昨日・今日のTVは、一年前の東日本大震災への追悼番組で
埋め尽くされてた。だから、昭和20年の3月9日・10日の
米国による民間人無差別攻撃である東京大空襲の惨状については、
古い物が新しい物によって更新されるがごとく、
完全に隅に追いやられてしまってる。また、
北方領土をジュガシヴィリ・ソ連によって、
竹島を不正選挙で自国民に追い出されたリ・ショウバンによって、
実行支配され、
尖閣諸島を台湾・中国に領有権を主張されてることには、
売国政党民主党を大勝させた愚国民には振り向きもされない。また、
国家公務員共済組合連合会(旧グラヴァー邸)の南麻布の一等地、
新潟万代小学校跡地、名古屋の国家公務員宿舎跡地、
などが民主党政権になってから中国によって一気に買収され、
その許可を与えたのが野田だということも、
震災被災地・被害者への同情は口にはする偽善者どもは誰も
チェックさえしない。
チェコはスラヴ系の民による国家であるが、
中世ドイツ系諸国、スウェーデン、
神聖ローマ帝国(→オーストリア帝国→オーストリア・ハンガリー二重帝国)、
ナーツィス・ドイツ、ソ連に支配されつづけてきた歴史がある。
オーストリア帝国→オーストリア・ハンガリー二重帝国支配時代に生きた
Bedrich Smetana*(ベドルジフ・スメタナ、1824-1884)
(*rは実際は特殊文字)の連作交響詩
"Ma Vlast**(マー・ヴラスト=わが祖国)"
(**Maのaは実際は特殊文字)(全6曲)は、同人の
"国民主義"という芸風に従って作曲されたらしい。
他民族国家によって支配されてる祖国への思いを込めた、
ということである。そして、
「交響詩」というジャンルでの"国民主義音楽"を創出すべく、
「我が祖国」という連作を思いついたそうである。が、
若い頃、スメタナは自国での地位を築くのに失敗し、
民族独立運動にも加わっててプラーハには居づらくなり、
妻の健康状態など気にせず、声をかけてくれた
寒い北欧に職を求めた。が、そこは、かつて
祖国に侵攻し支配した歴史があるスウェーデンである。
そんなとこにおめおめと逃げ、よくも
住めたなとは思うが、「芸のためなら女房も泣かす」とか、
チャイコフスキーの意図を無視してでもバス・クラリネットを吹かすのが、
真の芸術家というものなのであろう。この時期、
スメタナは「愛国心」のかけらもない「交響詩」をいくつか作曲した。
スメタナに梅毒の第4期の症状が顕著になったのは
1874年、50歳の頃であるから、性行為感染したのは、
1860年代前半からその数年前あたりと推定される。
妻の体が衰弱し、死去したあたりの頃である。
Goeteborg(ヤーテボーリ)の娼婦あたりにもらったもの、
と思われる。ちなみに、同時期に
ヤーテボーリ(いわゆるヨーテボリあるいはエーテボリ)で娼婦だった
性病持ちの女性がのちにロンドンに移住した。
「切り裂きジャック」の被害者のひとりとして知られる。
クライム・スィーンに落書きを残した切り裂きジャックほどでないにしろ、
自身の名の頭文字B(変ロ)→S(変ホ)を冒頭に刻印するという
自己顕示欲を大いに発揮した「マー・ヴラスト=わが祖国」の第1曲
"Vysehrad***(ヴィシェハラト=高い城)"(***sは特殊文字)
を書き始めた1874年は、ちょうど
スメタナに梅毒第4期の症状が現れた時期と重なる。
連作交響詩の中でもっとも知られた作品である第2曲、
交響詩「ヴルタヴァ(モルダウ)」(1874)も同年に作曲された。
梅毒の第4期と音楽作品の傑作という例は、他にも
パガニーニ、シューバート、ドニゼッティ、ヴォルフ、ジョプリンなど、また、
シューマンの傑作もその精神疾患に加えて脳梅毒のなせるわざ、
という可能性が大きい。それから、
傑作をウミ出したかどうかは何とも言えないが、
ディーリアスも梅毒死した。ともあれ、
作曲家という高知能の脳が梅毒に犯されると、
思いもよらぬほどの妙技を発揮する。
「ヴルタヴァ(モルダウ)」の主要主題は、
♪ミ│<ラー<シ・<ドー<レ│<ミーミ・ミーー│
<ファーー・ファーー│>ミーー・ーー、ミ│
>レーー・レーレ│>ドー<レ・>ドード│
>シーー・シーシ│>ラーー・ーー♪
である。が、これは、
Giuseppino del Biado
(ジュゼッピーノ・デル・ビヤルド=ビアルドのジュゼッピーノ)
と呼ばれた16世紀イタリアの歌手
Giuseppe Cenci(ジュゼッペ・チェンチ)が作った
"La Mantovana(ラ・マントヴァーナ)"が、
"Fuggi Fuggi Fuggi(フッジ、フッジ、フッジ=逃げろ、逃げろ、逃げろ)"
という歌詞を付けられて歌われ、節は
"Ballo di Mantova(バッロ・ディ・マントヴァ=マントヴァの踊り)"とか、
"Aria di Mantova(アーリヤ・ディ・マントヴァ=マントヴァの歌)"とか呼ばれて、
ルネサンス期の欧州一帯に広がったのである。
