チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「コリオラン(op.62)へのレ悔ィエム(k.626)」

2005年04月26日 16時03分20秒 | 説くクラ音ばサラサーデまで(クラ音全般
ベートーフェンさまの中期の大傑作「コリオラン序曲」。
 カイウス・マルティウスは、ローマに刃向かうヴォルシアに遠征する。
 ローマ軍不利な戦況の中、マルティウスは果敢に攻める。
 その勇敢な奮闘ブリオに、敗走を繰り返すローマ軍は奮起。
 ついに、ヴォルシアの城を攻め落とす。その町コリオリを征服した者、
 という尊号「コリオラーヌス」とゲランの高級フレグランスを
 マルティウスは与えられる。が、ローマの英雄・救いの神なのに、
 執政官に推挙されるや、コリオラーヌスの戦功を妬むものどもによって、
 チャチャを入れられる。そして、その思惑・計略どおり、
 コリオラーヌスはローマ10里以内所払いの仕打ちにあう。
 チェ一族の策略にはめられたハン尚宮とチャングムの如しである。
 コリオラーヌスは復讐を誓う。それには、彼が陥落させた敵がうってつけ。
 ヴォルシアにとっても好都合、利便事である。やがて、
 ヴォルシアの将軍となり、故国に攻め込むコリオラーヌス。が、
 コリオラーヌスは肝腎なとこがヌケてるタイプであった。
 いやなに、レイバンやパイプをどこかに置き忘れてしまうわけではない。
 ローマには母をはじめ、肉親を残してるのである。
 身内を置いたまま脱北しても意味がないのとおんなじである。
 人質をとられてるのと同値だからである。それはさておき、
 戦では天才的なコリオラーヌスの前に、なすすべなく怯えるローマ。
 ローマはなんとか和睦を申しでるが、コリオラーヌスは拒絶。
 ローマは一日にして成らず、尖圭コンジローマは一日にして治らず。
 ついには高慢な母が民衆の前で倅に跪いて和睦を懇願する。
 苦渋の選択を迫られ、結局、撤兵するコリオラーヌス。が、
 それをヴォルシアで咎められ、「反逆者」として殺害されてしまうのであった。
 ところが、彼の武勇を惜しみ称える者は多かった。覆水盆に帰らず、である。
アッレーグロ・コン・ブリオ、C、3♭。
弦の主音ユニ→下属和のアタック。
弦の主音ユニ→減7(+主音)のアタック。
弦の主音ユニ→(主音を含む)減7のアタック。
主和のアタック。属和のアタック。そして、シテ主題、
♪ラッ<ドッド>シ・シッ<ミッミー♪
これを繰り返すときの「変ロ短」というのがまた絶妙である。そして、
♪レーーー|ー>ド>「♭シ」>ラ|>♯ソー<ラー|<シー<ドー♪
の「♭シ」にはめ込まれた「お約束」の
「ナーポリ6(f(<)as(<)des)」。心憎いばかりである。チェロの
♪ソ<ミ>ド<ミ・<ソ>ミ>ド>ソ|ー<レ>シ<レ・<ソ>レ>シ>ソ|ー♪
という分散を下敷きにした、
♪ミーーー・ーー<ファー|>ミー>レー・>シー>ソー、|
 <ソーーー・ーー<ラー|>ソーーー・>ファーーー♪
という細切れのワキ主題。が、この慈愛と痛ましさに満ちた断片主題は、
vnプリが弾く音の高さに繊細さが要求されるのである。
楽器数は多くないほうがいい。いっぽう、
トレモロの箇所はクッキリ聞こえてしかるべきである。また、
レコードにしろCDにしろ回転座席附きのナマ演奏にしろ、
「荒っれーる海・昆・布漁」の利尻や
「アッレーグロ・コン・ブリオ」一点張りの「コリオラン序」に対して、
加速したり減塩したりする凡庸な指揮者の演奏では、
その冴えないオツムの中に「見せかけの力」が働いてしまい、
作品の本質を見失うという失態に陥りやすいのである。
ベートーフェンさまのレシピに補正の必要などないのである。
