タイロン・パワー 生誕100年
[Everything leads me to thee.(すべては汝がため)]
今日は、
戦前戦後の時期に米映画俳優の中で、
二枚目の代表格だった
Tyrone Power(タイロウン・パウア、1914-1958)
の生誕100年の日にあたる。
ガキの頃から頭痛持ちで
小学校から中学校にかけてしばしば休んでた私は、そんな日には
頭痛薬を飲んで家で安静にしながらTVを観て過ごしてた。
テレ東(当時の東京12チャンネル)が昼下がりや深夜に放送してた
モノクロの映画を観るのが私は好きだった。
そうした番組枠で私が知ったのは、
ジェイムズ・キャグニーのギャング映画や、
アラン・ドロンのフランス・ギャング映画、
ビング・クロスビー、フレッド・アステア、ジーン・ケリーのミューズィカル、そして、
米西部劇、ジェリー・ルイスのナンセンス・コメディなどだった。
好きになった女優は、
キャロウル・ロンバード女史、キャサリン・ヘプバーン女史、マリリン・モンロウ女史、
男性俳優は、
上記のジェイムズ・キャグニー、アラン・ドロン、ジェリー・ルイスに、
トウニ・カーティス、ジェイムズ・スチュワート、などだった。が、
このブログでも過去に、
「ジェスィ・ジェイムズ/悪党の最期」
( http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/6038e076093f69feb9681770e5f3f218 )
「映画『愛情物語(1956)』と/ショパン生誕200年記念」
( http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/701a40c5139bfb2ac60e61981e35d5f7 )
「日はまた昇る(The Sun Also Rises)/ヘミングウェイ自殺から50年」
( http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/cfc20beb6af5ce45fbe16d88b8e4cd15 )
と幾度か採りあげてきたように、
とりわけ惹かれたのが、いわゆる
タイロン・パワーだった。20代のときの主演作、
"Jesse James(邦題=地獄への道)"
でのハンサムぶりに、あまりの自分との違いに呆れはてて、
錯綜した劣等感とともに憧憬を抱いた。しかも、
私が生まれた年に44歳で死んでたということも相まって……。
現在はタイロン・パワーの名を知る人は少ないと思われる。が、
戦後まもなくまでの米国でも、色男の代名詞だった。
何の関係もない映画の中のセリフにさえ、
「タイロン・パワーが~~で」
のように名前を挙げられてたほどだった。
ジェスィ・ジェイムズ役の一年前、パワーがまだ24歳だったときの、
"Marie Antoinette(邦題=マリー・アントワネットの生涯)"(1938年制作)
では、フェルセン伯爵を演じた。
ツヴァイクの伝記をもとにした脚本だったらしいが、
半可通、とうより間違いだらけの時代考証と相まって、
王妃と伯爵は同い年だったという現実とは違い、
引退の4年前の36歳のノーマ・シアラー女史のアントワネットと、
まだ25歳のタイロン・パワーという組み合わせも微妙な感じだった。
ただし、
シアラー女史の演技はまるで舞台女優のようでもあり、
そうした見かたをすればそれなりに巧いのかもしれない。実際、
シアラー女史はその数年前にアカデミー主演女優賞を獲得してる大女優である。
この映画でもヴェネッツィア国際映画祭主演女優賞に輝いたし、
オスカーにもノミネイトされたほどである。対して、
パワーはきわめて押さえた演技をしてる。
パワーがハム役者(大根役者)というのは、やはり、
二枚目に対する悪意に満ちた嫉妬心なのである。
映画の前半の終わり頃、
王妃とフェルセンが再会した場面で、
フェルセンに昔から恋してたことを告白された王妃は、
愛のすばらしさを語るフェルセンに、
どこでそんなことを知ったのと訊く。すると、
フェルセンは博物館でだと答える。博物館にはほとんど
退屈な物しか展示されてないが、その中に、
真実の愛に巡り会えた王妃たちの遺品があり、
それらは扇子や手袋にすぎないが、
そうした愛を知りたいと願う観覧者とともに
大切に保管されてるのです、と説く。すると、
マリーは100年後に自分の遺品を博物館で見た人は
微笑んでくれるかしらと言う。たとえば、と、
左薬指から指輪をはずしてこう刻まれてるわと言う。
"Everything leads me to thee."
すると、フェルセンのパワーは目を見開く。
この"英語"の文字のmeは神からみた一人称の目的格であり、
「私が創造したすべてのものは私を汝のもとに導く」
という意味である。がフェルセンにとっては、
"君し踏みてば玉と拾はむ"
つまり、
「あなたのためだけにこの命を捧げる」
という気持ちと合致したのである。マリーの問いにフェルセンは、
「わかりません」
と答える。
"You might make a present of it, perhaps,
to some man who had loved you
and it would be worn on his hand for as long as he lived
and buried with him when he died
because he loved you reverently
and as was fitting from a respectable distance
but with all his heart for all this life."
「(拙大意)あなたはそれを贈り物として与えてしまうかもしれません、
あるいはね……あなたを愛した男に。
(だから博物館には展示されないでしょう)
その男は命あるかぎりそれをずっと指にはめたままで
死んだときにはそのまま埋葬されてしまうことでしょう。
その男はあなたを敬意をもって愛した。
身の程をわきまえて遠くから見守るように、
しかしながら全身全霊をこめて愛した男です」
マリーにはその意味が即座にわかったのである。
ふたりはくちづけをかわす。そして、
フェルセンはそのまま指輪を所持することになるのである。
真実の愛を知った王妃だったが、
ルイ15世が死んで、
フェルセンは独立戦争下のアメリカに行くと暇乞いをする。
このときのフェルセンが立ち去るスィーンはじつに感動的である。
このような
王妃マリー・アントワネット(ノーマ・シアラー女史)と
スウェーデン伯爵フェルセン(タイロン・パワー)との
ツーショットは、この映画の中で5度ほどあるのだが、
フェルセン(タイロン・パワー)が画面左(下手・しもて)で
王妃(ノーマ・シアラー女史)が画面右(上手・かみて)、
という「身分どおり」の配置になってる。が、
王妃が死刑囚という囚人の立場での
コンシェルジュリの独房での最後の対面のスィーンでは、はじめて、
その位置関係が逆転されてるのである。つまり、
王妃(ノーマ・シアラー女史)が画面左(下手・しもて)で
フェルセン(タイロン・パワー)が画面右(上手・かみて)、
という立ち位置である。
髪を刈られ、後手に縛れた屈辱の姿で肥桶の荷車に乗せられて
シテ島のコンシェルジュリから現在のコンコルド広場まで引き回された
マリーが斬首された瞬間にわきあがった民衆の
歓喜の声が聞こえてきたとき、
フェルセン(タイロン・パワー)は目を閉じてうなだれる。そして、
握りしめた右手こぶしを見つめるのだった。その小指には、
マリーから"贈られ"た指輪がはめられてたのである。
カメラがその手にズームアップしてくと……
"EVERYTHING LEADS ME TO THEE"
と刻まれた指輪が画面いっぱいに映し出されて、
"The End"
となる。あなたのためにこの命を捧げる、
と約束したにもかかわらず、すでに自分の力では
マリーを助命することさえできなかった
フェルセン(タイロン・パワー)の忸怩たる思いがそこに込められてた。
この映画では当然に描かれも触れられもしないが、
マリーのギロチン処刑から17年後、史実の
フェルセンにも無惨な死が待ってた。
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