チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「アリス・紗良嬢の、おっとどっこい、愉快ないたずら op.23」

2010年09月06日 00時55分18秒 | チャイコ全般(6つの目のチャイコロジー
[Alice Sara Otts lustige Spiel, op.23(Tchaikovsky)]

私は和梨が好きである。子供の頃、
千葉県の市川や鎌ヶ谷に「梨もぎ」に連れてかれて以来。
現在の主流は幸水と豊水だが、私が子供の頃は、梨といえば、
長十郎か二十世紀だった。柔らかい食感があまり好きではなかった
二十世紀は、松戸で19世紀末に偶然発見された品種である。
松戸といえば、私には少しく思い出深い町で、若い時分、
松戸にある聖徳女子大の学生と付き合ってたことがある。
その女子大は今は知らないが当時は制服があって、
スカートはかなりなミニだった。それはともかく、
JRの松戸駅南口からペデストリアン・デックになってて、
それがイトーヨーカ堂の2F入り口に直結して、学生はそこから入って、
6F裏側の出入り口から出て大学に通う、というルートを取ってた。
つまり、松戸駅の南側はすぐに小高くなってるのである。

100年くらい前の十年間ちょっと、そこに競馬場があった。
中山競馬場の前身である。跡地が陸軍の工兵学校になり、
戦後は公園になった。その公園の裏側には、
千葉地方裁判所松戸支部がある。そして、その所在地は
松戸市岩瀬無番地といって番地がない。ともあれ、
そのまた裏側の丘陵地は「相模台」という。
神奈川県の飛地があるわけではなく、いにしえに、
鎌倉幕府執権北条氏の城があったのがその地名の由来だという。
当時は渋滞で難儀した国道6号で東京から松戸方面に向かい、
陣ヶ前という交差点でこの不思議な地形に向かって
左に入って旋回すると、前述の大学・裁判所・公園などがある
交通量の少ない、道幅が広い一角が現れる。そこで、
カノジョが授業を終えて出てくるのを待ってた。いっぽう、
6号から右に入ると、矢切の渡しにもたどり着ける
二十世紀が丘という梨園だった。ちなみに、
カノジョは寮生だったので、寮がある松飛台というところまで
送ってったのだが、そこは松戸から八柱霊園の脇の道を通った。
寮近くで別れてまた真っ暗な墓地の脇を抜けて松戸まで出て
6号で葛飾から東京に帰る、あるいは、市川に出て
京葉道路で錦糸町経由で東京に帰る、
という気の遠くなるような何十キロもかかる帰路だった。
もう何年も松戸には行ってないが、懐かしい場所のひとつである。
当時はメルセデスではなくBMWだった。車のにおいを思い出す。

今年の1月に、
アリス・紗良・オット女史(pf)、トーマス・ヘンゲルブロック(指揮)、
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団、による、
リストのpf協奏曲第1番とのカップリングで発売された、
チャイコフスキーのpf協奏曲第1番のCDを先日聴いた。
アリス・紗良・オット女史は、ドイツ人の父と松戸出身の母とのハーフで、
南ドイツ・バイアーンのミュンシェンに1988年に生まれた21歳、
ということである(8月生まれなので今は22歳)。
美少女時代の海賊版みたいなリストのCDを買ったときに、
巧いとは思ったが、ジャケットを見るかぎり
すっかり美人に成長してる。少女のときは白人顔だったが、
今は日本人っぽい顔に変容してる。拙脳なる私は、ときたま、
森昌子女史や富田靖子女史と区別がつかなくなる。それに、
せっかく美人なんだから、あんなセンスのない、
うざったい、きたならしいロング・ヘアはやめて、
クールなショートカットにすればいいのにと思ってしまう。ともあれ、
リストとかショパンとか、テクニックで売る選曲をしてるピアニストも多くが、
だいたいチャイコフスキーのコンチェルトを弾くと、
キーシンとかヴォロドスとか、ボロ出しまくりである。
リヒテルとかアルヘリッチなんてのは言うに及ばず、
実はまともに弾けない輩などは、
"解釈"なんていう言い訳で粉飾したがる。が、
このオット女史はサラっと弾きこなしてた。
指揮者がややくせのある輩みたいなのに、おそらく
オット女史の奇をてらったことをよしとしない実直な性向が、
プチ・イケメンであるのをいいことに
若い女性をコントロウルしようとする支配欲求過多なおやじを
引き戻してる"協奏"だったのではないかと思わせる。
まぁ、難はいっぱいあるが、なにしろ、
クラ音界というのはキモ面でいっぱいな世界なのだから、
見てくれがいいだけでもよしとしなければならないが、
この程度の綻びならまったくokである。

さて、
このアリス・紗良嬢(基本的に私は未成年の女子には「嬢」、
成人の女性には「女史」という「敬称」を附すことにしてるのだが、
アリス・紗良・オットさんの場合は現時点ではその限りではない)は、
奇をてらうような弾きかたはせず、
真っ当にチャイ・コンを弾き進んでくのである。が、
ただ一点、アリス・紗良嬢はオチャメな面を示してくれるのである。

第3楽章[Allegro con fuoco、3/4拍子、5♭(変ロ短調)]
第1主題が戻ってきたあとの101小節め、
→[Sostenuto molto(ソステヌート・モルト)]
と、テンポをやや遅めて3拍子の拍感を希薄にして、
********♪●●●タター●タ・ター●タター●タ・ター●タター●タ│ターーー♪
という律動をppで刻み、
ヘ長調→ト短調→ト長調→イ短調→ニ長調→変ロ長調→変イ長調
と目まぐるしく転調する箇所。その106小節めの第1拍半ば、
イ短調になって2小節のあとである。
第1拍の頭をイ短調の主和音が弦群によって8分音符で刻まれる。そして、
その1拍めの半ばから木管群がpで、(イ短調)
********♪●●●●【Nミーーー】・<ファーーーーーーー・>Nミーーー>Nレーーー│>Nドーーー♪
という、第1主題の断片を吹奏する。その間、独奏pfは、
********♪●●【●♯レ<Nミー●】<♯♯ファ・
     <♯ソー●<Nラ<♯ラー●<Nシ・
     <Nミー●<♯ファ<♯♯ファー●<♯ソ│<Nラーーー♪
というスケイルを右手と左手のオクターヴ・ユニゾンによってppで弾く。が、
アリス・紗良嬢ときたら、おとなしくppでそのスケイルをサラってればいいのに、
なんとまぁ【】の箇所を【♯レ】【Nミ】をいっしょに、つまり、
【dis+e】を強くぶったたいてるのである。
なぜ、そんなオチャメが許されたのか、
戦場カメラマン渡部陽一とモアイ像の顔の区別がつかない拙脳なる私には解らない。
レコーディングディレクターやヘンゲルブロックもグルになった悪戯なのか、
それとも、レコーディングスタッフも指揮者もボンクラで
愛くるしい顔のお嬢さんのイタズラに気づかなかったのか、
眼鏡をかけたガルバチョーフ(いわゆるゴルバチョフ)と故細川隆一郎の顔の違いが
いまいち判らない私には知る由もない。ただ、
このチャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」は、
第1楽章第1主題をはじめ、「♯レ<ミ」とか「ミ<ファ」とかいう音型が
かなり耳につく曲である。だから、
その感受性と若さがそれを溜めとくことが辛抱できずに、つい、
「すぐヤルか」とばかりに、
隣り合う黒鍵と白鍵を同時にぶちたたかずにはいれなくなってしまった、
としたら、アリス・紗良嬢はいじらしいまでに本能に根ざしたアーティストである。
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