チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「ジェスィ・ジェイムズ/悪党の最期」

2008年01月23日 00時14分37秒 | 寝苦リジェ夜はネマキで観るキネマ
今夜の日テレ「ボンビーメン」は、
麻十のパテオが小栗旬がモヤシを売るシーンのロケ地だった。
小栗旬は赤い靴は履いてなかったが、赤いジャケットを着てた。
「カフェ・ラ・ボエーム麻布十番店」の前がロケ地に選ばれたのは、
山田優の手が冷たかったからではない。本当の役名が
ルチーアなのにみんなが「未海(ミミ)」って呼んでるから、
という話はいっこうに聞いてない。ちなみに、
プッチーニのオペラの「なんて冷たいお手てなんだ」の
「che(ケ)・gelida(ジェーリダ)・manina(マニーナ)」
の「gelida」は、
「氷のように冷たい」という意味の形容詞の女性形である。これは、
「gelare(ジェラーレ)」という動詞の派生語である。もっとも、
この歌はアーリアであって「コーラス(凍らす)」ではないが、
アイスクリームを指す「gelato(ジェラート)」も同源である。
もちろん、ジェル(ゼリー)、ゲル(コロイド)も同様である。
ともあれ、小栗旬はイケ面なんだそうであるが、10年前のイケ面代表
ブラピの「ジェシー・ジェームズの暗殺」が、現在公開されてる。が、
若槻千夏と山口智子とキム・ジョンファの区別がつかない私には、
70年前のイケ面中のイケ面だった
タイロウン・パウア(いわゆるタイロン・パワー)の
「地獄への道(原題 Jesse James)」(1939年)
がいまも好きである。中1のときモームの小説が好きになった。
その映画化である「剃刀の刃」(1946年)のパウアに興味を持った。
現在では、晩年(といっても44歳で死)の「愛情物語」(1956年)、
もしくは「情婦」(1957年)での「老いた」姿が、
わずかに映画好きなむきに知られてる程度である。が、
「地獄への道」のときのパウアはみごとなまでの色男である。ちなみに、
「ダ・シン・レッド・ライン」(1998年)に
ジョージ・クルーニーが出演した際、
「マリック監督の作品に出れるなら」などと言ってたが、
「端役」でも出たのは、「似てる」ことを自覚してるパウアの
「長い灰色の線(ダ・ローング・グレイ・ライン)」(1954年)
を意識してたからなのである。それはさておき、
ジェスィの兄フランク役ヘンリー・フォンダ、
保安官役ランドルフ・スコット、
という名優による「脇」がまったく湧き上がってこないほど、
パウアのジェスィはイケ面である。実際のジェスィは
(議論の余地はあるにせよ)ハンサムと認識されてたのである。
TVドラマ「ダ・ヤング・ライダーズ」でも、
「少年時代」のジェスィを役づけてたが、
ティースプンの「道を踏み外すなよ」というセリフによって、その
「将来」を聴視者に予知させてた。
強盗なのに人気があったのは、つまりは「大衆」には
「顔」の力(power)が大きい、ということである。
ジェスィは一味の手下ロバート(ボブ)によって
賞金目当てに背後から射殺される。冷たい手、である。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「シベリウスの日曜日」 | トップ | 「トリニテ一件落着/チャイ... »

コメントを投稿

寝苦リジェ夜はネマキで観るキネマ」カテゴリの最新記事