スコットランドでは"My mistress is prettie(マイ・ミストリス・イズ・プリティ)"、
ポーランドでは"Pod Krakowem(ポト・クラコーヴェム=クラクフで)"
スペインでは"Virgen de la Cueva(ビルヘン・デ・ラ・クエバ=洞窟の聖母)"、
ウクライナでは"Kateryna Kucheryava(カタルィーナ・クチェリャーヴァ=巻き髪のカテリーナ)"
(2拍子で長調)となったという。そして、
ルーマニアとウクライナに挟まれたモルダヴィアでは、
"Cucuruz cu frunza-n sus
(ククルス・ク・フルンザン・スス=まっすぐに立ったような葉をもつトウモロコシ)"
という歌になった。1878年にそれをもとにして、
ウクライナの内陸部ガリツィアの詩人
Naftali Herz Imber(ナフタリ・ヘルツ・インベル、1856-1909)
が作り、Samuel Cohen(シュムーエール・コーヘーン)が編曲したのが、
のちにイスラエル国歌となった"Hatikvah(ハティクヴァ=希望)である。
♪ラ<シ・<ド<レ・・<ミー・ミー│<ファ>ミ・<ファ<ラ・・>ミー・ーー│
>レー・レレ・>ドー・ドー│>シ>ラ・<シ<ド・・>ラー・ー、♪
このように、
「ルネサンス期のイタリアの流行歌が欧州各地に伝播してったもののひとつ」
が、「モルダウ」の「源泉」なのである。ルネサンス期のイタリア、といえば、
1972年に制作されたフィリップ・ルルワ主演のTVドラマ
"La Vita di Leonardo da Vinci(レオナルド・ダ・ヴォンチの生涯)"
のテーマ音楽も、
♪ラ<シ・<ド<レ・・<ミー・ミー│>ララ・ラ<レ<ファ・・>ミー・>ラー♪
というものだった。また、
チャイコフスキーの弦楽六重奏「フィレンツェの思い出」の終楽章の主要主題も、
♪ラー<シー・<ドー<レー│ミーミ>レ・ミーーー│
>レー<ミー・>レー<ミー│ミーーミ>レ・ミーーー♪
というものであり、
「オルレアンの少女」の第2幕第10曲で「吟遊詩人」が歌う歌も
♪●●・●ミ・・<ラ<シ・<ド<レ│<ミー・ーミ・・>レ<ミ・<ファ>レ│<ミー・ミ♪
というものである。この歌は、やはり1878年に手がけられた
pf曲集「子供のためのアルバム(op.39)」(全24曲)の第16曲、
「古いフランスの歌」(こちらでは2拍子)としても採られてる。
そして、
肝腎のボヘミア(チェコ)では、
"Kocka leze dirou****
(コチカ・レゼ・ディーロウ=子猫ちゃんは穴を這って通る)"
(****c,iは実際には特殊文字)
という長化された(長調)ものとして歌われた。
♪ド<レ・<ミ<ファ・・<ソー・ソー│【<ラー・ラー・・>ソー・●●】│
【<ラー・ラー・・>ソー・●●】│
>ファファ・ファファ・・>ミー・ミー│>レー・レー・・<ソー・●●│
>ファファ・ファファ・・>ミー・ミー│>レー・レー・・>ドー・●●♪
ちなみに、
最初の音節を繰り返す→「おお牧場はみどり」も同様である。
♪【ソー・>ミ<ファ・・<ソー・<ミー│>ドー・>ラー・・>ソー】│
【ソー・>ミ<ファ・・<ソー・<ミー│>ドー・>ラー・・>ソー】│
<ミミ・ミ<ファ・・>ミー・>レー│レレ・レ<ミ・・>レ>ド・<ミー│
ソー・>ミ<ファ・・<ソー・<ミー│>ドー・>ラー・・>ソー│
<ミミ・ミ<ファ・・<ソー・>ファー│>ラー・<シー・・<ドー・●●♪
チェコ・スロヴァキア人の特徴かもしれない。
ともあれ、この
"Kocka leze dirou(コチカ・レゼ・ディーロウ)という
"チェコ民謡"がスメタナの「ヴルタヴァ」の主題のもとになってる、と
NHK-BSの番組「名曲探偵アマデウス」の中で
チェコ人女性も解説してた。ところが、
米TVドラマ"Oz"の「エメラルド・スィティ」創案者の
ティム・マクナマス役Terry Kinney(ザ・メンタリストにも出演した)と、
同じく米TVドラマ"Gilmore Girls"の
娘ロウリーの学友パリス役Liza Weil女史の顔が区別できない
拙脳なる私には、
小学校5年生のときに初めて「モルダウ」を聴いて以来、その
長化された(長調)最後の部分が、どうしても、
「小ぎつね」に聞こえてしかたなかった。
♪ド<レ<ミ<ファ│<ソソソソ│【<ラ>ファ<ド>ラ│>ソーーー】│
【<ラ>ファ<ド>ラ│>ソーーー】│
ソ>ファファファ│ファ>ミミミ│ミ>レ<ミ>レ│>ド<ミ<ソー│
ソ>ファファファ│ファ>ミミミ│ミ>レ<ミ>レ│>ドーーー♪
(小ぎつね、コンコン。山の中)
この文部省唱歌のモトネタは、ドイツの子供の歌である
"Fuchs, du hast die Gans gestohlen"
(フクス、ドゥ・ハスト・ディ・ガンス・ゲシュトーレン
=キツネさん、あんたがガチョウ盗んだでがんす)
"Fuchs, du hast die Gans gestohlen,
gib sie wieder her,
gib sie wieder her!
