祝田橋と気象庁前あるいは平川門との間の
内堀通りを車でよく通る。するとたまに、
着任した外国の大使が信任状捧呈式に向かう儀装馬車の通過で
皇居前が一時、停められるのにぶつかってしまうことがある。が、
風情ある光景なので、遭遇したらしたでそれもまた一興である。本日は、
新任の日本国駐箚アメリカ合衆国特命全権大使キャロライン・ブヴィエ=ケネディ閣下の
信任状捧呈式の日だった。他国の大使なら、
ものの数分で通行止めは解除されるのだが、
米国、しかもキャロライン女史ともなると、
日頃は反米左翼のマスコミから一般人まで大挙して出てるので大変である。ときに、
4年前、同女史の駐ヴァティカン大使就任をローマ法王庁が拒否したのは、
カトリック信者ながら人工中絶肯定派だからだった。今回、
日本に起用された最大の目的は、同女史による
日本へのTPPにおける圧力・根回しである。
アメリカが本当に狙ってるのは米穀などへの関税撤廃ではない。
日本の根本政策である非関税障壁の崩壊にある。
混合診療や病院の株式会社経営の許可、そして、
旧郵政公社の生保(生活保護、ではない)に競合する商品で
ジャパン・マネーをごっそりいただくことなどである。
信任状捧呈式送迎用の二頭曳き座馭式儀装馬車の発着場所が、
戦後GHQに接収されてその極東空軍司令部として使われてた
「明治生命館」であることが、じつに皮肉である。が、
日本は米国に対して敗戦国なので、いずれにせよ、
かつての神奈川港要求を漁村横浜にする程度の抵抗はしても
要求をのむ以外に生きる道はないのである。
すでに詰んでる、のである。
第1弾ペリー・ハリスによる開港、
第2弾米日戦争で負かすことによる日本の国体・思想・文化の改変、そして、
非WASPオバマに課せられたのが第3弾TPPなのである。
第4弾はおそれおおくて書けない。同様に
非WASPであり、英国王の下僕だったアイリッシュのJFKは
支配者からの期待に応えず消されたのである。今回、
その娘が父の不届きを挽回させられにやってきたのである。ちなみに、
アイリッシュながらポウクは家族こぞって、レーガンは自身がプロテスタントだった。
本日はまた、
かのリンカンが南北戦争の激戦地であるペンスルヴェイニャ州ゲティスバーグの
国立戦没者墓地での奉献式で、
例の有名な演説を行った日から150年にあたる日である。数日前に、
その演説を150年前に「ばかげた発言」と批判した
ペイトリオット・ニューズ紙が、その発言を撤回する、などという
150年めの謝罪をしたことがマスコミに小さく採りあげられてた。
"ばかげた"というよりは"偽善的"な演説ではある。が、
リンカンもこの演説も、巷では大人気なので、大衆迎合したこの謝罪は
いまさらながらの点数稼ぎでみっともない。
点数といえば、この語を英訳すればscoreとなるが、
リンカンのその演説は、
"Four score and seven years ago"
(フォア・スコア・アンド・セヴン・ニヤズ・アゴウ)
で始まる。
「(4×20+7)年前」
である。つまり、87年前、ということである。
"score"という語は元来、というよりも、
sc-という接頭辞は、
「刻む(切りつける)」
行為を表した。
scale(目盛)は刻んで数える。
scratch(ひっかく)ことは物体に刻みを入れることである。ともあれ、
羊や牛を数えるのに、両手両足の指20本を使い、
20になると棒っ切れに刻みを入れた習慣があったことに拠るらしい。
フランス語にも同発想の数えかた(quatre-vingts=4×20)が残ってて、それを
石原慎太郎がバカにして顰蹙をかったことがあった。それはともかくも、
ゲティスバーグの戦闘が、勝った北軍と負けた南軍の死傷者が
ほぼ同じだったという汚点を糊塗するためのイヴェントが、
そのゲティスバーグに国立戦没者墓地を設けてその開所式を
「奉献式」とすることだったのである。それだけ
犠牲を払ってでも死守した、正義が勝ったのだ、と。そのように
偽善に満ちた催しにふさわしい、
きれいごとの単語を並べたうわべの崇高さで塗りたくった
濃厚な味がするスピーチである。南部の黒人奴隷制度には賛成しないが、
祖父がネイティヴ・アメリカン(いわゆるインディアン)に殺された復讐心でか、
ナバホ族やスー族には容赦ない残酷非道な仕打ちを平気でしたリンカンに
じつに似つかわしい、いけしゃあしゃあとした内容である。
"Four score and seven years ago our fathers brought forth on this continent a new nation, conceived in liberty, and dedicated to the proposition that all men are created equal.
