チャイコフスキー 1812年
ブタ・インフルが"メキシコ合衆国"では
カチクの勢いで広まってるらしい。
メヒコといえば、数年前にFTAが成立したが、
これで豚肉の輸入が禁止にでもなったら
身もフタもブタもなくなってしまう。それはともかくも、
ナポレオンのロシア遠征の失敗の一要因に、
赤痢・腸チフス・発疹チフスなどの伝染病がある。
平原とはいえ、湿地である
ポーランドを通過しなければならない。また、
ロシアという国自体も、貴族以外は奴隷みたいな特殊な
後進国で市街が不衛生だった。
伝染病の巣窟である。ちなみに、
なぜナチスがアウシュヴィッツに収容所を敷設したかといえば、
湿地なためにおもに発疹チフスが蔓延する
土地だったからである。
ナポレオンがロシアに攻め入ったとき、当初は
仏他交えて60万人だった兵力は、
ポーランドを越えて帝政ロシア領リトアニアの
ネムヌス川を渡ったときすでに、47万人。
退却戦術を採った20万人のロシア軍を
ゼンソク力で追ってスモレンスクに到達したとき、
15万人にまで減少。そして、初めてともいえる
戦闘で約1万人の死傷者を出し、
退却をつづけるロシア軍に引きこまれるように進んだ
ボロヂノの戦闘では3万人の死傷者で、
残存兵力は11万人。
「めでたく」もモスクワに入るも、ロシア軍の焦土作戦によって、
もぬけのから、焼けの原で、ボナパルトはヤケの腹。
おおざっぱにいえばポーランド→ロシアという
「プレイン」な進路をたどってきたものの、
「兵站」補給の路地スティクスは
「平坦」ではなかったようである。
たった1か月のモスクワ「滞在」でも、兵は10万人に。
退却が始まると、それ待ってたとばかりに、
ゴキブリみたいに隠れてたロシア兵に追撃されて、すぐに
半減。ヨウ素よりも半減期が短いゆえ、我々エセ歴史学者は、
ロシア軍による「ヨウド作戦」と呼んでるのである。
這う這うの体でたどりついたスモレンスクでは、3万5千。
ベラルーシのベレジナ川に追い詰められたナポレオン軍は、
凄惨な犠牲を払ってやっとこさ3万人が渡る。そして、
逃げににげてネムヌス川を渡ったときには、
たったの5千人。よくも、
ロシア軍にナポレオンは首を取られなかったものである。さて、
逃げる、といえば、荒れた馬場である。
私は不良馬場の、しかも、
大雨が降りしきる中での競馬が好きである。
馬にとってはつらいことだろうが。だから、
日本ダービーは、雨があがった重馬場ではあったが、
シリウスシンボリ号が勝ってスダホーク号が負けた
26頭立ての第52回東京優駿が忘れられない。そのとき、
逃げて18着に惨敗したトウショウサミット号に騎乗してたのは、
その1週前、音無騎手(現、調教師)の大穴ノアノハキブネ号が
驚異の追い込みで勝った優駿牝馬(オークス)で2着した
5番人気馬ナカミアンゼリカ号に跨ってた中島啓之騎手である。
同騎手は最後の騎乗となったダービーのわずか2週間後に
肝臓癌で死亡したことである。さて、
今日は晴れて馬場も回復したことだったが、私は
タレントほしのあき女史が命名した
ハシッテホシーノ号の複勝馬券をしこたま買い込んでたので、
非常に血圧があがったことだった。
(結果、3着。配当2.1倍)
ロシア正教聖歌=
"Спаси(スパスィー:救い給え),
Господи(ゴースパヂ:神よ),
люди(リューヂ:民を) Твоя(トヴァヤー:汝の)"
曲はヴィオーラ2棹とチェロ4棹の、計「6声」のソリによって、
「スパスィー、ゴースパヂ、リューヂ・トヴァヤー」が奏でられる。
これが23小節続く。そして、23小節めから、
7声乃至9声の木管が相の手を入れるのである。
***♪ドド│<レー・<ミー、・>ドド│<レ<ミ・<ファファ・<ファー│ーー・ーー・ーー♪
が、日本楽譜出版社の安価な「1812年」(学習用小スコア)は、
<先ずヴァイオリンとセロによつておも苦しい旋律を奏する。
これはナポレオン軍が大擧おしよせて來るので、
おそれおののくロシア国民の苦悩である。
讃美歌『神よ汝の民を護れ』であるから
合唱で開始されなければならぬが、
多くの場合合唱を省略して奏する。>
などと、故須摩洋朔なる御仁によって解説されてる。
「おそれおののくロシア国民の苦悩」
「おも苦しい旋律」だそうである。自ら
「賛美歌」などと書いてるのに。また、使用楽器が
まったくのデタラメである。まず、
<ヴァイオリン>でなく「ヴィオーラ」である。それから、
チャイコフスキーは合唱附きでなど書いてない。
クラ音を学習しようとしてる無垢な若者に
誤った知識を植えつける罪深い所業である。
もちろん、横浜市金沢区の金沢文庫すずらん通り商店街でも、
ヴィオーラ2棹+チェロ4棹=「6声」のソリ、
で演奏しなければならない。ときに、
「ナポレオン・ボナパルトのモスクワ探訪」
というTV番組はなかったかもしれないが、
テレ朝の「渡辺篤史の建もの探訪」のテーマ音楽は、
"Between the word & the heart"という
和製英語なタイトルの歌謡曲である。
***♪ドー・ーー・・<レ<ミ・ー>ド│ーー、●ド・・<レ<ミ・ー>ド│ーー、
●ド・・<レ<ミ・ー>ド│ーー、●ド・・<レ<ミ・ーー│
<ファー・>ミー・・>レ>ド・ーー│ドー・>シー・・>ラ<シ・ー<ド│ーー♪
この歌からは、ときどき遠征先を見据える不安そうな
ナポレオンのシルエットが連想されることである。
ロシアを征服できなかったヘタレなナポレオンの額には、
「役立たず」というフリーメイスンによる烙印が押されたのである。
フリーメイスンはナポレオンに見切りをつけ、ベルナドット、すなわち、
スウェーデン王カール14世ヨハンを後釜に据えるのである。
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