チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「リヒャート・シュトラウスの愉快なひとつ覚え、ソドレミ音型」

2010年09月05日 00時03分46秒 | 説くクラ音ばサラサーデまで(クラ音全般

リヒャルト・シュトラウス ソドレミ


もう、ちょっと前のことになってしまったが、
煎餅を焼いてるときに、つけといたTVの深夜番組で
「桜組」という中国人の双子が躍る
「クリクラ体操」というのをやってた。
煎餅焼きに集中しててほとんどみれなかったのだが、
その歌が耳についた。クリクラとは浄水器のことらしい。
クリクラだからフニクラとのダジャレのようで、
"Funiculi funicula"の替え歌が、その
CMソングなようだった。もともと、
「フニクリー・フニクラー」という歌はよくできた歌なのだが、
その「クリクラの歌」のアレンジにはセンスがあった。といっても、
エイドリアン・ブロディとジローラモ・パンツェッタの顔の区別や、
インドのムンバイとイタリアのポンペイの地名の区別や、
大地真央とエレン・ポンペイオウ(Ellen Pompeo)の顔の区別がつかない、
拙脳なる私が感じたことにすぎない。

1880年、ヴェズーヴィオ火山の山頂まで
登山鉄道(ケイブルカー)ができた。が、乗客が少なかったので、
宣伝歌をルイージ・デンツァという作曲家に依頼した。
デンツァというよりは登山デンシャであるが、それが
「フニクリ・フニクラ」である。曲は、
概ね以下の2つの部分から成り立つ。ちなみに、
この歌にカデンツァは附いてない。

a)***♪ソ│<ドーー・ーーー│ーード・>シーシ│
     >ソーソ・<ラーラ│>ミーー・ミーー│
     ーーミ・>レー>ド│ドーー・ーーー│
     ーー<ミ・>レー>ド│ドーー・ーーー│
     ーー●・●●♪
a')***♪ミ│ミーー・ーーー│ーーミ・<♯ファーファ│
     >ミーミ・<♯ファーファ│>ミーー・ミーー│
     ーー>シ・シーシ│シーー・ーーー│
     ーーシ・シーシ│シーー・ーーー│ーー♪
  (実質的には、ミをラと置き換えた、属調の平行調に転調してる)
b)***♪シーー・>ラ●●│<シーー・>ラ●●│
   <ドー>シ・>ラー<ド│>シーー・ー●●│
   シーー・>ラ●●│<シーー・>ラ●●│
   <ドー>シ・>ラー<ド│>ソ●>ミ・ミーミ│
   ミー、ミ・ミーミ│ミー、ミ・ミーミ│<ドーー・ーーー│
   <レー>ド・>ラー<ド│>ソ●>ミ・ミー<ファ│
   <ソー>ファ・>ミー>レ│>ド●●・●●●♪

a)の[ソ<ド>シ>ソ<ラ>ミ]は、チャイコフスキーの破棄されたオペラ
「ヴォエヴォーダ」から転用されバレエ「白鳥の湖」の最終曲、
ズィークフリート王子がオデットに許してもらおうと
必死で走り込んでくる場面の、
第29曲冒頭のアンダーンテ部の終いで、
ファゴット2管とホルン4管のトゥッティで吹かれる、
***♪[ソーーー、<ドー│>シー・>ソー、<ラー│>ミー・ーー]、
   <ソー│ソー・ーー、>レー│<ソー・ーー♪
と同じ音型である。ちなみに、
「フニクリ・フニクラ」の原歌詞(Giuseppe Turco=ジュゼッペ・トゥルコ作詞)は、
つれない恋人に求愛するイタ男という内容らしい。それはともあれ、
リヒャルト・シュトラウスは「フニクリ・フニクラ」が昔からの民謡だと早とちりして、
"Aus Italien(アウス・イターリエン=イタリアから)"の
終曲(第4曲)"Neapolitanisches Volksleben
(ネアポリターニッシェス・フォルクスレーベン=ナポリの人々の暮らし)"
で使ってしまったのである。デンツァに提訴されて敗訴。
のちにシュトラウスが自分の著作権に対して
守銭奴のようにこだわるようになった遠因である。