Sonst wird dich der Jäger holen, mit dem Schiessgewehr!
Sonst wird dich der Jäger holen, mit dem Schiessgewehr!
Seine grosse, lange Flinte schiesst auf dich das Schrot,
schiesst auf dich das Schrot,
dass dich faerb die rote Tinte und dann bist du tot,
dass dich faerb die rote Tinte und dann bist du tot.
Liebes Füchslein, lass dir raten, sei doch nur kein Dieb,
sei doch nur kein Dieb!
Nimm, du brauchst nicht Gaensebraten, mit der Maus vorlieb,
nimm, du brauchst nicht Gaensebraten, mit der Maus vorlieb!"
(フクス、ドゥ・ハスト・ディ・ガンス・ゲシュトーレン、
ギープ・ズィー・ヴィーダー・ヘーア、
ギープ・ズィー・ヴィーダー・ヘーア!
ゾンスト・ヴィルト・ディヒ・デア・イェーガー・ホーレン、ミット・デム・シースゲヴェーア!
ゾンスト・ヴィルト・ディヒ・デア・イェーガー・ホーレン、ミット・デム・シースゲヴェーア!
ザイネ・グロセ、ランゲ・フリンテ・シースト・アオフ・ディヒ・ダス・シュロート、
シースト・アオフ・ディヒ・ダス・シュロート、
ダス・ディヒ・フェアプ・ローテ・ティンテ・オント・ダン・ビスト・ドゥー・トート、
ダス・ディヒ・フェアプ・ローテ・ティンテ・オント・ダン・ビスト・ドゥー・トート!
リーベス・フュクスライン、ラス・ディーア・ラーテン、ザイ・ドーホ・ヌーア・カイン・ディープ、
ザイ・ドーホ・ヌーア・カイン・ディープ!
ニム、ドゥー・ブラオフスト・ニヒト・ゲンゼブラーテン・ミット・デア・マオス・フォアリープ、
ニム、ドゥー・ブラオフスト・ニヒト・ゲンゼブラーテン・ミット・デア・マオス・フォアリープ!)
「(拙大意)
このキツネ野郎、てめえガチョウ盗みやがったな。
返せ、この野郎、
返せって言ってんだろ、このクソ野郎!
さもないと、てめえを猟師が鉄砲で撃ってさ、煮てさ、焼いてさ!
さもないと、猟師にてめえが撃たれるはめになるぞ!
猟師のデカくて長い猟銃がてめえを撃ったら、
てめえをブチ抜いたら、
てめえは無色のものが赤いインクをぶっかけられたみたいになっておだぶつダゼ、
てめえは血だらけになってあの世行きだってことよ。
小ギツネちゃんさ、忠告させてもらってもいいかな。
ロシア人とか支那人とか朝鮮人とかみたいな泥棒にだけはなっちゃいけねえな。
あんな人間のクズみたいなのにはなるんじゃねえよ!
こうするんだ。ガチョウの丸焼きなんかてめえにはいらねえんだ。ネズミにしとけ。
いいか、てめえはこうするんだ。ガチョウの丸焼きなんかてめえには似合わねえ。
ネズミでも追っかけてろ。わかったか、この野郎!」
ここで挙げられてる猟銃はアンシュッツ社製ではないはずであるが、
このキンダーリート(童謡)は、
Ernst Anschuetz(エルンスト・アンシュッツ、1780-1861)という
音楽教育家が、スメタナが生まれた年である
1824年に作って発表したものである。アンシュッツは、
"O Tannenbaum(オー・タネンバオム=邦題「樅の木」)"の
共同作詞者として有名な人物である。また、のちに
ベルクが作曲したオペラ「ヴォツェック」のモトネタである
娼婦刺殺犯ヨーハン・クリスティアン・ヴォイツェック死刑囚が、やはり
1824年に公開斬首刑に処せられたときのことを、
"丹念"に書き記してることでも知られる。
ともあれ、いっぽう、
先ほどの"古いチェコの民謡"である"Kocka leze dirou"は、
"Kocka leze dirou pes oknem, pes oknem,
nebudeli prset, nezmoknem,
nebudeli prset, nezmoknem.
