漱石 眠り
かつての"グループサウンズ"の一ジャガーズのヴォウカル、
岡本信が死んだそうである。
「君に会いたい」
は、強烈な和声英語の歌詞がチャーミングで、
思わず口づさんでしまうほどである。ときに、
この私にも「会いたい『君』」は数人いる。が、
自分でも意外だが、私はそういう面では
「あっけない」ほど諦めがいい。
「鳴かぬなら、我泣けばよし。子規」
自分からはけっして手を出さず、
相手がパンチを打ち込んできてはじめて
カウンターを繰りだすヘタレボクサーである。それはどうでも、
ジャグワーズの「君に会いたい」の
「さわり」の箇所の「拍を刻む」伴奏は、
ヴェルディの「椿姫(彩菜ではない)」の「乾杯の歌」の
あの「泥臭い」(ながらも、
初めての口づけに知った恋のよろこびのごとき高まりを煽る)
オーケストレイションと同様にじつに効果的である。
***♪●●・ラー・・ラー・>ソー|>ファー・ー>レ・・>ーー・ーー|ーー、
は じ め て の
・<ソ>ファ・・<ソ>ファ・ー・ー>ミ|ーー・ーー・・ーー・ーー|ーー♪
く ち づ け に
この曲が流れてたりすると、流行ってたころに読んだ
……淡い初恋の思い出……三四郎の美禰子に対する……
漱石の『三四郎』を想起する。
先週の競泳の日本選手権では、かつての
「美少女スイマー」野瀬瞳女史が、
200mで3着、100mで2着、そして、
50mで同着ながら日本新記録で優勝した。
かつては決勝には残る、という程度の選手だったのに。
それがいつのまにか日本競泳会のトップクラスである。
顔つきも凛々しくなっていまや大人の美人だ。が、私には
貴乃花親方と見分けがつかなかった。なにしろ、
後楽園駅と春日駅は、
どこから東京メトロで、
どこまでが都営三田線で大江戸線なのか、
考えると瞳を閉じても夜も眠れなくなってしまう、
という拙脳な私である。
春眠不覚暁などと言うが、不眠なときは、
泳いで体を疲れさせればいいかもしれない。
睡眠・グゥ~~~。はたまた、
シラフで眠れないというのであれば、酒でもひっかければ
シュラーフ(Schlaf=眠気)がおそってくるかもしれない。いや、
ワインのソムリエ(sommelier)になる勉強でも始めれば、この拙脳は
まどろむ(sommeiller=ソメイエ)に違いない。
漱石がダジャレオヤジなら、私はまどろむPan牧神でなく
強烈なpunオヤジである。
『吾が肺は二個である』……名前はもうある。さよう、
左が左葉で右が右葉である。
左は上葉と下葉、右は上葉・中葉・下葉、に分かれてる。ときに、
外科手術などのときの全身麻酔では、
「はい、息を吸って……」
などと言われてそうしてるうちに眠ってしまうものである。
さて、漱石は「眠り」、つまり、
「死」にとらわれてた作家である。
『吾輩は猫である』の珍野苦沙弥の友人「迷亭」君は、
大塚保治というよりもむしろ、おそらく
「二葉亭四迷」のことであろうし、
「酩酊」とのダジャレである。二葉亭四迷は
酒好きだった。酩酊とは、
メイテイもメーターもあがってしまった、
眠ってるも同然な状態のことである。ちなみに、
苦沙弥のク・シャミのシャミは三味線=ネコ、というダジャレである。
『坊っちゃん』では、赴任早々に、
「宿直」の話が出てくる。ちなみに、私は
この小説を初めて読んだ中学生のとき、その最後の
<だから清の墓は小日向の養源寺にある>
という短い一文で、どっと涙が出てしまった。そして、
漱石の小説の虜になった。
未だに、この箇所を読むと同様である。
『草枕』では、まず、比喩的にではあるが、
<汽船、汽車、権利、義務、道徳、礼義で疲れ果てた後に、
すべてを忘却してぐっすり寝込むような功徳である。
二十世紀に睡眠が必要ならば、
二十世紀にこの出世間的の詩味は大切である>
というくだりがある。そして、
茶屋の婆さんに聞いた「長良の乙女」の
「夢を見る」のである。
『虞美人草』であるが、その花自体が
「眠り」の象徴である。つまり、虞美人草とは
♪おっかないのぉ、ヒーナゲシーの、はぁーなでぇーーー♪
なのである。ギリシア神話の眠りの神
ヒュプノス(hypnos)→ヒポノシス(催眠状態)であり、
ローマ神話の眠りの神
ソムヌス(somnus)→ソムニア→ソムナムビュリズム(夢遊病)なのである。
また、ヒュプノスに侍ってる神のひとりが
モルペウス(morpheus)、つまり、
morphine=モルヒネ、である。
『それから』では、主人公代助は
