チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「シベリウスの日曜日」

2008年01月20日 21時42分21秒 | 説くクラ音ばサラサーデまで(クラ音全般
ガソリン税を廃止するといって、さも税負担全体が
軽くなると思わせて国民をだまして人気をとる姑息な手段に
出ようとしたが、代替財源には触れない偽善民主党である。そして、
一介の美作勝山藩士ふぜいから大富豪にまで成り上がった
自分の家の巨額資産は国に返納しない同党幹事長である。
「ガセネタが吹けばタイヤが儲かる」という諺があるが、
「ガソリンの値段を引き下げる→車がどんどん走る
→いっぽう、自治体の税収が減る→道路整備費が減る
→橋がガタガタになる→石橋ばかりになる
→タイアがすり減る→タイアを交換する
→ミシュランが三ツ星で稼がなくてもすむ」
という「石橋を叩けばタイヤ屋が儲かる」ということなのである。ときに、
京橋の「ブリジストン美術館」には労働者街で育ったジョルジュ・ルオーの
「郊外のキリスト」が展示されてる。イエスが労働者街を歩いてるのである。

キリスト教において「羊」は重要な生き物である。それまでの「神事」において
生贄にされてきた動物「羊」と、人々の「罪」を一手に引き受けて
身代わりとなって処刑されたという「イエス」とを結びつけたからである。
イエスの降誕ニュースまっさきに知らされ、
「恐れる勿れ。あなたがたをお救いになるかたがお生まれになった」
とまず目をつけられたのが「羊飼い」である。新興宗教にとっては
早急なる信者獲得が優先問題である。どういう職種の人が勧誘しやすいか。それは、
社会的地位が低く所得が低く、世間から見下されてる職業の人である。彼らは
「ルサンチマン(支配層、富裕層に対して恨みつらみを抱くこと)」を抱えてるから
つけいりやすいのである。帝政ロシアの農奴は過酷だった。だから、
彼らは無政府主義や共産主義というカルト宗教にだまされた。が、ソ連になってからは、
さらに悲惨な生活が待ってたのである。ときに、
Pee Shepherdとかいう垂れ流し集団がまた悪行をはたらいたようである。
この輩どもは自分らの偽善がバレヌ(baleine)ように、
憐憫の情を誘うくらい知識度が低い誤った論理をかざして幼稚なテロを仕掛けるのである。
戸塚ヨットスクールにでも入れて「鍛え」たほうがいいかもしれない。

それはさておき、「町(都市)」←→「郊外」ということから、
ベートーヴェンはヴィーンを現実の世界、
郊外を神とともにあるユートピア、
などと意識してたのかもしれない。
主イエスと関係深いパストラル(自然が残る郊外)の終章を
「神への感謝」としてるのである。そのように、
ベートーヴェンの「田園交響楽」は意図された。ただし、
主章の主主題の動機にはモーツァルトの「ジュピター音型」、
♪ド<レ<ファ>ミ♪を引いたのである。そして、その
「ペンタゴン交響曲」を引いたのが、ベルリオーズの
「幻想交響楽」である。3楽章は
「セーヌ(風景)・オ(の)・シャン(郊外)」
というアダージョである。冒頭、イングリッシュ・ホルンが、
**♪●●【ドーーー・<レッ●<ソーーー│
   >ミッ】●>ソーーー・<ラーーーーー**♪
という羊飼いの「牛追い歌」を投げかける。すると、
舞台裏に移動させられたオーボエが同歌を応答する。が、
この羊飼いの歌♪【ド<レ<ソ>ミ】は、
「田園交響楽」の主要動機♪【ド<レ<ファ>ミ】♪の亜種である。
すなわち、【ジュピター音型】からできてるのである。ところで、
ベートーフェンはワイン好きだったらしいが、
ブルゴーニュワインを飲んでたかどうかは知らない。麻布税務署の近く、
テレ朝通りと大横丁坂(別名:富士見坂、三大使館坂)の角にある
「Le Bourguignon(ル・ブルギニオン)」は
評判がいい店らしいが、私は内臓物が苦手なので行ったことはない。が、
Serge Bourguignon(セルジュ・ブルギニョン)が
監督した「シベールの日曜日」は観たことがある。Cybele
(スィベール)とは、古代の神の名(キュベレー)に由来した名である。
銀座の鮨屋ではない(あちらはキューベーである)。大地母神である。
大横丁坂に大使館があるギリシアでは「神々の母レア」
(ウラヌスの娘でクロノスの妻レア(ゼウスの母)と同一視された。
つまり、ユピテル(ジュピター)の母ということになる。キュベレーは、
羊飼いの美少年アッティスを愛し嫉妬し、殺し、木にしてしまった。が、
悔いてその木にすがって泣き続けたという。それを見かねたゼウスが
その木を常緑の「松」に変えたのである。なるほど、それで
牧神のことをpanというのか。松はpin、pino、pineである。
ハーディ・クリューガーが扮したピエールは、フランスワーズという
偽名の少女に結果として殺されたようなアッティスである。

さて、昨年は没後50年アニヴァであったオツムつるつるスベリウス
(受験生のみなさん、忌語などABO式血液型占い同様の迷信です)関連の
催しも多少はあってヤイノヤイノ騒がれてたが、
今年はもうさっぱり減ルシンキ。アイノアイノとも言われなくなった。
そのスィベリウスが自らの50歳を記念して作曲したのが
「5番交響曲」である。
今週は土曜はまるまる日曜も昼まで労働してしまったので、
JRA競馬も日曜しかできなかった。しかも、検討する時間もなかったので
中山と京都のそれぞれメインと最終競走4鞍しかできなかったが、
そのかわりすべて的中して気をよくしたので、久し振りにCDを聴いてみた。
マゼール&ヴィーナーフィルハーモニカーの「シベ5」のである。
改訂最終版では、主章冒頭でホルンが、
*♪ソーー│ーー<【ド・<レ<ソー・・>ミー】>ド・<レーー*♪
というヘルシンキという都会の郊外にある「アイノラ」での
「田園生活」を物語るかのような風情のサウンドを聴かせる。
この交響曲が「田園的」と呼ばれる所以である。ときに、この
♪ド<レ<ソ>ミ>ド<レ♪という「動機」は
ベルリオーズの「幻想交響楽」の「田園章」の
♪ド<レ<ソ>ミ>ソ<ラ♪そのものといってもいい亜種である。ちなみに、
実際、老後にガーミッシュ・パーテンキアヒェンに隠棲した
リヒャルト・シュトラウスの「英雄の生涯」の第6部
「英雄の引退と終(つい)の日」では、ホルンによって
♪【ソ<ド<レ│>ソーー】♪という「牧童の歌の亜種」が奏される。
スィベールが欲しがった風見鶏を取ってやったピエールであったが、
キュベレーを祭る神官は去勢しなければならなかった、という。
「かざみどり。イトよりかけて、白露を、タマにも抜ける、春の柳か」
休日遍照の週末であった。

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