Richard Strauss(リヒャートあるいはリシャート・シュトラウス)は、
1864年にMunchen(ミュンヒェンもしくは地元ではミュンシェン)に生まれた。
父親はBayern(バイアーン)王国宮廷歌劇場のホルン吹きFranz(フランツ)、
母親はフランツより15歳年下の後妻で、現在も
Hacker-Pschorr(ハッカー・プショア)という、けっこう有名な銘柄がある
ビール醸造業者Georg Pschorr(ゲオーク・プショア)の娘
Josephine(ヨーセフィーネ)。リヒャルトは、
父親42歳のときの子である。ちなみに、
年の差といえば、父親が母親より17歳年下だったのは、
ブラームス大先生である。ブラームスを生んだときの母親は、
44歳だった。それはともかく、
リヒャルト・シュトラウスは小さいときにモーツァルトに感化された。
モーツァルトが5歳のときに作曲したとされる
K.1cのAllegro(2/4拍子、1♭ヘ長調)は、
****♪【ソー│<ドードー・<レーレー│<ミーー】<ファ・<ソーソ>ミ│
     >レー<ファ>レ・>ドー>シー│<ドーーー・ーー♪
という【ソ<ド<レ<ミ音型】である。
シュトラウスはこれにとりつかれてしまったのか、
成人してからもこの【ソ<ド<レ<ミ音型】を駆使しつづける。

【Aus Italien】op.16(1886)
「イタリアから」第1曲"Auf der Campagna(カンパンニャにて)"(3/4拍子、3♭→実質ヘ長調)
【ミ<ラ<シ<ド】という短型を前駆として、
****♪(ホルン)【ソ│<ドーー<レ・<ミーー】(両翼vn)<【ソ・<ドーー<レ│<ミーーー】♪
次いで、(4/4拍子、1♯ト長調)木管群+金管群
****♪【ソ│<ドーー<レ・ミーー】、<ソ・・>ファーー>ミ・>レーー、<ミ│
   >ドーーー・<レーーー・・>ソーーー・ーーーー♪

【Don Juan】op.20(1889)
「ドン・フアン」冒頭7小節めから(2/2拍子、4♯ホ長調)トランペット
****♪【ソーーソ│<ドーー・ーーーー・・ーーーー・<レーーー│<ミー】♪

【Tod und Verklaerung】op.24(1888-89)
「死と変容」途中(4/4拍子、3♭→実質変ロ長調)トランペット+トロンボーン
****♪【●●●●・ソーー・・<ドーー・<レーーー│<ミー】・<ミーーー・・>レーーー・ーーーー♪

【Till Eulenspiegels lustige Streiche】op.28(1895)
「ティル・オイゲンシュピーゲルの愉快ないたずら」冒頭7小節めから(6/8拍子、1♭ヘ長調)ホルン
***♪●【ソ<ド・<レ<♯レー│ー<ミ】、>【ソ・<ド<レ<♯レ│ーー<ミ】、
  >【ソ<ド<レ│<♯レー<ミ】・ー<ファ<♯ファ│
  <ラ>ソ>ミ・>ド>ソ>ミ│>ドーー・>ソーー│>ドーー♪

【Der Rosenkavalier】op.59(1909?1910)
「薔薇の騎士」冒頭(4/4拍子、4♯ホ長調)ホルン
****♪ソーー<ミ│<ラー●●・>【ソーーー・・ーーーー・<ドー<レー│<ミーーー・ーーーー・・ーーーー】♪

感傷的なクラ音を作らせたらラフマニノフと双璧をなす
リヒャルト・シュトラウスである。なるほど、
モーツァルトの幼い頃の作品に強烈なノスタルジーを覚える感性が
なせるわざだったのである。ちなみに、
ラフマニノフもモーツァルティアーナである。ところで、
"Funiculi funicula"というタイトルであるが、
ナーポリ方言なようである。標準的なイタリア語で、
"funicolo(フニコロ)"はケイブルのことであるから、
ケイブルカーみたいな意味なのだろう。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「チャイコフスキー『眠れる... | トップ | 「アリス・紗良嬢の、おっと... »

コメントを投稿

説くクラ音ばサラサーデまで(クラ音全般」カテゴリの最新記事