A kdyz bude prset, zmokneme, zmokneme,
na slumicku zase uschmneme."
(特殊文字は通常の文字で代用した)
(コチカ・レゼ・ディーロウ・ペス・オクニェム、ペス・オクニェム。
ネブデ・リ・プリシェト・ネズモクニェム、ネズモクニェム。
ア・グディシ・ブデ・プリシェト、ズモクニェム、
ナ・スルニーチク・ザセ・ウスフネメ。)
「(拙大意)
猫は壁穴を這い抜け、犬は窓から、犬は窓から。
雨でも濡れない。
それに、雨のとき濡れたとしても、
陽に向けてまた乾かせばいいだけ。)
この「チェコ版」は、
「雨」という侵略者に対して、
猫も犬も抵抗せずに濡れない方策を見つける。
仮に雨の被害に遭っても堪え忍んで
「雨=侵略者」の反意語である「太陽」を待ち、
その恩恵にあずかるという方針である。
これは実際、チェコがチェチェンのようにあくどいロシアに対して
「ニーにはニーを、ハオにはハオを」
というような血で血を洗う
爆破テロを仕掛けたりするような国民性でないことと
合致してる。いっぽう、
「ドイツ版」はかなり強気である。もし、
ドイツに侵攻したりドイツのものを略奪したりするものがいたら、
容赦なく力に訴える、と脅してるのである。
こうしてみると、
スメタナが「モルダウ」のフルートやクラリネットの冒頭の動機に書き込んだようには、
この主題のほうは「2つの源流」などではなく、むしろ、
1つの源流が欧州各地に広がり分岐してったが、
その中のひとつにすぎなかった
ということだろう。いずれにしても、
スメタナの交響詩「ヴルタヴァ」は、
オーケストレイションに巧みさが見られるいっぽうで
場所によってはやや弱点が散見されるものの、
じつによく練られた傑作であるとはいえる。
埋め尽くされてた。だから、昭和20年の3月9日・10日の
米国による民間人無差別攻撃である東京大空襲の惨状については、
古い物が新しい物によって更新されるがごとく、
完全に隅に追いやられてしまってる。また、
北方領土をジュガシヴィリ・ソ連によって、
竹島を不正選挙で自国民に追い出されたリ・ショウバンによって、
実行支配され、
尖閣諸島を台湾・中国に領有権を主張されてることには、
売国政党民主党を大勝させた愚国民には振り向きもされない。また、
国家公務員共済組合連合会(旧グラヴァー邸)の南麻布の一等地、
新潟万代小学校跡地、名古屋の国家公務員宿舎跡地、
などが民主党政権になってから中国によって一気に買収され、
その許可を与えたのが野田だということも、
震災被災地・被害者への同情は口にはする偽善者どもは誰も
チェックさえしない。
チェコはスラヴ系の民による国家であるが、
中世ドイツ系諸国、スウェーデン、
神聖ローマ帝国(→オーストリア帝国→オーストリア・ハンガリー二重帝国)、
ナーツィス・ドイツ、ソ連に支配されつづけてきた歴史がある。
オーストリア帝国→オーストリア・ハンガリー二重帝国支配時代に生きた
Bedrich Smetana*(ベドルジフ・スメタナ、1824-1884)
(*rは実際は特殊文字)の連作交響詩
"Ma Vlast**(マー・ヴラスト=わが祖国)"
(**Maのaは実際は特殊文字)(全6曲)は、同人の
"国民主義"という芸風に従って作曲されたらしい。
他民族国家によって支配されてる祖国への思いを込めた、
ということである。そして、
「交響詩」というジャンルでの"国民主義音楽"を創出すべく、
「我が祖国」という連作を思いついたそうである。が、
若い頃、スメタナは自国での地位を築くのに失敗し、
民族独立運動にも加わっててプラーハには居づらくなり、
妻の健康状態など気にせず、声をかけてくれた
寒い北欧に職を求めた。が、そこは、かつて
祖国に侵攻し支配した歴史があるスウェーデンである。
そんなとこにおめおめと逃げ、よくも
住めたなとは思うが、「芸のためなら女房も泣かす」とか、
チャイコフスキーの意図を無視してでもバス・クラリネットを吹かすのが、
真の芸術家というものなのであろう。この時期、
スメタナは「愛国心」のかけらもない「交響詩」をいくつか作曲した。
スメタナに梅毒の第4期の症状が顕著になったのは
1874年、50歳の頃であるから、性行為感染したのは、
1860年代前半からその数年前あたりと推定される。
妻の体が衰弱し、死去したあたりの頃である。
Goeteborg(ヤーテボーリ)の娼婦あたりにもらったもの、
