チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「何でもこなす山の音楽家パウル・ヒンデミット没後50年」

2013年12月28日 21時53分10秒 | 説くクラ音ばサラサーデまで(クラ音全般
本日は、
ドイツ出身の作曲家、
Paul Hindemith(パオル・ヒンデミット、1895-1963)の
没後50年前にあたる日である。その50年前に、
我が国では山手線が黄色からウグイス色に変わった日である。
黄色のお下がりは総武線の色になった。
クラ音がすでに終わった時代に生まれたので、
独奏楽器として扱われることのないヴィオラ用の曲を書いたり、
理論に頼る引き出し音楽を組み立てて活路を見いだした
隙間産業的作曲家である。また、
カール・マリア・フォン=ヴェーバーのネタに固執した。

現在最高のピアニスト、アンナ・グラーリ女史が10年前に出した
"Mitternacht(Midnight)"というCDには、
ヒンデミットが1922年に作曲したピアノ組曲「1922年」(op.26)の
第3曲"Nachtstueck(ナハトシュトュック=夜の曲)"が収められてる。
その同じ1922年にヒンデミットがクリスマスの児童劇に曲を附けた
"Tuttifaentchen(トゥッティフェンチヒェン)"
という作品がある。
"Tuttifaent(トゥッティフェント)"というのは、
木彫刻家のことであり、指小辞のchenが附いたそのタイトルは、
木でできた彫刻の女の子という意味である。ともあれ、
この劇附随音楽は民謡を引用して子供用の
わかりやすい音楽にしてる。第8曲は、
そのマイスターの徒弟であるペーターが歌うが、日本でいわゆる
「山の音楽家」として知られてる民謡が採られてる。
ヒンデミットは作曲家だが、指揮もしたし教鞭も執ったが、何より
ヴァイオリン奏者・ヴィオラ奏者でもあったし、
クラリネットも吹けたしピアノも弾けた。まさに、
♪わたしゃ音楽家……上手にヴァイオリン、弾いてみましょう♪
"Ich bin ein Musikante(イッヒ・ビン・アイン・ムズィカンテ)"である。
♪キュキュキュッキュッキュ、キュキュキュッキュッキュ、キュキュキュッキュッキュ、キュキュキュッキュッキュ、
いか~がです~~~?♪

("Tuttifaentchen(トゥッティフェンチヒェン)"の第8曲を
2本のリコーダーとチェレスタにアレンジしたものを
https://soundcloud.com/kamomenoiwao-1/hindemith-kamomeno-iwao-tuttif
にアップしました)
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