ゴホンといえば龍角散、であるが、
フィーリンといえば硫酸、というように、
「命は奪わずに(イケメンの)顔だけをひどく損なう」
という怨恨による劇薬顔面ぶっかけ、という犯罪が
ロシアのボリショイ・バレエ団内の権力争いの中で起こった。
硫酸は工業用に用途が広い。かつて、
主要過程の鉛室での反応が
2SO4(高温の二酸化硫黄ガス)+2H2O(水を噴霧)+O2→2H2SO4
である、あまり濃度が高くならない
「鉛室法」という硫酸の製法が使われてた。
この方法を完成させた化学者の一人が、
Nicolas Clement(ニコラ・クレモン、1779-1842)である。
[水1kgを1℃上げるのに必要な熱量]と定義して(当時)、
ラテン語の"calor(カロル=熱)"から採って
「calorie(キャロリ。いわゆるカロリー)」
と名づけたフランスの学者である。
今日、2013年1月28日は、米国の俳優
Victor Mature(ヴィクター・マチュア、1913-1999)の
生誕100年にあたる日である。本名を
Vittore Maturi(ヴィットーレ・マートゥリ)という、
イタリア移民の子である。矢沢永吉のキャロルを
女の子のバンドと思い込んでた拙脳なる私には、
晩年に宝塚の演出家となってた
長谷川一夫との顔の区別がつかないのである、
おのおのがた。対日戦に従軍して復員した
アイルランド系のジョン・フォードが映画監督として
"円熟期"を迎えた1946年にメガフォンを取った
"My Darling Clementine(邦題=荒野の決闘)"で
Dr.Holiday役を演じたのがマチュアである。主演の
ヘンリー・フォンダもイタリア系だが、フォード同様
復員明けである。それはともあれ、実際の
ワイアット・アープやドク・ハラデイも相当なワルだったわけで、
単純に善悪ではかれるものではない。さらに、
この映画の噺は史実とはかなり違うようである。が、
ボストンで外科医ではなく歯科医になったものの、
結核で余命いくばくもないと宣言されたホリディが
"西部"に流れてったということ自体は事実である。
"OK牧場"の舞台となった町トゥーム・ストウンは、現在の
アリゾナ州、おおまかにはメキシコとの国境寄りにある。
銀の産出地として栄えてた過去がある。だから、
フォードはこの映画の主題歌に、同じく
カリフォルニア金鉱の鉱山夫歌から流行歌となった
"Oh My Darling Clementine"を採ったのである。
詳細は省くが、鉱夫歌としての歌詞は、
恋人クレメンタインが川に落ちてもカナヅチだった男は
彼女を救うことができなかった。悔やんでも
あとのマートゥリだった、という内容である。
節はもとはスペイン民謡だった、という説もある。
カリフォルニアは元来はスペインの植民地で、その後は
スペイン人が入り込んだメキシコのものだった。それが、
米国によって略取する目的で挑まれた
米墨戦争でメキシコが思う壺にはまって負けて
割譲されたものである。だから、カリフォルニア州には、
サクラメント、サン・フランシスコ、サン・ノゼ、ロス・アンゼルス、サン・ディエゴ、
といったようなスペイン語地名が多いのである。
♪ドーード│
ドーーー・>ソーーー、・<ミーーミ│
ミーーー・>ドーーー、・ドーー<ミ│
<ソーーー・ーーーソ・>ファーー>ミ│
>レーーー・ーーーー、レーー<ミ│
<ファーーー・ファーーー、・>ミーー>レ│
<ミーーー・>ドーーー、・ドーー<ミ│
>レーーー・>ソーーー、・<シーー<レ│
>ドーーー・ーーーー♪
(音楽のヴィクター・マチュアというよりはドシロウトの
アマチュアである私がデタラメにアレンジしたものを
twitsoundにアップしておきました。
http://twitsound.jp/musics/tsITP9jVk)
clementという語は「慈悲深い」という意味である。
拙いアレンジは慈悲深い心で許されたい。
ところで、
日本でなぜ「雪山讃歌」という、
遭難と隣り合わせの山登りの歌になったか、
といえば、上記のごとく、
19世紀半ばのカリフォルニアのゴウルド・ラッシュのときの鉱夫歌が、
クレメンタインという女性が川で溺死した遭難事故を描いた歌、
だったからである。ちなみに、
さまざまなヴァージョンが生じたこの歌の歌詞のひとつには、
切り株につんのめって川に落ちた彼女の靴は、
"her shoes were number nine(サイズ9)"
というものがある。
「私のもの(=クレメンタイン)」という所有代名詞と同時に
「鉱山」の意味を持つ
"mine"に"nine"をかけたダジャレである。
フォーティー・ナイナーズという年度設定も同様のオヤジギャグである。
ちなみに、
2008年の12月にイラクを電撃訪問したブッシュ・ジュニア米大統領の
会見の席で、イラク人記者が自分の靴を脱いでブッシュに投げつけた、
という事件があった。が、実は運動神経も優れ、頭脳も切れる
ブッシュ・ジュニアは"ドジ"を踏まず、それをヒラリとかわして、
"That was a size 10 shoe he threw at me"
とすかさずジョウクをかましたのである。じつは、
ブッシュはこの歌の故事を知ってて、
"遭難"に遭ったときに咄嗟に言って知識を
誇示してみせたのである。その数年前、
「真昼の決闘」話をブッシュにしてしまった小泉元首相は、西部劇でも、
「荒野の決闘」のほうを語ってこそガッツり、
オッケー牧場だったばずなのである。
フィーリンといえば硫酸、というように、