Now we are engaged in a great civil war, testing whether that nation, or any nation so conceived and so dedicated, can long endure.
We are met on a great battlefield of that war. We have come to dedicate a portion of that field, as a final resting place for those who here gave their lives that that nation might live.
It is altogether fitting and proper that we should do this.
But, in a larger sense, we can not dedicate, we can not consecrate, we can not hallow this ground.
The brave men, living and dead, who struggled here, have consecrated it, far above our poor power to add or detract. The world will little note, nor long remember what we say here, but it can never forget what they did here. It is for us the living, rather, to be dedicated here to the unfinished work which they who fought here have thus far so nobly advanced.
It is rather for us to be here dedicated to the great task remaining before us ... that from these honored dead we take increased devotion to that cause for which they gave the last full measure of devotion ... that we here highly resolve that these dead shall not have died in vain ... that this nation, under God, shall have a new birth of freedom ... and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth."
鳥肌が立つ白々しい内容なうえ、外国語のひとつも話せない、
草間彌生女史と故ハナ肇の銅像ネタ顔を瞬時には判別できない、
拙脳なる私には全文の大意は示せないが、最後の有名な、
"government of the people, by the people, for the people,
shall not perish from the earth."
だけは、拙カタカナ発音、拙大意を附しておく。
(ガヴァマント・オヴ・ダ・ピープル、バイ・ダ・ピープル、フォア・ダ・ピープル、
シャル・ノット・ペリッシュ・フロム・ディ・アース)
「(拙大意)異様性欲者ジャン・ジャック・ルソーの劣等感ルサンチマン思想に基づく社会契約論によって
国民から生まれたとされる、
国民の手によって行われる、
国民にとっての政治が、
この地上から消滅することがないようにすることが
(今日ここに我々が一堂に会した意義なのであります)」
この有名な文句は、14世紀のイングランドの聖職者ジョン・ウィクリフが、
英訳聖書の有用性について述べたもの(国民を統治するにあたって役に立つ)
と記されてたとされるものである。いずれにしても、
彼らにはまず「(キリスト教の)神」を信じることが大前提なのである。
議会の承認を得ずにリンカンが兵を招集した南北戦争の真の目的は、
英国による南部経済支配を北部のものにすることだった。
英国は米国南部から綿花を安価で仕入れ、
アフリカから黒人奴隷を連れてきて米国南部に送ってた。
それで潤ってた港リヴァプールのしがないアイリッシュ系コットン・セイルズマンが
ジェイムズ・マカートニーである。対して、その倅ポールは、
ちょいと来日すれば数十億を稼ぐ。ともあれ、リンカンはなにも
黒人のためを思って奴隷解放宣言をしたのではない。
自分にとって都合がいい、大儀となっただけのことである。そして、
奴隷制度廃止は英国の大損失となるからだったのである。
リンカンは心情的には人種差別主義者だった。かつて、
米墨戦争反対というポウズでポウク大統領を攻撃非難した本人が、
南北戦争では大統領の戦争指揮権を拡大させる、といった
利己的な行動をとったのである。