と思われる。ちなみに、同時期に
ヤーテボーリ(いわゆるヨーテボリあるいはエーテボリ)で娼婦だった
性病持ちの女性がのちにロンドンに移住した。
「切り裂きジャック」の被害者のひとりとして知られる。
クライム・スィーンに落書きを残した切り裂きジャックほどでないにしろ、
自身の名の頭文字B(変ロ)→S(変ホ)を冒頭に刻印するという
自己顕示欲を大いに発揮した「マー・ヴラスト=わが祖国」の第1曲
"Vysehrad***(ヴィシェハラト=高い城)"(***sは特殊文字)
を書き始めた1874年は、ちょうど
スメタナに梅毒第4期の症状が現れた時期と重なる。
連作交響詩の中でもっとも知られた作品である第2曲、
交響詩「ヴルタヴァ(モルダウ)」(1874)も同年に作曲された。
梅毒の第4期と音楽作品の傑作という例は、他にも
パガニーニ、シューバート、ドニゼッティ、ヴォルフ、ジョプリンなど、また、
シューマンの傑作もその精神疾患に加えて脳梅毒のなせるわざ、
という可能性が大きい。それから、
傑作をウミ出したかどうかは何とも言えないが、
ディーリアスも梅毒死した。ともあれ、
作曲家という高知能の脳が梅毒に犯されると、
思いもよらぬほどの妙技を発揮する。
「ヴルタヴァ(モルダウ)」の主要主題は、
♪ミ│<ラー<シ・<ドー<レ│<ミーミ・ミーー│
<ファーー・ファーー│>ミーー・ーー、ミ│
>レーー・レーレ│>ドー<レ・>ドード│
>シーー・シーシ│>ラーー・ーー♪
である。が、これは、
Giuseppino del Biado
(ジュゼッピーノ・デル・ビヤルド=ビアルドのジュゼッピーノ)
と呼ばれた16世紀イタリアの歌手
Giuseppe Cenci(ジュゼッペ・チェンチ)が作った
"La Mantovana(ラ・マントヴァーナ)"が、
"Fuggi Fuggi Fuggi(フッジ、フッジ、フッジ=逃げろ、逃げろ、逃げろ)"
という歌詞を付けられて歌われ、節は
"Ballo di Mantova(バッロ・ディ・マントヴァ=マントヴァの踊り)"とか、
"Aria di Mantova(アーリヤ・ディ・マントヴァ=マントヴァの歌)"とか呼ばれて、
ルネサンス期の欧州一帯に広がったのである。
スコットランドでは"My mistress is prettie(マイ・ミストリス・イズ・プリティ)"、
ポーランドでは"Pod Krakowem(ポト・クラコーヴェム=クラクフで)"
スペインでは"Virgen de la Cueva(ビルヘン・デ・ラ・クエバ=洞窟の聖母)"、
ウクライナでは"Kateryna Kucheryava(カタルィーナ・クチェリャーヴァ=巻き髪のカテリーナ)"
(2拍子で長調)となったという。そして、
ルーマニアとウクライナに挟まれたモルダヴィアでは、
"Cucuruz cu frunza-n sus
(ククルス・ク・フルンザン・スス=まっすぐに立ったような葉をもつトウモロコシ)"
という歌になった。1878年にそれをもとにして、
ウクライナの内陸部ガリツィアの詩人
Naftali Herz Imber(ナフタリ・ヘルツ・インベル、1856-1909)
が作り、Samuel Cohen(シュムーエール・コーヘーン)が編曲したのが、
のちにイスラエル国歌となった"Hatikvah(ハティクヴァ=希望)である。
♪ラ<シ・<ド<レ・・<ミー・ミー│<ファ>ミ・<ファ<ラ・・>ミー・ーー│
>レー・レレ・>ドー・ドー│>シ>ラ・<シ<ド・・>ラー・ー、♪
このように、
「ルネサンス期のイタリアの流行歌が欧州各地に伝播してったもののひとつ」
が、「モルダウ」の「源泉」なのである。ルネサンス期のイタリア、といえば、
1972年に制作されたフィリップ・ルルワ主演のTVドラマ
"La Vita di Leonardo da Vinci(レオナルド・ダ・ヴォンチの生涯)"
のテーマ音楽も、
♪ラ<シ・<ド<レ・・<ミー・ミー│>ララ・ラ<レ<ファ・・>ミー・>ラー♪
というものだった。また、
チャイコフスキーの弦楽六重奏「フィレンツェの思い出」の終楽章の主要主題も、
♪ラー<シー・<ドー<レー│ミーミ>レ・ミーーー│
>レー<ミー・>レー<ミー│ミーーミ>レ・ミーーー♪
というものであり、
「オルレアンの少女」の第2幕第10曲で「吟遊詩人」が歌う歌も
♪●●・●ミ・・<ラ<シ・<ド<レ│<ミー・ーミ・・>レ<ミ・<ファ>レ│<ミー・ミ♪