心臓の鼓動を意識して就寝する男として描かれてる。
『門』では、
<呼息よりほかに現実世界と交通のないように思われる深い眠>
と表現してる。
『彼岸過迄』では、「風呂の後」の冒頭から寝る話である。
<敬太郎は夜中に二返眼を覚ました。
一度は咽喉が渇いたため、一度は夢を見たためであった。
三度目に眼が開いた時は、もう明るくなっていた。
世の中が動き出しているなと気がつくや否や敬太郎は、
休養休養と云ってまた眼を眠ってしまった>
である。
『行人』は、
<私がこの手紙を書き始めた時、
兄さんはぐうぐう寝ていました。
この手紙を書き終る今もまたぐうぐう寝ています。
私は偶然兄さんの寝ている時に書き出して、
偶然兄さんの寝ている時に書き終る私を妙に考えます。
兄さんがこの眠から永久覚めなかったら
さぞ幸福だろうという気がどこかでします。同時に
もしこの眠から永久覚めなかったら
さぞ悲しいだろうという気もどこかでします>
という結びかたをしてる。
『こゝろ』では、先生の手紙の段で、
<しかし私の眼はその暗いなかでいよいよ冴えて来るばかりです。
私はまた半ば無意識な状態で、おいとKに声を掛けました。
Kも以前と同じような調子で、おいと答えました>
と、それまでの小説とは異質な「寝床」を描いてる。
『道草』でも、
<明らかに多少風邪気味であるという事に気が付いた。
用心して早く寝ようと思ったが、ついしかけた仕事に妨げられて、
十二時過まで起きていた……発汗したい希望をもっていた健三は、
やむをえずそのまま冷たい夜具の裏に潜り込んだ。
彼は例にない寒さを感じて、寝付が大変悪かった。
しかし頭脳の疲労はほどなく彼を深い眠の境に誘った>
と、「体調不良」な就寝を配した。
『明暗』では、第57段乃至第58段で、
<着物も其所へ脱ぎ捨てたまま、彼女は遂に床へ入った。
長い間眼に映った劇場の光景が、断片的に幾通りもの強い色になって、
興奮した彼女の頭をちらちら刺戟するので、
彼女は焦らされる人のように、何時までも眠に落ちる事が出来なかった
……彼女は枕の上で一時を聴いた。二時も聴いた。
それから何時だか分らない朝の光で眼を覚ました。
雨戸の隙間から射し込んで来るその光は、
明らかに例もより寝過した事を彼女に物語っていた>
と、津田の妻お延の睡眠話を織り込んでる。
が、明治41年(1908年)の二作品は、とくに
「漱石の眠り」が際立ってるのである。
『夢十夜』(短編)は、
十夜、いろいろな時代の夢を見る話である。最初の五夜は、
「こんな夢を見た」という書き出しで始まる。
『三四郎』は、
漱石の小説の中で私がもっとも好きなものである。この小説には、
"stray sheep"なる語が出てくる。それはひとまずおいといて、
小説の出だしは、
<うとうととして目がさめると女はいつのまにか、
隣のじいさんと話を始めている>
である。
途中には、
<手紙を書いて、英語の本を
六、七ページ読んだらいやになった。
こんな本を一冊ぐらい読んでもだめだと思いだした。
床を取って寝ることにしたが、寝つかれない。
不眠症になったらはやく病院に行って見てもらおう
などと考えているうちに寝てしまった>
というくだりがある。
締めくくりは、
<三四郎はなんとも答えなかった。
ただ口の中で迷羊(ストレイ・シープ)、
迷羊(ストレイ・シープ)と繰り返した>
なのである。
漱石の睡眠偏執狂もこれに極まる。
そして、まぎれもなく、
sleep→sheep
という語呂合わせを喜んでるのである。いっぽう、
この小説の美禰子のモデルといわれてるのは、
弟子である森田草平と心中未遂事件を起こした
婦人運動家平塚らいてう、である。らいてう、といえば、
「青鞜政治はらいてうで終わった」という言葉ではなく、
「原始、女性は太陽であった」である。いっぽう、
三四郎が美禰子に買うパルファンは、
「ヘリオトロープ」というものである。
helio(太陽)+trop(指向)、という意味である。
漱石はダジャレオヤジなのである。
俳人なのである。
落語が好きだったのである。
『坊っちゃん』の、とくに書き出しのあたりは、まるで
落語のマクラである。
睡眠にはマクラが必要である。
私は部屋をマクラにもマックラにもするのはイヤであるが、
漱石はどうだったか、適格に言い当てれるかどうかで、
明暗の分かれるところである。
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