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ご近所のご夫妻が定年後に、ご主人の郷里の新潟で野菜作りを始めて数年経ちます。
定期的に東京と新潟を往復する生活を張り合いになさっているご様子です。
今年はコロナ禍で春から初夏にかけての大切な時期に新潟まで行くことができず
気をもまれたご様子でしたが、秋を迎えて今年も新米と新鮮なお野菜を届けてくださいました。
丹精の品の数々、いつもありがたく贅沢な気持ちで味あわせていただいています。
![]() | ![]() 懐かしく嬉しい贈り物です。 ![]() |
![]() 辰年の父と丑年の母、9歳違いでした。 | ![]() |
![]() | ![]() 箱を開けて...父の一言は 「なぜ校章の稲穂があしらわれていないのだ?」 ![]() 校章の稲穂は「人間の心の糧を表象する稲穂の束をしっかり結び、 学問の独立をまっとうし、学問の活用を効するという精神に則る。」 という意味があるのだそうです。 |
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新潟は、亡くなった父の郷里。
山育ちの父は、東京で勉強がしたくて中学卒業と同時に伯父を頼って一人で上京。
15歳の少年は、柳行李(やなぎごうり)1つを背負って汽車に乗ったそうです。
伯父が勤める新聞社でアルバイトをしながら、高校~大学と学生時代を東京で暮らしました。
二十歳の誕生日を迎えた直後に二二六事件勃発、激動の時代を迎えました。
テレビで二二六事件をテーマにした番組が放映されると、じっと無言で観ていた父の姿を
今も覚えています。
思想的な背景などに関しては無言を貫いていた父でしたが、ドラマや映画の画面に
雪が降りしきる中を青年将校たちが歩む姿が映し出されると、一言...
「あの日は、雪はもう止んでいた。」
そう言っていました。
雪が降りしきる中を思いつめた表情で歩む姿の方がドラマティックだから、そう演出したのでしょうか。
魚沼産のコシヒカリの新米を戴いて...亡き父の青春時代に思いを馳せる...ちょっと不思議な
時間を過ごしました。
新型コロナウイルス禍が1日も早く収束の日を迎えますように...
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