薄固陋に走り、
宗教は卑下せられ」
なのである。ところがこれは、
漢語名詞+動詞「す」(複合動詞)の未然形「せ」+受身の助動詞「らる」
なのであるが、国木田はこの
動詞「す」をその意味に加えて使役の助動詞「す」の意味も
ごっちゃに混用してるのである。ともあれ、
意味としてはたとえ強要された体であったとしても
主体である「宗教」が「卑下してる」のであって、
客体の「宗教」を誰かが(そんな用法があったとしても)
「卑下してる」のではないことは明白である。
「宗教は卑下させられて」
という意味なのである。いずれにしても、
京大を出ながら日本語のにの字も学習してない者が
権力の中枢にいたというのは国の内外に対して恥ずかしい話である。
国語を知らなければ一事が万事、政策や外交のこと
もな~~、きっと知らないぞ、と思われてしまうのである。
いっぽう、
閲覧者にこのように指摘されてる。
<細野さん、たまにRTの横のスペースを削除してるんで、
相手にリプが飛んでない時がありますよ。>
それに対する細野先生の返答:
<なるほど。気がつきませんでした。ご指摘ありがとうございます。>
なるほど、というのは丁寧親切に指摘してくれたかたには
失礼な物言いである、教えていただいてる者なのだから。
サッカーWCアジア予選の試合結果について。
<残念。オーストリア戦に期待!>
対して、閲覧者から:
<オーストラリアな。オーストリアはアジアじゃないから。>
(サッカーWC予選のこの場合、オーストラリアはアジア枠)
それに対する細野先生の返答:
<確かに。変換、ミスりました。皆さん、ご指摘ありがとうございます。
それにしても、悔しくてすぐには寝られん。>
たとえそうだとしても「変換ミス」は余計ないいわけである。
モーツァルトやベートーヴェンはさぞかし紫外線対策に悩まされたことだろう。ともあれ、
反日や日本に敵意むき出しの国のための政策は推進するくせに、
サッカーにだけは異様に日本を贔屓するエセ愛国者はこの大先生以外にも
非常に多い。普段は、
「国を越えて」「世界じゅうの人たちが手をとりあって」
などと言ってるのに限って、五輪やWCなどになると
蓑を脱いでナショナリストであることを平気でさらすのである。
で、この先生のもっともひどいつぶやきが、前述の売国集団政党に
twitterやブログの自粛を促させる原因となった以下の応答である。
<この三宅氏は本人じゃないですよw。三宅先生はお亡くなりになってますから。>
<三宅さん亡くなったの知らない政治家とかいるんだな>
<無知をさらけだしているな、瓦礫ばらまき議員は。。。>
<馬鹿発見、細野豪志大先生亡くなられた三宅氏にコメントす。>
<細野幹事長様。お疲れですね。もう見ているのも哀れです。
亡き三宅先生を生きていると勘違いして本気で会話しているとは。
その頭の混乱ぶりでは国会議員も務まらないでしょう。
一日も早く病院へ行くことをお勧めします。>
<オレも言いたくはないですが、コレばかりは
他の人と意見は一緒なので言わせてください。
三宅さんが亡くなったのをホントに知らなかったんですか?
世間でも三宅さんが亡くなったのを存じ上げているのに、
そんな調子で次の参議院選挙をやったら、
また敗北を見ることになりますよ。>
これらに対する細野先生の返答。
<大変、失礼致しました。私のコメントは削除致します。>
故人に失礼致しましたなのか、閲覧者に生返事してるのか、
よくわからないツイート。この件は4月20日あたりのことだが、
政治評論家三宅久之は昨年の11月に死亡してる。
三流大卒のそこらへんの中小企業の普通の勤め人レヴェルの男性でも
誰でも知ってることである。また、
自分にとって都合の悪いツイートは消してしまうという、
事故新幹線を土中に埋めてしまうのと同じ思考回路である。
削除してしまった文面はこうだった。
<三宅先生からコメント頂けるとは光栄です。
与党時代、定数削減の協議を幹事長間で何度となく行い、
民主党から妥協案も提示しています。>
さらに、
<ご指摘の通りですね。
ツイッターではなりすましが容易ですので、
対応をより慎重にするように致します。>
なりすましが容易などと容易に軽率な発言である。
これに対しても一般閲覧者から鋭いつっこみをされた。
<あの、そんな調子でネット選挙活動解禁って大丈夫ですか?>
ところが、細野先生は2月下旬にもお粗末な行いを露呈してた
(現在は3月21日以前をざっくり削除してるようだが)。
<細野豪志です。大前先生、大変、ご無沙汰しております。
先日、頂戴した「クオリティ国家」、拝読致しました。
しっかり、考えます。>
これは、
<大前研一 BOT ?@ohmaebot 2月27日
1時間読書をしたならば、3時間考えてみよう。>
への"リプ"だったのである。
<この人なんでbotに挨拶してるの?>
<botにマジレス。必見だよ。>
<いくら機械オンチでもbotに挨拶ツイートしちゃうのはまずいでしょ。>
などなど、世間の反響を呼んだのである。
これに対して細野先生は、
<ツイッターにはbotというものがあるのですね!