戦争中にも狙撃され(それがスィークレット・サーヴィス誕生の因である)、
北軍の勝利のたった6日後に、
リンカンがなぜ米国史上はじめて暗殺される大統領となったか、
なぜそのときのリンカンの警護はピンカートン探偵社ではなかったのか、
なぜグラント将軍夫妻はリンカン夫妻との観劇をドタキャンしたのか、
歴史と顔を整形することが当たり前の民にでも解ることである。
内堀通りを車でよく通る。するとたまに、
着任した外国の大使が信任状捧呈式に向かう儀装馬車の通過で
皇居前が一時、停められるのにぶつかってしまうことがある。が、
風情ある光景なので、遭遇したらしたでそれもまた一興である。本日は、
新任の日本国駐箚アメリカ合衆国特命全権大使キャロライン・ブヴィエ=ケネディ閣下の
信任状捧呈式の日だった。他国の大使なら、
ものの数分で通行止めは解除されるのだが、
米国、しかもキャロライン女史ともなると、
日頃は反米左翼のマスコミから一般人まで大挙して出てるので大変である。ときに、
4年前、同女史の駐ヴァティカン大使就任をローマ法王庁が拒否したのは、
カトリック信者ながら人工中絶肯定派だからだった。今回、
日本に起用された最大の目的は、同女史による
日本へのTPPにおける圧力・根回しである。
アメリカが本当に狙ってるのは米穀などへの関税撤廃ではない。
日本の根本政策である非関税障壁の崩壊にある。
混合診療や病院の株式会社経営の許可、そして、
旧郵政公社の生保(生活保護、ではない)に競合する商品で
ジャパン・マネーをごっそりいただくことなどである。
信任状捧呈式送迎用の二頭曳き座馭式儀装馬車の発着場所が、
戦後GHQに接収されてその極東空軍司令部として使われてた
「明治生命館」であることが、じつに皮肉である。が、
日本は米国に対して敗戦国なので、いずれにせよ、
かつての神奈川港要求を漁村横浜にする程度の抵抗はしても
要求をのむ以外に生きる道はないのである。
すでに詰んでる、のである。
第1弾ペリー・ハリスによる開港、
第2弾米日戦争で負かすことによる日本の国体・思想・文化の改変、そして、
非WASPオバマに課せられたのが第3弾TPPなのである。
第4弾はおそれおおくて書けない。同様に
非WASPであり、英国王の下僕だったアイリッシュのJFKは
支配者からの期待に応えず消されたのである。今回、
その娘が父の不届きを挽回させられにやってきたのである。ちなみに、
アイリッシュながらポウクは家族こぞって、レーガンは自身がプロテスタントだった。
本日はまた、
かのリンカンが南北戦争の激戦地であるペンスルヴェイニャ州ゲティスバーグの
国立戦没者墓地での奉献式で、
例の有名な演説を行った日から150年にあたる日である。数日前に、
その演説を150年前に「ばかげた発言」と批判した
ペイトリオット・ニューズ紙が、その発言を撤回する、などという
150年めの謝罪をしたことがマスコミに小さく採りあげられてた。
"ばかげた"というよりは"偽善的"な演説ではある。が、
リンカンもこの演説も、巷では大人気なので、大衆迎合したこの謝罪は
いまさらながらの点数稼ぎでみっともない。
点数といえば、この語を英訳すればscoreとなるが、
リンカンのその演説は、
"Four score and seven years ago"
(フォア・スコア・アンド・セヴン・ニヤズ・アゴウ)
で始まる。
「(4×20+7)年前」
である。つまり、87年前、ということである。
"score"という語は元来、というよりも、
sc-という接頭辞は、
「刻む(切りつける)」
行為を表した。
scale(目盛)は刻んで数える。
scratch(ひっかく)ことは物体に刻みを入れることである。ともあれ、
羊や牛を数えるのに、両手両足の指20本を使い、
20になると棒っ切れに刻みを入れた習慣があったことに拠るらしい。
フランス語にも同発想の数えかた(quatre-vingts=4×20)が残ってて、それを
石原慎太郎がバカにして顰蹙をかったことがあった。それはともかくも、
ゲティスバーグの戦闘が、勝った北軍と負けた南軍の死傷者が
ほぼ同じだったという汚点を糊塗するためのイヴェントが、
そのゲティスバーグに国立戦没者墓地を設けてその開所式を
「奉献式」とすることだったのである。それだけ
犠牲を払ってでも死守した、正義が勝ったのだ、と。そのように
偽善に満ちた催しにふさわしい、
きれいごとの単語を並べたうわべの崇高さで塗りたくった
濃厚な味がするスピーチである。南部の黒人奴隷制度には賛成しないが、
祖父がネイティヴ・アメリカン(いわゆるインディアン)に殺された復讐心でか、
ナバホ族やスー族には容赦ない残酷非道な仕打ちを平気でしたリンカンに
じつに似つかわしい、いけしゃあしゃあとした内容である。
"Four score and seven years ago our fathers brought forth on this continent a new nation, conceived in liberty, and dedicated to the proposition that all men are created equal.
