2013年12月は、
一節太郎(ひとふし・たろう、1941-)のデビュー曲でもある
「浪曲子守唄」(作詞作曲=越純平、1932-2006)の
レコードが発売されて半世紀である。
♪ドーーー・ーーーー・・>シーーー・<ドー>シー│
●●ラーー・ーー<シ>ラ・・>ファーーー・>ミーーー│
>ドー>シー・>ラー<シー・・<ドー<ミー・<ミー<ファー│
ーー>ミー・ーーーー・・ーーーー・●●●●♪
この歌謡曲の歌詞には、
「馬鹿」「無学」「土方」「めしたき女」「飯場」
というような、現在は
"差別語"などとして疎外されてる語が
ふんだんに使われてる。だから、
ミリオンセラーにもかかわらず、
NHKからお呼びがかかったためしはない。
「馬鹿」「無学」「土方」「めしたき女」「飯場」は、
使ってはいけない、言ってはいけない語であり、
どうしても表現しなければならないときはそれぞれ、
「知的能力が劣る人」「教育が不足している人」
「建設現場労働者」「女性家事支度人」「工事作業員宿舎」
のように"言い換え"が必要になる、のだそうである。が、
「キャベツ」はサベツではないので使ってよろしいらしい。ともあれ、
そうした背景には、それらの語に
"差別的""侮辱的"な意味が込められてることになってる、
という問題がある。だから、
悪意なく「不治の病」と表現しても、
受け手・聞き手が勝手にそこに差別・侮辱・悪意を感じる
"可能性が高い"ので、
「難病」
と言わなければならないらしい。私の母は、
子供の頃、父親(つまり、私の母方の祖父)に、
家で雇ってる家事手伝い女性たちを
「ねえや」ではなくて「ねえやさん」、
男衆(男性従業員)も名前にさん付けで呼びなさい、
と言われてると学友に話したら、みんな
男衆は名字を、お手伝いさんは名前を、
それぞれ呼び捨てで呼んでる、
別に差別・軽蔑はしてない、
使用人なんだから呼び捨てで当たり前だ、
さん付けなのはあなたのうちだけだと言われた、
と述懐する。
細井和喜蔵の「女工哀史」も、現在は
「女工」が"差別語認定"されてるので、そのタイトルも
「紡績工場就労者哀史」
と変更されるかもしれない。それから、
「才色兼備」「才媛」「才女」「女医」「女子大生」など、
"女性"をことさら明確にする語も使用してはいけないらしい。
「~嬢」も「~女史」「女流~」などもNGなんだそうである。
「長女・次女・三女」に限らず、
「長男・次男・三男」のような、
"序列を感じさせる"語もいけないらしい。だから、
「第一子・第二子・第三子」などのような無粋な言いかたに
替わってきてるのである。
西欧の言語にbrother、sisterの類の語があるが、
それらは長幼の別を分けない。区別しなければならないときは、
elderやyoungerなどで修飾する必要がある。また、
cousinは4親等のいとこだけでなく、遠縁の者まで指す。
そうした背景には、西欧では、
「同じ母から生まれた」ことが兄弟・姉妹の定義意識で
重用されてるので、その
長幼は問わない言葉であることが関係してるのである。
職業的に"差別・侮辱"の意味に取られてNGな語もある。
「漁夫の利」という、中国故事由来の諺がある。が、現在、
「漁夫」は"差別語"認定されてるので、
「漁師の利」あるいは「漁業労働者の利」と言い換えたものでなければ
書いてはならない、言ってはならないのである。
民族・人種などの呼称が"差別・侮辱"となってる例もある。
「ジャップ」「ニップ」のような、あきらかに侮辱した語である。が、
「白人」「エジプト人」が差別語であるなんて、
誰が言い出したのだろうか。
昭和62年に天皇陛下(昭和天皇)が下血されて、翌年の崩御まで
日本じゅうが"自粛"という時期があった。そのとき、
陛下を思って皇居に記帳に訪れてる日本人の光景が報道されてた。
<連日ニュースで皇居前で土下座する連中を見せられて、
自分はなんという「土人」の国にいるんだろうと思って
ゾッとするばかりです>(「文學界」平成元年2月号(文藝春秋社刊))
と言い放った浅田彰というのがいた。
「土人」とは「土に密着した生活・文化水準の民」
というものが原義である。そこには元来悪意はない。が、浅田の言は、
