おばあちゃんっ子だった私はきってのストーリーテイラーだった母方の祖母からも色々な話を聞かされました。 母方の祖父は母が生後1ヶ月ちょっとの頃に出征して終戦後にはインドネシアで捕虜になり、日本に戻ったのは5~6年経ってからだったそうです。 祖父の留守中、幼い子供二人と残された祖母は会社も預かって随分と頑張り大変だったそうです。 とても信心深かった祖母は、祖父が戦地から無事に戻ってくるようにとまだ寒い季節に真夜中の神社にお百度を踏みに行ったのよお(プルプル~)と幼かった私に話してくれました。 そうしてようやく戦地から帰って来た祖父は、その時もう小学校に上がるほどの年になっていた母にはまるで初めて会う知らないおじさんの様だったそうです。
父と母は当時には珍しい恋愛結婚で二十代の半ばに一緒になり、翌年には私が生まれました。 そして私が二歳の時にひとり目の弟が生まれたのですが、父は若い頃から仕事で留守が多く、家のこと子供のことは全て妻に任せっぱなしの家庭に不在型、昭和の父親の典型的なタイプでした。 なので子育ては母がひとりで奮闘せねばならず、私は小さいころから幼稚園や学校のない週末やお休みには父方か母方の祖母の元によく預けられていました。 ちなみに父方の祖母のところに一番最初に預けられたのは生後数ヶ月の時だったそうで、 父と母が一緒にどこかへ旅行に行くと言うので2週間ほど預けられたそうです。私は帰って来た母を見てもすぐには誰だか分からずにキョトンとしていたとのこと。笑
私は父方母方どちらにとっても初孫だったので、両方の祖母からずいぶん可愛がって貰いました。 だから生粋のおばあちゃんっ子なのです。 無口だった明治生まれの祖父達とはあまり話しをした記憶さえ有りませんが、祖母たちとは私が遊びに行くたびに沢山のお喋りを昼に夜にしてもらいました。 特に母方の祖母からは様々な昔話や不思議な神秘的なお話をたくさん聞かせてもらいました。
幼い頃に祖母たちと過ごした沢山の時間は、今も私にとって掛け替えのない宝ものです。