Now we are engaged in a great civil war, testing whether that nation, or any nation so conceived and so dedicated, can long endure.
We are met on a great battlefield of that war. We have come to dedicate a portion of that field, as a final resting place for those who here gave their lives that that nation might live.
It is altogether fitting and proper that we should do this.
But, in a larger sense, we can not dedicate, we can not consecrate, we can not hallow this ground.
The brave men, living and dead, who struggled here, have consecrated it, far above our poor power to add or detract. The world will little note, nor long remember what we say here, but it can never forget what they did here. It is for us the living, rather, to be dedicated here to the unfinished work which they who fought here have thus far so nobly advanced.
It is rather for us to be here dedicated to the great task remaining before us ... that from these honored dead we take increased devotion to that cause for which they gave the last full measure of devotion ... that we here highly resolve that these dead shall not have died in vain ... that this nation, under God, shall have a new birth of freedom ... and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth."
鳥肌が立つ白々しい内容なうえ、外国語のひとつも話せない、
草間彌生女史と故ハナ肇の銅像ネタ顔を瞬時には判別できない、
拙脳なる私には全文の大意は示せないが、最後の有名な、
"government of the people, by the people, for the people,
shall not perish from the earth."
だけは、拙カタカナ発音、拙大意を附しておく。
(ガヴァマント・オヴ・ダ・ピープル、バイ・ダ・ピープル、フォア・ダ・ピープル、
シャル・ノット・ペリッシュ・フロム・ディ・アース)
「(拙大意)異様性欲者ジャン・ジャック・ルソーの劣等感ルサンチマン思想に基づく社会契約論によって
国民から生まれたとされる、
国民の手によって行われる、
国民にとっての政治が、
この地上から消滅することがないようにすることが
(今日ここに我々が一堂に会した意義なのであります)」
この有名な文句は、14世紀のイングランドの聖職者ジョン・ウィクリフが、
英訳聖書の有用性について述べたもの(国民を統治するにあたって役に立つ)
と記されてたとされるものである。いずれにしても、
彼らにはまず「(キリスト教の)神」を信じることが大前提なのである。
議会の承認を得ずにリンカンが兵を招集した南北戦争の真の目的は、
英国による南部経済支配を北部のものにすることだった。
英国は米国南部から綿花を安価で仕入れ、
アフリカから黒人奴隷を連れてきて米国南部に送ってた。
それで潤ってた港リヴァプールのしがないアイリッシュ系コットン・セイルズマンが
ジェイムズ・マカートニーである。対して、その倅ポールは、
ちょいと来日すれば数十億を稼ぐ。ともあれ、リンカンはなにも
黒人のためを思って奴隷解放宣言をしたのではない。
自分にとって都合がいい、大儀となっただけのことである。そして、
奴隷制度廃止は英国の大損失となるからだったのである。
リンカンは心情的には人種差別主義者だった。かつて、
米墨戦争反対というポウズでポウク大統領を攻撃非難した本人が、
南北戦争では大統領の戦争指揮権を拡大させる、といった
利己的な行動をとったのである。
戦争中にも狙撃され(それがスィークレット・サーヴィス誕生の因である)、
北軍の勝利のたった6日後に、
リンカンがなぜ米国史上はじめて暗殺される大統領となったか、
なぜそのときのリンカンの警護はピンカートン探偵社ではなかったのか、
なぜグラント将軍夫妻はリンカン夫妻との観劇をドタキャンしたのか、
歴史と顔を整形することが当たり前の民にでも解ることである。
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