チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「どしゃ降りの雨の中の決着/『七人の侍』と『十二人の怒れる男』」

2011年05月05日 00時42分46秒 | 寝苦リジェ夜はネマキで観るキネマ
1箇月ほど前の4月9日、
キャンディス・バーゲン女史の映画デビュー作
"The Group(邦題=グループ)"(1966)を撮った
Sidney Lumet(スィドニー・ルメット、1924-2011)が、
悪性リンパ腫のために亡くなった。その死を知った
4月10日、都知事選の投票に行った帰りに、
黒澤明の子らが経営してる「くろさわ」で、
九条葱たっぷりのきざみうどんを食べた。

黒澤明の代表作といわれる「七人の侍」は、
私がまだ生まれてない昭和29年(1954年)の作である。
その年に米国でTVドラマとして
"Twelve Angry Men"が放送された。3年後の1957年に、
その映画ヴァージョンがヘンリー・フォンダ主演で撮られた。
その監督が、映画監督デビュー作となった
スィドニー・ルーメットだった。それはさておき、
昨日5月3日に「日本映画専門チャンネル」で、
「七人の侍」を放送してた。たまたま、
朝に目が醒めてしまったので、床に横になりながらみてた。
以前に、あまりの荒唐無稽さにまともにみる気がしなくて、
以来、きちんとみてなかった。

が、
やはり、あらゆる点で「恥ずかしい映画」である。まず、
時代考証もへったくれもない。時代設定は、
「戦国時代」らしい。領主のいない"村"の"米"を
"野武士"が奪う。領主がいない土地はその土地の民が
野武士である。したがって、武装してるはずである。が、
日本を貶めるために非武装させるなりすまし日本人のように、
この"村人ら"には武器は無縁なものにさせてる。まるで、
戦後民主主義という名の左翼思想、あるいは、
プロレタリアート思想そのものである。それから、
鉄砲のことを"種子島"といってるようだが、そんなもの、
"村の米"を奪うレヴェルの"野武士"が、
"種子島伝来"から間もない時期に何十丁も持ってるのである。
脅威の軍団である。そんなのが現実にいたとすれば、
浪人7人くらいが加勢しても敵う道理がない。しかも、その
"種子島"を"どしゃ降りの雨の中"で使用する。また、
侍、武士のことなども、まるで理解してない。
不勉強極まりない。というか、
勝手な思いつきで人物設定をしてるので、
まったく現実味がない。衣裳も
安っぽい想像力による産物である。

それから、
画面が暗く、奇をてらった小細工ばかりが弄されてて、
カメラワークもへったくれもない。
役者にはやたらと怒鳴らせ、結果、語句がわかりにくい。
志村喬以外は何を言ってるかほとんどわからない、
大根役者ばかりを揃えた、科白の妙などどうでもいい
"無声映画"のようである。

筋立ても、
「武士=悪/農民=善」「封建制=悪徳」という左翼思想に立ち、
神泉伊勢守、塚原卜伝などの逸話を継ぎ接ぎして、
知性と教養に欠ける脳で組み立てた、
陳腐極まりないものである。
おそらくは、戦後10年ほどが経って、
日独伊三国同盟を早々に抜けて連合軍に寝返り、
戦後は日本に"戦時損害賠償"まで請求して、
まんまとせしめたイタリアの、日本に対する後ろめたさから、
ヴェネッツィア映画祭で賞を与えたにすぎない。
傑作、日本映画史上最高の作品、などとは、
笑止千万である。つまり、
映画に関わる半可通な者どもが作った、
"大がかり"な"8ミリ"、"学芸会作品"である。

社会派、
というならば、
有色人種というだけで有罪に決まってる、
という先入観による冤罪の可能性を問うた
"12 Angry Men(邦題=十二人の怒れる男)"(1957)
は、「七人の侍」とは雲泥の差である。
5番陪審員ジャック・クラグマンに、
当夜のヤンキーズ対クリーヴランド(インディアンズ)戦のチケットを持ってる、
同じくキリストに愛された弟子ヨハネの名を持つ俳優
7番陪審員ジャック・ウォーデンが訊ねる。
(Jack=Johnジョンの愛称、John=Johananヨハナン)
"You a Yankee fan?(拙大意=ヤンキーズ・ファンかい?)"
クラグマンは答える。
"No, Baltimore.(拙大意=いや、ボルチモアです)"
すると、ヤンキーズ・ファンのウォーデンはあきれて皮肉を言う。
"Baltimore? That's like being hit
in the head with a crow bar once a day.
(拙大意=ボルチモア? オリオールズ・ファンだって?
じゃあ、お前さん、釘抜きバール(鉄挺)で日に一度は
頭をぶん殴られてるみたいなもんだな)

ここらへんのやりとりは、1954年のTVドラマのときは、
Baltimore OriolesがSt.Louis Browns(セント・ルイス・ブラウンズ)
だったらしい。ブラウンズは1953年スィーズンまでの、
オリオールズの前身球団である。当時、100敗もする
弱小球団だったのでそのティームが充てられたのだろう。
オリオールズも1954年の移転当時はやはり100敗近く負ける
お荷物球団だった。が、実は、この映画が撮られた1957年には、
まだ負け数が勝ち数を上回ってたものの、
アメリカン・リーグでインディアンズと並ぶくらいにまでなってたのである。
ちなみに、私は
ジャック・ウォーデンが老年になってからTVに出た
"Crazy Like a Fox(邦題=私立探偵ハリー)"が最高に好きな
コメディ・ドラマである。

ともあれ、
当時のNY州は死刑(電気椅子)が行われてた。
「十二人の怒れる男」は、当初、唯一人有罪に疑問だった
8番陪審員ヘンリー・フォンダの疑問提示で、まず、
9番陪審員ジョセフ・スィーニー老が無罪に傾く。そして、
次第に無罪に手を挙げる者が増えてくのである。最後、
逆に一人だけ有罪を言い張ってた
3番陪審員リー・J・コッブが自分の私生活がために、頑なに
17歳の被告の有罪を主張してた非を泣きながら認める。そのとき、
陪審員控室の外では大雨が降ってるのである。対して、
同じく大雨の中でクライマックスを向かえる「七人の侍」の
戦闘スィーンはお粗末である。
評決が終わり、裁判所から出て行くフォンダに、
スィーニー老が声をかける。
"Hey!(拙大意=ねえ!)
フォンダは振り返って立ち止まる。スィーニー老は近寄ってこう言う。
"What's your name?(拙大意=お名前を?)"
フォンダは微笑みながら返す。
"Davis.(拙大意=デイヴィスです)"
スィーニー老は手を差し出しながら言う。
"My name is McArdle.(拙大意=私はマカードルです)"
が、握手が終わるとスィーニー老は、
もっと話し込みたそうなそぶりも見せつつも、
やはりそれ以上はしつこくせず、こう言う。
"Well……so long.(拙大意=そう……じゃあ、これで)"
フォンダも返す。
"So long."(拙大意=これで)
そして、二人は裁判所の階段をそれぞれ別方向に降りて、
ジ・エンドとなる。雨はもうあがってた。

"So long."……このときのソウ・ロングは、
文字通り、もう会うこともない、という、
別れの挨拶である。つまり、
陪審員として同じ裁判に関わりながらも、
彼らはそれ以上の関係ではない、ということである。
"熱く"キレた男とはいえ、裁判が終わればそれだけ。
アンガーい、ドライなのである。
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