「命は奪わずに(イケメンの)顔だけをひどく損なう」
という怨恨による劇薬顔面ぶっかけ、という犯罪が
ロシアのボリショイ・バレエ団内の権力争いの中で起こった。
硫酸は工業用に用途が広い。かつて、
主要過程の鉛室での反応が
2SO4(高温の二酸化硫黄ガス)+2H2O(水を噴霧)+O2→2H2SO4
である、あまり濃度が高くならない
「鉛室法」という硫酸の製法が使われてた。
この方法を完成させた化学者の一人が、
Nicolas Clement(ニコラ・クレモン、1779-1842)である。
[水1kgを1℃上げるのに必要な熱量]と定義して(当時)、
ラテン語の"calor(カロル=熱)"から採って
「calorie(キャロリ。いわゆるカロリー)」
と名づけたフランスの学者である。
今日、2013年1月28日は、米国の俳優
Victor Mature(ヴィクター・マチュア、1913-1999)の
生誕100年にあたる日である。本名を
Vittore Maturi(ヴィットーレ・マートゥリ)という、
イタリア移民の子である。矢沢永吉のキャロルを
女の子のバンドと思い込んでた拙脳なる私には、
晩年に宝塚の演出家となってた
長谷川一夫との顔の区別がつかないのである、
おのおのがた。対日戦に従軍して復員した
アイルランド系のジョン・フォードが映画監督として
"円熟期"を迎えた1946年にメガフォンを取った
"My Darling Clementine(邦題=荒野の決闘)"で
Dr.Holiday役を演じたのがマチュアである。主演の
ヘンリー・フォンダもイタリア系だが、フォード同様
復員明けである。それはともあれ、実際の
ワイアット・アープやドク・ハラデイも相当なワルだったわけで、
単純に善悪ではかれるものではない。さらに、
この映画の噺は史実とはかなり違うようである。が、
ボストンで外科医ではなく歯科医になったものの、
結核で余命いくばくもないと宣言されたホリディが
"西部"に流れてったということ自体は事実である。
"OK牧場"の舞台となった町トゥーム・ストウンは、現在の
アリゾナ州、おおまかにはメキシコとの国境寄りにある。
銀の産出地として栄えてた過去がある。だから、
フォードはこの映画の主題歌に、同じく
カリフォルニア金鉱の鉱山夫歌から流行歌となった
"Oh My Darling Clementine"を採ったのである。
詳細は省くが、鉱夫歌としての歌詞は、
恋人クレメンタインが川に落ちてもカナヅチだった男は
彼女を救うことができなかった。悔やんでも
あとのマートゥリだった、という内容である。
節はもとはスペイン民謡だった、という説もある。
カリフォルニアは元来はスペインの植民地で、その後は
スペイン人が入り込んだメキシコのものだった。それが、
米国によって略取する目的で挑まれた
米墨戦争でメキシコが思う壺にはまって負けて
割譲されたものである。だから、カリフォルニア州には、
サクラメント、サン・フランシスコ、サン・ノゼ、ロス・アンゼルス、サン・ディエゴ、
といったようなスペイン語地名が多いのである。
♪ドーード│
ドーーー・>ソーーー、・<ミーーミ│
ミーーー・>ドーーー、・ドーー<ミ│
<ソーーー・ーーーソ・>ファーー>ミ│
>レーーー・ーーーー、レーー<ミ│
<ファーーー・ファーーー、・>ミーー>レ│
<ミーーー・>ドーーー、・ドーー<ミ│
>レーーー・>ソーーー、・<シーー<レ│
>ドーーー・ーーーー♪
(音楽のヴィクター・マチュアというよりはドシロウトの
アマチュアである私がデタラメにアレンジしたものを
twitsoundにアップしておきました。
http://twitsound.jp/musics/tsITP9jVk)
clementという語は「慈悲深い」という意味である。
拙いアレンジは慈悲深い心で許されたい。
ところで、
日本でなぜ「雪山讃歌」という、
遭難と隣り合わせの山登りの歌になったか、
といえば、上記のごとく、
19世紀半ばのカリフォルニアのゴウルド・ラッシュのときの鉱夫歌が、
クレメンタインという女性が川で溺死した遭難事故を描いた歌、
だったからである。ちなみに、
さまざまなヴァージョンが生じたこの歌の歌詞のひとつには、
切り株につんのめって川に落ちた彼女の靴は、
"her shoes were number nine(サイズ9)"
というものがある。
「私のもの(=クレメンタイン)」という所有代名詞と同時に
「鉱山」の意味を持つ
"mine"に"nine"をかけたダジャレである。
フォーティー・ナイナーズという年度設定も同様のオヤジギャグである。
ちなみに、
2008年の12月にイラクを電撃訪問したブッシュ・ジュニア米大統領の
会見の席で、イラク人記者が自分の靴を脱いでブッシュに投げつけた、
という事件があった。が、実は運動神経も優れ、頭脳も切れる
ブッシュ・ジュニアは"ドジ"を踏まず、それをヒラリとかわして、
"That was a size 10 shoe he threw at me"
とすかさずジョウクをかましたのである。じつは、
ブッシュはこの歌の故事を知ってて、
"遭難"に遭ったときに咄嗟に言って知識を
誇示してみせたのである。その数年前、
「真昼の決闘」話をブッシュにしてしまった小泉元首相は、西部劇でも、
「荒野の決闘」のほうを語ってこそガッツり、
オッケー牧場だったばずなのである。
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