というものである。この歌は、やはり1878年に手がけられた
pf曲集「子供のためのアルバム(op.39)」(全24曲)の第16曲、
「古いフランスの歌」(こちらでは2拍子)としても採られてる。
そして、
肝腎のボヘミア(チェコ)では、
"Kocka leze dirou****
(コチカ・レゼ・ディーロウ=子猫ちゃんは穴を這って通る)"
(****c,iは実際には特殊文字)
という長化された(長調)ものとして歌われた。
♪ド<レ・<ミ<ファ・・<ソー・ソー│【<ラー・ラー・・>ソー・●●】│
【<ラー・ラー・・>ソー・●●】│
>ファファ・ファファ・・>ミー・ミー│>レー・レー・・<ソー・●●│
>ファファ・ファファ・・>ミー・ミー│>レー・レー・・>ドー・●●♪
ちなみに、
最初の音節を繰り返す→「おお牧場はみどり」も同様である。
♪【ソー・>ミ<ファ・・<ソー・<ミー│>ドー・>ラー・・>ソー】│
【ソー・>ミ<ファ・・<ソー・<ミー│>ドー・>ラー・・>ソー】│
<ミミ・ミ<ファ・・>ミー・>レー│レレ・レ<ミ・・>レ>ド・<ミー│
ソー・>ミ<ファ・・<ソー・<ミー│>ドー・>ラー・・>ソー│
<ミミ・ミ<ファ・・<ソー・>ファー│>ラー・<シー・・<ドー・●●♪
チェコ・スロヴァキア人の特徴かもしれない。
ともあれ、この
"Kocka leze dirou(コチカ・レゼ・ディーロウ)という
"チェコ民謡"がスメタナの「ヴルタヴァ」の主題のもとになってる、と
NHK-BSの番組「名曲探偵アマデウス」の中で
チェコ人女性も解説してた。ところが、
米TVドラマ"Oz"の「エメラルド・スィティ」創案者の
ティム・マクナマス役Terry Kinney(ザ・メンタリストにも出演した)と、
同じく米TVドラマ"Gilmore Girls"の
娘ロウリーの学友パリス役Liza Weil女史の顔が区別できない
拙脳なる私には、
小学校5年生のときに初めて「モルダウ」を聴いて以来、その
長化された(長調)最後の部分が、どうしても、
「小ぎつね」に聞こえてしかたなかった。
♪ド<レ<ミ<ファ│<ソソソソ│【<ラ>ファ<ド>ラ│>ソーーー】│
【<ラ>ファ<ド>ラ│>ソーーー】│
ソ>ファファファ│ファ>ミミミ│ミ>レ<ミ>レ│>ド<ミ<ソー│
ソ>ファファファ│ファ>ミミミ│ミ>レ<ミ>レ│>ドーーー♪
(小ぎつね、コンコン。山の中)
この文部省唱歌のモトネタは、ドイツの子供の歌である
"Fuchs, du hast die Gans gestohlen"
(フクス、ドゥ・ハスト・ディ・ガンス・ゲシュトーレン
=キツネさん、あんたがガチョウ盗んだでがんす)
"Fuchs, du hast die Gans gestohlen,
gib sie wieder her,
gib sie wieder her!
Sonst wird dich der Jäger holen, mit dem Schiessgewehr!
Sonst wird dich der Jäger holen, mit dem Schiessgewehr!
Seine grosse, lange Flinte schiesst auf dich das Schrot,
schiesst auf dich das Schrot,
dass dich faerb die rote Tinte und dann bist du tot,
dass dich faerb die rote Tinte und dann bist du tot.
Liebes Füchslein, lass dir raten, sei doch nur kein Dieb,
sei doch nur kein Dieb!
Nimm, du brauchst nicht Gaensebraten, mit der Maus vorlieb,
nimm, du brauchst nicht Gaensebraten, mit der Maus vorlieb!"
(フクス、ドゥ・ハスト・ディ・ガンス・ゲシュトーレン、
ギープ・ズィー・ヴィーダー・ヘーア、
ギープ・ズィー・ヴィーダー・ヘーア!
ゾンスト・ヴィルト・ディヒ・デア・イェーガー・ホーレン、ミット・デム・シースゲヴェーア!
ゾンスト・ヴィルト・ディヒ・デア・イェーガー・ホーレン、ミット・デム・シースゲヴェーア!
ザイネ・グロセ、ランゲ・フリンテ・シースト・アオフ・ディヒ・ダス・シュロート、
シースト・アオフ・ディヒ・ダス・シュロート、
ダス・ディヒ・フェアプ・ローテ・ティンテ・オント・ダン・ビスト・ドゥー・トート、
ダス・ディヒ・フェアプ・ローテ・ティンテ・オント・ダン・ビスト・ドゥー・トート!
リーベス・フュクスライン、ラス・ディーア・ラーテン、ザイ・ドーホ・ヌーア・カイン・ディープ、
ザイ・ドーホ・ヌーア・カイン・ディープ!
ニム、ドゥー・ブラオフスト・ニヒト・ゲンゼブラーテン・ミット・デア・マオス・フォアリープ、
ニム、ドゥー・ブラオフスト・ニヒト・ゲンゼブラーテン・ミット・デア・マオス・フォアリープ!)
「(拙大意)
このキツネ野郎、てめえガチョウ盗みやがったな。
返せ、この野郎、
返せって言ってんだろ、このクソ野郎!
さもないと、てめえを猟師が鉄砲で撃ってさ、煮てさ、焼いてさ!
さもないと、猟師にてめえが撃たれるはめになるぞ!
猟師のデカくて長い猟銃がてめえを撃ったら、
てめえをブチ抜いたら、
てめえは無色のものが赤いインクをぶっかけられたみたいになっておだぶつダゼ、
てめえは血だらけになってあの世行きだってことよ。
小ギツネちゃんさ、忠告させてもらってもいいかな。
ロシア人とか支那人とか朝鮮人とかみたいな泥棒にだけはなっちゃいけねえな。
あんな人間のクズみたいなのにはなるんじゃねえよ!
こうするんだ。ガチョウの丸焼きなんかてめえにはいらねえんだ。ネズミにしとけ。
いいか、てめえはこうするんだ。ガチョウの丸焼きなんかてめえには似合わねえ。
ネズミでも追っかけてろ。わかったか、この野郎!」
ここで挙げられてる猟銃はアンシュッツ社製ではないはずであるが、
このキンダーリート(童謡)は、
Ernst Anschuetz(エルンスト・アンシュッツ、1780-1861)という
音楽教育家が、スメタナが生まれた年である
1824年に作って発表したものである。アンシュッツは、
"O Tannenbaum(オー・タネンバオム=邦題「樅の木」)"の
共同作詞者として有名な人物である。また、のちに
ベルクが作曲したオペラ「ヴォツェック」のモトネタである
娼婦刺殺犯ヨーハン・クリスティアン・ヴォイツェック死刑囚が、やはり
1824年に公開斬首刑に処せられたときのことを、
"丹念"に書き記してることでも知られる。
ともあれ、いっぽう、
先ほどの"古いチェコの民謡"である"Kocka leze dirou"は、
"Kocka leze dirou pes oknem, pes oknem,
nebudeli prset, nezmoknem,
nebudeli prset, nezmoknem.
A kdyz bude prset, zmokneme, zmokneme,
na slumicku zase uschmneme."
(特殊文字は通常の文字で代用した)
(コチカ・レゼ・ディーロウ・ペス・オクニェム、ペス・オクニェム。
ネブデ・リ・プリシェト・ネズモクニェム、ネズモクニェム。
ア・グディシ・ブデ・プリシェト、ズモクニェム、
ナ・スルニーチク・ザセ・ウスフネメ。)
「(拙大意)
猫は壁穴を這い抜け、犬は窓から、犬は窓から。
雨でも濡れない。
それに、雨のとき濡れたとしても、
陽に向けてまた乾かせばいいだけ。)
この「チェコ版」は、
「雨」という侵略者に対して、
猫も犬も抵抗せずに濡れない方策を見つける。
仮に雨の被害に遭っても堪え忍んで
「雨=侵略者」の反意語である「太陽」を待ち、
その恩恵にあずかるという方針である。
これは実際、チェコがチェチェンのようにあくどいロシアに対して
「ニーにはニーを、ハオにはハオを」
というような血で血を洗う
爆破テロを仕掛けたりするような国民性でないことと
合致してる。いっぽう、
「ドイツ版」はかなり強気である。もし、
ドイツに侵攻したりドイツのものを略奪したりするものがいたら、
容赦なく力に訴える、と脅してるのである。
こうしてみると、
スメタナが「モルダウ」のフルートやクラリネットの冒頭の動機に書き込んだようには、
この主題のほうは「2つの源流」などではなく、むしろ、
1つの源流が欧州各地に広がり分岐してったが、
その中のひとつにすぎなかった
ということだろう。いずれにしても、
スメタナの交響詩「ヴルタヴァ」は、
オーケストレイションに巧みさが見られるいっぽうで
場所によってはやや弱点が散見されるものの、
じつによく練られた傑作であるとはいえる。
コメント、ありがとうございました。
https://m.youtube.com/watch?v=BJLpPt1cbWw
イスラエル国歌を初めて耳にした際、「古いフランスの歌」に似てるなぁ、と感じた。
それから何年も後、その国歌は「モルダウに似ている」という指摘を、ネットでは見かけた。
そういえばそうかな、という程度にしか思ってなかったけど、関連がしっかりあったのですね。
また、イスラエル国歌は「こぎつね」を連想したのも確か。
まさか、これまでも関係があるなんて!
なにより、似てると気付いてる方がほかにおられたとは!
何度もお出ましくださっておつかれさまです。
♪●●レ>シ│>ファーファー・ファーファー・・ファ>ミ<ファ<ソ・<ラー、
>ファ<ソ│<ラーラー・ラーラー・・ラ>ソ<ラ<シ・<ドー、
>シ<ド│<レー>ド<レ・<ミー>レ<ミ・・<ファー<ソー・<ラー、
●●│>レレレレレレ(6連)・レー●●・・<ララララララ(6連)・ラー●●│
>ミミミミミミ(6連)・ミミミミミミ(6連)・・ミミミミミミ(6連)・ミミミミミミ(6連)・│
ミ●>レー・<ラーーー・●●♪
の箇所のことなら、
スメタナのポルカとは曲想も曲の趣旨も似てもにつかないものです。
"Beck"というよりはまったくの"Becken(別件)"といえるでしょう。
また、"どちらも1867年"という同年に作曲されたものならなおさら、
どちらかがどちらかから感化されようもありませんね。
もっとも、これをどう感じようと人それぞれ、
めいめい、め~め~、Meeeeeee-ck!の自由ですが、
この二つが似てる、などとしたら、暗殺されなければ
1867年も2期目の任期中だったはずのリンカンが大好きだったという
"Dixie(I Wish I Was in Dixie)":
♪ソ>ミ│>ドードー・ド<レ<ミ<ファ│<ソーソー・ソー>ミー│
<ラーラー・ラーー>ソ│<ラーー、>ソ・<ラ<シ<ド<レ│<ミーーー・ーー、>ド>ソ│
<ドーーー・ーー、>ソ>ミ│<ソーーー・ーー、>レ<ミ│>ドー●●・●●♪
という19世紀米国南部の流行歌のほうが、
よほど"似てる"ものに仕立てあげることは容易でしょう。
それと聞き取りも間違ってました。小節線は別としてミとラが2つずつ不足してました。
ところで、この「ラララ・・」を聴くと、ニュルンベルクのマイスタージンガー3幕の仕立屋の親方入場の男声合唱を思い出します。
ヤギの皮を被って敵を追い払うくだりです。
小節線は分かりません。また音も間違えてたら御容赦を。
ソ|ファファファファファミファソラ
ファソ|ラララララソラシド
シド|・・・
どちらも1867年の作品ですが、勇敢な仕立屋と若者達が何となく被さります。
手持ちのCDに歌詞が付いておらず、おおまかな筋書きからの推測ですが、ダリボールが刑を受けた経緯も死の経緯も史実と随分違い、
ラララ・・と歌詞を付けなかったのは「致し方なかった事件」としての扱いで当局に睨まれないようにしたのではないか、と想像しています。
兵士らが酔っ払って皆でハミングするポルカのことでしょうか。それなら、
♪ドッ<レッ│<ミー、ミー・ミー、ミ<ファ│>ミー、ミ<ファ・>ミー、
ミッ<ファッ│ソーッ、ソー・ソー、ソ<ラ│>ソー、ソ<ラ・>ソー、
<ドー、│>ソー、ソッ<ラッ・>ソー、<ドー、│>ソー、ソッ<ラッ・>ソー、
<ドー、│>ソー、>ミ<ファ・>ミー、>レ<ミ│>レー、>ドー・ドー、
<レー、│レー、>ドー・ドー、<レー、│レー、>ドー・ドー、ドー│ドー・ー♪
です。といっても、拙脳なる私には大黒摩季女史の
「ら・ら・ら」と区別がつきませんが。ともあれ、この
奢られる兵士も久しからぬポルカは比べるまでもなく、
♪ド<レ・<ミ<ファ・・<ソー・ソー│<ラー・ラー・・>ソー・●●♪
とはまったく別ものですね。
それをミラダというよりはミダリにくっつけようとするのは、
タリボルを一方的に悪者と触れまわったミラダの行為と
違わないとは思いませんか? それに、
このオペラは「モルダウ」より前の作品なので、その点でも
「再利用」というのにはあたりませんね。
スメタナのオペラ、ダリボールの2幕冒頭に男声合唱があり、
ドレ|ミッミファミッミファミッ休ミファ|ソッソラソッソラソッ休ド|ソッソラソドソッソラソッド|・・・となっています。
♪ド<レ・ミ<ファ・・<ソー・ソー│【<ラー・ラー・・>ソー・●●】│
を血気盛んな若者用にアレンジしたみたいに聞こえます。