知らずに 挨拶してしまいました。
自分がツイートを始めて初の100リツイート越えが、
まさかの間違いツイートとは。
これがツイッターなんですね・・・。「bot」覚えました!>
と宣う。PCに触ったこともなければ、
ガラケーさえいじれないおじいさんおばあさん世代、否、
ももいろクローバーZと物入れクローゼットの違いがまったく判らない
私のようなオヤジ世代とは違うIT世代の1971年生まれで
しかも京大卒でである。
さて、細野先生が、
<私も富士山を目の当たりにして、三島の町を好きになりました♪>
<福島と共に歩む。皆さんとご一緒できるのを楽しみにしてます!>
<大阪で肉を食ってます。
経営者の皆さんの話によると、大阪の景気はまだまだとのこと。>
などと、富士山を見なければ三島は好きにならなかったし、
バスツアーで行くときだけ共に歩み、
貶日民主党が景気をさらに後退させたくせに
大阪の経営者のかたがたの話を聞かなければ
大阪の景気がまだまだだと気づかず、
というステキなツイートを繰り広げてた4月28日に私は、
「語意の空騒ぎ(道理と通り篇)」
( http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/d50fd6cefa58dfa5133b993001a58a05 )
というエントリをアップした。
東京芸術大学音楽学部楽理科に通う
「エッセイスト」と自称する美人ハーフ・タレントの
「通り」と「道理」の混同についてふれたが、最近また、
国民の税金が多く使われてるNHK交響楽団の
"首席"オーボエ奏者でエッセイストを自称する大先生もまた、
<どおりで最近遭遇しないじゃった。>
と、「道理」を「通り」だと誤認してた。また、
「作詞家」を自称し、ネット・エッセイ欄に寄稿し、
演芸誌の巻頭エセーにもエッセイを書いてる大先生も、
<なるほど!通りで空港にSPがたくさん!>
と、これまた物書きで大卒を端々に謳って自分を盛ることには
余念がないが「通り」と「道理」の違いも知らない
教養レヴェルを露呈させるツイートをしてた。とはいえ、
このご婦人はその勘違いぶりや無知ぶりがまた
滑稽すぎてむしろ笑わせてもらえるのでそれはそれでいいのだが……。
それにしても、昨今の"エッセイスト"とは、
羊のクロウン(dolly)みたいに、どれもこれもみな一様に、
「どーりで」に「道理で」という認識が欠如してるのである。
義務教育は大事である。
口にする高低アクセントも「ド↑-→リ↓デ」でなく
「ド↓-→リ→デ」なんて言っててまったく気にも留めないから、
"どおりで""通りで"とやらかす。
日本人の美徳のひとつは
「分相応」「身の丈を知る」「身のほどをわきまえる」「分際をまもる」
というものだったが、自分を盛ることには余念はないが、
基礎勉強をおろそかにしてて平気な日本の左翼政治家や、
オウム真理教のブレインで昨今も日本を貶める「緑の党」の思想的支柱である
中沢新一に傾倒する文化人が跳梁する世の中なのである。
義務教育の小学校の国語で学習してるはずの
基本的な読み書きもできないのに、
「政治家」「エッセイスト」などというのだから日本は懐が深い国である。だがまあ、
少なくともこの先生がたに道理は通らないのだろう。あ、
そうか。中国船が魚釣島周辺の日本領海内で跋扈してるのも
何とも思わない先生がただから、何を言っても馬耳右風なのか。
とはいっても、
"私はこのかたがたを卑下している"わけではない。
ただ老婆心で、ストリートに、否、ストレートにご忠告申しあげてるだけである。
むしろ、微笑ましく思い、応援してるのである。
(ガンバレっ!)
誤解なきよう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます