東京の家から横浜の家に行くのに、
駒沢通りあるいは目黒通りを進んで
玉川ICで第三京浜に乗って港北ICで降りる、
というルートをとってた。その途中、
目黒通りの柿の木坂陸橋手前500mあたりに
「ダイエー碑文谷店」がある。
東横線の学芸大学前と都立大学前の
ちょうど真ん中に位置するために
いわゆる交通の便が悪いにもかかわらず、
全国ダイエーの中でも売上高が大きいらしい。
御用聞きが来るほどでない田園調布の奥方も
7kmほどのロウケイションなので買い物にやってくる。が、
この店舗が入ってるビルは、一見、
スーパーマーケットという感じがしない外観である。
ここは本来、ボウリング場として想定されてた。
そして、その所有者は「横井産業」。つまり、
あの横井秀樹のものだった。
が、
当時、すでにボウリング・ブームは去ってたのである。
ちょうど、都心に旗艦店を持ちたいと思ってた
自転車操業者中内功に貸す方針に切り替えたのだった。
そうして「ダイエー碑文谷店」は昭和50年に開店した。だから、
店内の階段など、小売業店舗としては何か
異様な感じがするのである。とはいえ、
1975年頃は、ボウリング場が潰れて、
残された建物がスーパーマーケットや家具屋になることは
よくあることだった。都心では、
西友巣鴨店も同様である。
本日、
2013年7月1日は、
蝶ネクタイと拡声器で知られる
横井英樹(よこい・ひでき、1913-1998)
が生まれて100年にあたる日である。
蝶ネクタイ記念日ではない。ちなみに、
同人が蝶ネクタイをしてたのは
通常のネクタイだと結ぶ時間が惜しいから、
ということになってるらしい。が、
本来は蝶ネクタオもその都度結ぶものである。いずれにせよ、
旧安藤組から狙われてた同人の
「ボウタイ」だったと思われる。実際、
同人は狙撃されて意識不明にまで陥ったことがあり、
そのときの銃弾は摘出不能でずっと体内に残ってた。
実際に死後、火葬した遺骨の中から出てきたという。
火事の代名詞ともいえる「白木屋」(現在の「コレド日本橋」)の
乗っ取りを図った(結局は手を引いた)同人の
「ホテル・ニュージャパン」が火災事件を起こして閉鎖されたのは
奇遇ではないかもしれない。
同人は現在の愛知県稲沢市の農家の倅として生まれた。
農家といっても祖父の代には養蚕を行ってた立派な家だった。が、
父親がアル中のDVぐうたら野郎だった。これによって
横井の性格が形成されたものと思われる。
祖父の代の「機業(きぎょう)」家を越えて、
立身出世して東京で事業を興して
いっぱしの「企業家」になろうとした。が、
幼少期のトラウマと低学歴が特殊な人格を形成してた。結局、
そんな千一夜の夢は水泡に帰し、
静かなノットルノ(夜想曲)が流れるような平穏な老後を迎えることもなかった。
こういう親の愛情を与えられなかった人物が追い求めるようになるのは、
金権力であり、その金と権力に靡く女である。それが
世の中にとってもいい方向にはたらけばいいのかもしれないが、
そういうことはいくらもないのである。
最後は懲役をくらい、田園調布の邸宅も手離すことになった。
当時の美女の代名詞だった女優の星由里子女史と成田離婚した長男も
横井の死の10年後に自殺した。ちなみに、
横井邸跡を取得したのは、当時、「美白」でトキノ人だった
鈴木その子女史だった。が、
同女史も豪邸の建築を前に大腸癌で死んでしまった。
駒沢通りあるいは目黒通りを進んで
玉川ICで第三京浜に乗って港北ICで降りる、
というルートをとってた。その途中、
目黒通りの柿の木坂陸橋手前500mあたりに
「ダイエー碑文谷店」がある。
東横線の学芸大学前と都立大学前の
ちょうど真ん中に位置するために
いわゆる交通の便が悪いにもかかわらず、
全国ダイエーの中でも売上高が大きいらしい。
御用聞きが来るほどでない田園調布の奥方も
7kmほどのロウケイションなので買い物にやってくる。が、
この店舗が入ってるビルは、一見、
スーパーマーケットという感じがしない外観である。
ここは本来、ボウリング場として想定されてた。
そして、その所有者は「横井産業」。つまり、
あの横井秀樹のものだった。
が、
当時、すでにボウリング・ブームは去ってたのである。
ちょうど、都心に旗艦店を持ちたいと思ってた
自転車操業者中内功に貸す方針に切り替えたのだった。
そうして「ダイエー碑文谷店」は昭和50年に開店した。だから、
店内の階段など、小売業店舗としては何か
異様な感じがするのである。とはいえ、
1975年頃は、ボウリング場が潰れて、
残された建物がスーパーマーケットや家具屋になることは
よくあることだった。都心では、
西友巣鴨店も同様である。
本日、
2013年7月1日は、
蝶ネクタイと拡声器で知られる
横井英樹(よこい・ひでき、1913-1998)
が生まれて100年にあたる日である。
蝶ネクタイ記念日ではない。ちなみに、
同人が蝶ネクタイをしてたのは
通常のネクタイだと結ぶ時間が惜しいから、
ということになってるらしい。が、
本来は蝶ネクタオもその都度結ぶものである。いずれにせよ、
旧安藤組から狙われてた同人の
「ボウタイ」だったと思われる。実際、
同人は狙撃されて意識不明にまで陥ったことがあり、
そのときの銃弾は摘出不能でずっと体内に残ってた。
実際に死後、火葬した遺骨の中から出てきたという。
火事の代名詞ともいえる「白木屋」(現在の「コレド日本橋」)の
乗っ取りを図った(結局は手を引いた)同人の
「ホテル・ニュージャパン」が火災事件を起こして閉鎖されたのは
奇遇ではないかもしれない。
同人は現在の愛知県稲沢市の農家の倅として生まれた。
農家といっても祖父の代には養蚕を行ってた立派な家だった。が、
父親がアル中のDVぐうたら野郎だった。これによって
横井の性格が形成されたものと思われる。
祖父の代の「機業(きぎょう)」家を越えて、
立身出世して東京で事業を興して
いっぱしの「企業家」になろうとした。が、
幼少期のトラウマと低学歴が特殊な人格を形成してた。結局、
そんな千一夜の夢は水泡に帰し、
静かなノットルノ(夜想曲)が流れるような平穏な老後を迎えることもなかった。
こういう親の愛情を与えられなかった人物が追い求めるようになるのは、
金権力であり、その金と権力に靡く女である。それが
世の中にとってもいい方向にはたらけばいいのかもしれないが、
そういうことはいくらもないのである。
最後は懲役をくらい、田園調布の邸宅も手離すことになった。
当時の美女の代名詞だった女優の星由里子女史と成田離婚した長男も
横井の死の10年後に自殺した。ちなみに、
横井邸跡を取得したのは、当時、「美白」でトキノ人だった
鈴木その子女史だった。が、
同女史も豪邸の建築を前に大腸癌で死んでしまった。
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