ミレー 落ち穂拾い
今日は、フランス・バルビゾン派の画家
Jean-Francois Millet(ジョン・フランスワ・ミレ、1814-1875)
が生まれて200年の日にあたる。
ミレーといえば「晩鐘」「種蒔く人」「落ち穂拾い」
の3点が有名である。すべて"農民"を題材に採った
"宗教画"である。だから、
牧師の不肖の倅だったゴッホは大いに影響を受けた。また、
ダリは神父の倅でもなく貧しい家の出でもないが(むしろ裕福)、
幼くして死んだ兄と同じ名(サルバドール)を付けられた。
そのことがゴッホ(フィンセント)とまったく一緒だったことから
ゴッホがとらわれたミレーに執着することとなった。
"Des glaneuses(レ・グラヌズ=(邦題)落ち穂拾い)"(1857)は、
そのミレーの"三大農民宗教画"の中でももっとも有名な絵である。
遠景では馬に乗った地主農らしき人物が雇用農らに
刈り入れた穂を積む指図をしてる。そのいっぽうで、
近景には「3人」のみすぼらしい女性がその遠景の労働者らが
取りこぼしてった穂を拾ってる、という図である。
仕事がノロい懲罰として居残りでまだ拾わされてる、というわけではない。
その帽子が「青」「赤」「黄」という「3色」であることから、
「神」と「子」と「精霊」の「三位一体」を示してると推察できる。
キリスト教の「3」をことさら強調してるのである。
(cf;「3というキリスト教の奇妙な数字とLady Gaga」
http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/e44e23858aa6a9171b903731bfe6440f )
実際、
この絵は「旧約聖書」の「ルツ記」の説話を譬えてるのである。
<刈り入れで取りこぼした麦は、
寡婦・孤児・被差別民などが拾うようにさせよ>
などという内容である。キリスト教はそうした教義を引き継ぎ、
恵まれた者らに"施しの精神"を育ませた。
ご立派である。……が、
他の小作農や雇用者なみの労働力がない彼らを
その労働力に見合った職や報酬で雇ってやることはしない。
恵みを施すのはこの"取りこぼしの目こぼし"だけであり、
日常的に扶助してやってるわけではない。
きわめて偽善的な行為である。
日本人籍でないために働けないので、
(装った)事故で働けないので、
生活保護を申請する者らに税金で養う日本人のほうが
よほど立派である。
インフラを敷いてやり、文字を読めるようにしてやり、
農作業を教えてやっても、それに恩義を感じるどころか、
恨み妬み日本人を猿と蔑む民もいる。
ミレーは若い頃、生活のために裸婦画を描いてたことを
恥じてたらしい。
ジャン・ジャック・ルソーは洋梨が大好物だったのに
その形状が女性器に似てることから
見栄で自分で買うことを躊躇ったという。
こうした"社会主義的思想"の人物に多くみられる
虚勢張りの典型である。
絵で気になることがある。
この恵まれない3女性は地面に落ちてる穂を、
中腰で拾ってることである。
腰にもっとも負担がかかり、
血圧が著しく上がる姿勢である。
膝から腰あたりまでの高さにあるものを拾うのでないのに、
である。
地面のものを拾うのだったら、
もっと腰を落として、
しゃがんだり、地べたに這い蹲っったほうが
楽だし効率もいいのに、である。
中腰の過酷そうな姿勢のほうが絵的にはいいと判じたから
そう描いたのだろうか。いずれにしても、
そこに虚飾やわざとらしさを感じてしまう絵である。
とはいえ、
故ホイットニ・ヒューストンの声と
ワン・ダイレクションのヴォウカル・サウンドの区別がつなかい
拙耳なる私の感想にすぎないが。
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