文脈からいってもあきらかに「侮辱」の意味である。ちなみに、
「土=地球」に密接に関わってるということでは、
ラテン語の由来の大地・地球を表すterraは、原義は
海や川や湿地ではなく「乾いた地」である。この、
「乾いた」という意味の「dry」が→「try」と清化して
「3」を意味するようにもなった。ご存じ、
西欧がキリスト教が浸透して崇められた数である。
(cf;「3というキリスト教の奇妙な数字とLady Gaga」
http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/e44e23858aa6a9171b903731bfe6440f )
それが「畏怖」→「恐怖」となってテロの語源となるのである。
石破自民党幹事長の、(特定秘密保護法反対大音量デモの)
<単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質において
あまり変わらないように思われます>
発言が浅田発言より侮蔑的かどうかはともかくも、
日頃からオヤジギャガーだったら、
「与党でやっテロよ!」
と高圧的に怒鳴られたといいわけできたかもしれない(※)。
石破氏はそのオタクっぷりがキモがられることがあるが、
肉体的・身体的に"差別・侮辱"の対象となった語もある。
「四つ」という、語の由来さえしかと断定できない語も
"差別語認定"されてる。だから、
相撲の「右四つ」「左四つ」「四つ相撲」も当然に禁句である。
「右手差し取り口」「左手差し取り口」「まわしを掴んで組む取り口」
のようにNHKの放送でも言い換えなければならない。
私のような容姿のキモい「醜男 」も、この
「醜男」という語がまた"差別認定"されてるらしい。ところが、
「醜男」の言い換えは「器量の悪い男」なんだそうである。が、
そう言い換えられても私がキモがられ、
いかなる異性からも好かれないのは、世の女性たちの
「器量の悪い男」に対する感情・本能的拒絶反応が
根本的に何ら改善されてないということである。
どんなに表現が変換され美化されようと、
私が女性たちから侮蔑・嫌悪の対象にされることに
変わりはないのである。
"差別語認定""差別語忌避"がいかに
偽善的なものであるかの証左である。たとえ私を公衆の面前で
「器量の悪い男」という言葉で罵っても、
[公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した]
という構成要件の該当性を免れるものではないこともまた事実である。
いっぽう、
実態のない語や虚偽の内容を含む語に対しても
「差別」を忌避しなくては筋がとおらないのだが、
虚偽を口にするような輩には、そんな配慮などあろうはずもない。たとえば、
「従軍慰安婦」などという実態はないのだが、それが
"想像上"の"架空"の"虚偽"のものであっても、
「ことさら女性を明確にしてるような語は「差別語」とされなければおかしい。
シブチンのくせに乱暴な扱いをする男ばかりの貧しい自国で売春するより
日本軍将校の数倍から十数倍の報酬を得れる道を率先して選んだ
売春士らに無礼千万である。
悪意善意を問わず中韓の歴史修正・歴史改竄主義者らは、件の想像上の職業を
「従軍慰安士」と改めるべきである。
ともあれ、
「逃げた女房」がかつてはいて子供を産んでくれただけでも幸せ者である。
稼ぎと頭髪が薄く、脂ぎった肌で粗い息の、
体臭・口臭でむせかえるような、醜い顔の私には、
金銭的対価なく付き合ってくれる女性すら
ひとりたりともいないのである。これを
差別の千切りと言わずして何と称するというのだ。
ミスコンは女性を容姿で優劣を決めるからけしからぬ、
という考えがあった。現在も、その
"人柄""能力"で判ずるのだそうである。
入学試験も"学力"だけが合否基準ではなくなる傾向が
さらに強まってる。が、
"人柄""能力"で決めるのは容姿や学力で決めるより
はるかに差別で問題がある。それはさておき、
昨今の流行り言葉できわめて差別的で残忍なものは、
「戦力外」
である。これを差別語の最たるものと言わずして
何を差別語と色分けしてるのだ。
一節太郎(ひとふし・たろう、1941-)のデビュー曲でもある
「浪曲子守唄」(作詞作曲=越純平、1932-2006)の
レコードが発売されて半世紀である。
♪ドーーー・ーーーー・・>シーーー・<ドー>シー│
●●ラーー・ーー<シ>ラ・・>ファーーー・>ミーーー│
>ドー>シー・>ラー<シー・・<ドー<ミー・<ミー<ファー│
ーー>ミー・ーーーー・・ーーーー・●●●●♪
この歌謡曲の歌詞には、
「馬鹿」「無学」「土方」「めしたき女」「飯場」
というような、現在は
"差別語"などとして疎外されてる語が
ふんだんに使われてる。だから、
ミリオンセラーにもかかわらず、
NHKからお呼びがかかったためしはない。
「馬鹿」「無学」「土方」「めしたき女」「飯場」は、
使ってはいけない、言ってはいけない語であり、
どうしても表現しなければならないときはそれぞれ、
「知的能力が劣る人」「教育が不足している人」
「建設現場労働者」「女性家事支度人」「工事作業員宿舎」
のように"言い換え"が必要になる、のだそうである。が、
「キャベツ」はサベツではないので使ってよろしいらしい。ともあれ、
そうした背景には、それらの語に
"差別的""侮辱的"な意味が込められてることになってる、
という問題がある。だから、
悪意なく「不治の病」と表現しても、
受け手・聞き手が勝手にそこに差別・侮辱・悪意を感じる
"可能性が高い"ので、
「難病」
と言わなければならないらしい。私の母は、
子供の頃、父親(つまり、私の母方の祖父)に、
家で雇ってる家事手伝い女性たちを
「ねえや」ではなくて「ねえやさん」、
男衆(男性従業員)も名前にさん付けで呼びなさい、
と言われてると学友に話したら、みんな
男衆は名字を、お手伝いさんは名前を、
それぞれ呼び捨てで呼んでる、
別に差別・軽蔑はしてない、
使用人なんだから呼び捨てで当たり前だ、
さん付けなのはあなたのうちだけだと言われた、
と述懐する。
細井和喜蔵の「女工哀史」も、現在は
「女工」が"差別語認定"されてるので、そのタイトルも
「紡績工場就労者哀史」
と変更されるかもしれない。それから、
「才色兼備」「才媛」「才女」「女医」「女子大生」など、
"女性"をことさら明確にする語も使用してはいけないらしい。
「~嬢」も「~女史」「女流~」などもNGなんだそうである。
「長女・次女・三女」に限らず、
「長男・次男・三男」のような、
"序列を感じさせる"語もいけないらしい。だから、
「第一子・第二子・第三子」などのような無粋な言いかたに
替わってきてるのである。
西欧の言語にbrother、sisterの類の語があるが、
それらは長幼の別を分けない。区別しなければならないときは、
elderやyoungerなどで修飾する必要がある。また、
cousinは4親等のいとこだけでなく、遠縁の者まで指す。
そうした背景には、西欧では、
「同じ母から生まれた」ことが兄弟・姉妹の定義意識で
重用されてるので、その
長幼は問わない言葉であることが関係してるのである。
職業的に"差別・侮辱"の意味に取られてNGな語もある。
「漁夫の利」という、中国故事由来の諺がある。が、現在、
「漁夫」は"差別語"認定されてるので、
「漁師の利」あるいは「漁業労働者の利」と言い換えたものでなければ
書いてはならない、言ってはならないのである。
民族・人種などの呼称が"差別・侮辱"となってる例もある。
「ジャップ」「ニップ」のような、あきらかに侮辱した語である。が、
「白人」「エジプト人」が差別語であるなんて、
誰が言い出したのだろうか。
昭和62年に天皇陛下(昭和天皇)が下血されて、翌年の崩御まで
日本じゅうが"自粛"という時期があった。そのとき、
陛下を思って皇居に記帳に訪れてる日本人の光景が報道されてた。
<連日ニュースで皇居前で土下座する連中を見せられて、
自分はなんという「土人」の国にいるんだろうと思って
ゾッとするばかりです>(「文學界」平成元年2月号(文藝春秋社刊))
と言い放った浅田彰というのがいた。
「土人」とは「土に密着した生活・文化水準の民」
というものが原義である。そこには元来悪意はない。が、浅田の言は、
文脈からいってもあきらかに「侮辱」の意味である。ちなみに、