昆布出汁以外に、むやみやたらいじくった味付けなどしいたいのなら、
「コリオラン」のような完成された高級キュイズィーヌでなく、
ごく簡単な「小料理欄」ともいうべき家庭料理で、
安っぽい食イ意地ーヌを試してればいいのである。
それはともかくも、肝腎なことは次である。
このツレ主題呈示が結ばれる箇所に、「モツレク」の「入祭唱(レクイエム)」の
歌唱が入る直前のフォルテのベタな導入、が引用されてるのである。すなわち、
♪【ファ・ファ>ミ・ミ<♯ソ・♯ソ|<ラ・ラ】、レーークィ>エム・エ♪
  減7   →主  →属7    →主
が「モツレク」であるが、「コリオラン序」も、
まったくおんなじ和声・進行なのである。
♪【ファーー>ミ|<♯ソ<ラ】>♯ソ<ラ♪
  減7  →主 →属7→主
具体的にはこうである。
「レ(<)♯ソ(<)シ(<) ファ」→
「ド(<) ラ(<)ド(<) ミ」→
「シ(<) ミ(<)レ(<)♯ソ」→
「ラ(<) ミ(<)ド(<) ラ」
ちなみに、このベタな♪【ファ→ミ→♯ソ→ラ】♪動機は、後世、
ニーノ・ロータ大先生によって、映画音楽「ゴッドファーザー(愛のテーマ)」の
♪○ラ<ド<ソ|<ファ>ミ<ソ>ファ|【ファ>ミーー>♯ソ|ラーーー|ー】♪
としても使われてるのである。他方、
この「ファ」と「ミ」を入れ替えたものでは、
ショパンの「3番pfソナタ」終章のシテ主題、
♪ミ<ファ○<♯ソ|<ラ○>ミ<ファ○<♯ソ|<ラ○ラ・ラ>♯ソ<ラ|<ド♪
に目立った形で使われてる。そして、
チャイコフスキーのバレエ「白鳥湖」(3幕)#24「景」の中の、
「ロートバルトは仰々しく娘(いわゆるオディール)の手を取り、
王子(ジークフリート)に引き渡そうとする」場面の、
♪ソーー|<♭ラーー<シーー|<ドーー、<ミーー|<ファーー<シーー|ドーー♪
も♪ミ<ファ<♯ソ<ラ♪の一ヴァリヤスィョンといえよう。ときに、その直前の、
「王妃は(王子がオディールの手の甲にくちづけした以上)
オディールが王子の婚約者にならなくてはならないと言う」
♪【【ミ<ドー>ラ|ラー>♯ソ】】<シー>レ|<ファー>ド♪
は、「モツレク」の「続唱」の終い「ラクリモーサ」、
♪【【ミーー・ー<ドーラ・ラーー>♯ソ○○】】
から採られてると私は見る。(いわゆる)オデットにとっても、
ひいてはジークフリートにとっても、その行為は、
「涙の日」たるものだったのである。「涙の日」といえば、
「コリオラン序」同様、弦のピッツィで寂しく虚しく終わる
リヒャルト・シュトゥラオスの交響詩「ドン・フアン」の、
♪ミーー>♯レ、<ミ<ド<ミー|ー、>♯レー>シー<Nレー>ド|
 ドー<ミー<ラー>ソ>ファ|>ミーーー>♯レー♪
というドン不安な曲想の主題(実質ト短)が呈示される直前の、(実質嬰ヘ短)
♪【【ミー<ドーーーーー>ラ】】♪
も「ラクリモーサ臭」がプンプンするのである。前記ト短主題に絡むフルートの
♪○変ホー>ニ○<嬰ホー<嬰ヘ|○>嬰イー<ロ○<ハー<嬰ハ♪
の前の小節は「ファ>ミ<♯ソ<ラ」の一ヴァリヤスィョンであるし、
この「フレービレ(悲しみにみちて)」と指示されたフルート修飾自体が、
♪○♯ソ<ラ○<ミ<ファ○>ラ>♯ソ○<(N)ソ>ファ♪
という本歌「ラクリモーサ」のvnプリ・オスティナートの踏襲である。さて、
またチャイコフスキーに立ち戻るが、
「(亡きシェイクスピア役者)サマーリン追悼のための弦楽エレジー」(ホ短)の
導入部は主調の下属調たるイ短である。その開始は、
♪○○【【ミー<ドー>ラー】】|<シーーー>ラー○○♪
なのである。涙の日なのである。さすがはモツレクなのである。
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