チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「蒸気きかん坊の鉄ッチャン/アントニン・ドヴォルジャーク」

2011年05月02日 00時31分10秒 | 説くクラ音ばサラサーデまで(クラ音全般
稼ぎも妻子もない私にとって、ゴールデン・ウィークは、
とくに出かける必要もない。仕事での知り合いに、
青春18きっぷなるもので一人旅を生きがいにしてる人がいる。
その人は全国の鉄道の駅名を知ってるし、
いってない駅はないという鉄道オタクでもある。が、
列車の写真を撮る趣味はまったくないという。

幼稚園のガキだった頃、横浜の家には
ゲージの違う2種類の鉄道模型と
レイシング・サーキットの玩具などがあった。
鉄道模型は何社製のだったかは覚えてないが、
トランスをいじるのが楽しかった。が、
その単純な玩具には執着しなかったので、
小学校に入った頃はむしろ、
東横線その他の路線の先頭車両に一人で乗って、
そのレイルの軌道を頭の中に記憶して、
家に帰ったときにその軌道を紙に書き出す、
ということをよくしてた。もちろん、
紙は継ぎ足す。そして、自分が描いた軌道と
地図の軌道と照らし合わせて、悦に入ってた。

が、
それもおおよそ行ける範囲の鉄道路線をすべて
制覇してしまうとすぐに関心がなくなった。とはいえ、
私は鉄道のレイルの中の、
「分岐器」の形状に特別な興味があった。
分岐器のあの線路のカーヴの曲がり具合の妙に、
惹きつけられたのである。
鉄道模型の大きいゲージのほうの軌間に合わせて、
割り箸とストローで線路や分岐器を自作して、
貨物車両を走らせて楽しんでた。
ゆっくりならほとんど脱線することはないが、
速度をはやめていくと、けっこう脱輪してしまう。そこで、
分岐器の精度をさらによくするように改良する。
ある程度速度をあげても
車輪のフランジがうまく分岐線のレイルにかんで無事に分岐線に
車両が進むと、鳥肌がたつほどの感動を覚えた。

とはいえ、
私は特段に鉄道マニアだったわけではない。
星座以外のあらゆる物事に好奇心が湧くガキだった。
小学校3年時のメインな遊びは野球と紙相撲だった。ともあれ、
ドヴォルジャークと花沢徳衛の顔の違いが判らない、
ケイト・ミドルトン女史(現、キャサリン妃)と井上順の笑い顔の区別がつかない、
拙脳なる私には、ドヴォルジャークのように
時刻表を丸暗記したり機関車の製造番号から
機関士・車掌の名前をすべて覚えれる頭に育つはずもなかった。現在、
一般的な人たちより鉄道について知ってることといえば、
日本で最初の営業用鉄道が、明治5年9月(およそ西暦1872年10月)の
[新橋(汐留)-横浜(桜木町)]間の正式開業の4箇月前に
[品川-横浜(桜木町)]間の仮開業だったことである。
品川駅高輪口の駅前ロータリーのタクシー乗り場のところに、
戦後に大野伴睦によって建てられた「品川駅創業記念碑」がある。が、
それよりも、
品川駅の南約1kmの、東海道本線と東海道新幹線と目黒川が作る
三角地帯の墓地には、初代鉄道頭で日本の鉄道開業を担った旧長州藩士
井上勝(およそ西暦1843-1910)の墓がある。
生前からその地を自らの墓にしたいと願ったという。
新幹線のすぐ脇なので、動体視力がいい者には、
車内からその墓をしかと見ることができる。

ボヘミアの作曲家アントニン・ドヴォルジャークは、
元祖鉄道オタクとしても知られてる。娘の婚約者
ヨセフ・スク(いわゆるスーク、1929年生まれの同名のヴァイオリニストの祖父)
に新しい機関車の製造番号を見にいかせたが、
間違った番号を報告した。それでドヴォルジャークは
こんな簡単なこともできない男と結婚する気かと
娘の前で癇癪を起こしたほど、鉄道に関しては
ちょっぴりイタいひとで、おメーデーたい人物だったようである。

さて、
そんなユーモラスな一面ももってたドヴォルジャークの「ユーモレスク」は元来、
8曲から成るピアノ曲集だった。現在、
ドヴォルジャークの代表作として頻繁に演奏されるほとんどが、
アメリカ時代以降のものである。「ユーモレスク」も、
1894年、渡米時代に作られたものである。その「ユーモレスク」8曲中の
とくにポピュラーな第7番は、[2/4拍子、6♭(変ト長調)]、
*****♪【ドー●<レ>ドー●<レ・<ミー】●<ソ<ラー●>ソ♪
と始まる。いっぽう、
リトル・エヴァが"come on, come on"を
「コモン、コモン」というように、それが当時の黒人にとって
commonな発音で歌った
"The Loco-Motion(邦題=ロコモーション)"
は、このように始まる。
***♪【ド<レ・>ド<レ・・<ミ】>レ・>ド>ソ♪
ドゥー・ザ・ドヴォモーション・ウィズ・ミー、
アントニンのそら似、である。ところで、
Dvorakという名はチェコ語のdvur(ドヴォル)=荘園領主の邸宅、
というような意味の語がもとになってる。ともあれ、
ドヴォルジャークはプラーハの住まいの近くの駅に
しょっちゅう通いつめて機関車を眺めてたらしい。他に、
鳩が好きだったという。機関車といいハトといい、
遠隔地を結ぶものが好きだった点では、
ブレてない。
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