「土=地球」に密接に関わってるということでは、
ラテン語の由来の大地・地球を表すterraは、原義は
海や川や湿地ではなく「乾いた地」である。この、
「乾いた」という意味の「dry」が→「try」と清化して
「3」を意味するようにもなった。ご存じ、
西欧がキリスト教が浸透して崇められた数である。
(cf;「3というキリスト教の奇妙な数字とLady Gaga」
http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/e44e23858aa6a9171b903731bfe6440f )
それが「畏怖」→「恐怖」となってテロの語源となるのである。
石破自民党幹事長の、(特定秘密保護法反対大音量デモの)
<単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質において
あまり変わらないように思われます>
発言が浅田発言より侮蔑的かどうかはともかくも、
日頃からオヤジギャガーだったら、
「与党でやっテロよ!」
と高圧的に怒鳴られたといいわけできたかもしれない(※)。
石破氏はそのオタクっぷりがキモがられることがあるが、
肉体的・身体的に"差別・侮辱"の対象となった語もある。
「四つ」という、語の由来さえしかと断定できない語も
"差別語認定"されてる。だから、
相撲の「右四つ」「左四つ」「四つ相撲」も当然に禁句である。
「右手差し取り口」「左手差し取り口」「まわしを掴んで組む取り口」
のようにNHKの放送でも言い換えなければならない。
私のような容姿のキモい「醜男 」も、この
「醜男」という語がまた"差別認定"されてるらしい。ところが、
「醜男」の言い換えは「器量の悪い男」なんだそうである。が、
そう言い換えられても私がキモがられ、
いかなる異性からも好かれないのは、世の女性たちの
「器量の悪い男」に対する感情・本能的拒絶反応が
根本的に何ら改善されてないということである。
どんなに表現が変換され美化されようと、
私が女性たちから侮蔑・嫌悪の対象にされることに
変わりはないのである。
"差別語認定""差別語忌避"がいかに
偽善的なものであるかの証左である。たとえ私を公衆の面前で
「器量の悪い男」という言葉で罵っても、
[公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した]
という構成要件の該当性を免れるものではないこともまた事実である。
いっぽう、
実態のない語や虚偽の内容を含む語に対しても
「差別」を忌避しなくては筋がとおらないのだが、
虚偽を口にするような輩には、そんな配慮などあろうはずもない。たとえば、
「従軍慰安婦」などという実態はないのだが、それが
"想像上"の"架空"の"虚偽"のものであっても、
「ことさら女性を明確にしてるような語は「差別語」とされなければおかしい。
シブチンのくせに乱暴な扱いをする男ばかりの貧しい自国で売春するより
日本軍将校の数倍から十数倍の報酬を得れる道を率先して選んだ
売春士らに無礼千万である。
悪意善意を問わず中韓の歴史修正・歴史改竄主義者らは、件の想像上の職業を
「従軍慰安士」と改めるべきである。
ともあれ、
「逃げた女房」がかつてはいて子供を産んでくれただけでも幸せ者である。
稼ぎと頭髪が薄く、脂ぎった肌で粗い息の、
体臭・口臭でむせかえるような、醜い顔の私には、
金銭的対価なく付き合ってくれる女性すら
ひとりたりともいないのである。これを
差別の千切りと言わずして何と称するというのだ。
ミスコンは女性を容姿で優劣を決めるからけしからぬ、
という考えがあった。現在も、その
"人柄""能力"で判ずるのだそうである。
入学試験も"学力"だけが合否基準ではなくなる傾向が
さらに強まってる。が、
"人柄""能力"で決めるのは容姿や学力で決めるより
はるかに差別で問題がある。それはさておき、
昨今の流行り言葉できわめて差別的で残忍なものは、
「戦力外」
である。これを差別語の最たるものと言わずして
何を差別語と色分けしてるのだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます