ぺるちえ覚書

兎追いしかの山… 懐かしい古里の思い出や家族のこと、日々の感想を、和文と仏文で綴ります。

子供時代の思い出 その1

2020-06-18 07:17:45 | 思い出
久しぶりのブログ。
今日は子供の頃の思い出を書いてみたいと思います。

私は昭和の後半の東京に生まれ育ちました。 戦後のベビーブームも高度経済成長も終わってバブル経済が弾けるまでの、平和で豊かな時代の日本でした。。。

父のこと、母のこと、祖母のこと、

私の両親は戦中戦後に子供時代を過ごした世代なので東京の空襲を避けての疎開生活も経験しています。 駒形の父方の実家には大きな御蔵があったのだけど空襲ですっかり焼けてしまったそうです。 江戸時代からの家宝がずいぶんあったのに全部焼けてしまった~と、父はむかし残念そうにこぼしていました。 笑

私たちが子供だったころは母もたまに、疎開先の親戚の田舎で真っ暗な夜道をタヌキかキツネにばかされていつまでたっても家に帰り着けなかった話や、畑の大きな穴に落ちて出られなくなってしまった話、戦後すぐは白いご飯にバターを乗っけてお醤油をちょっと掛けて食べるのがこの上もない贅沢なご馳走だったことなど、当時の様々な思い出を話して聞かせてくれました。

おばあちゃんっ子だった私はきってのストーリーテイラーだった母方の祖母からも色々な話を聞かされました。 母方の祖父は母が生後1ヶ月ちょっとの頃に出征して終戦後にはインドネシアで捕虜になり、日本に戻ったのは5~6年経ってからだったそうです。 祖父の留守中、幼い子供二人と残された祖母は会社も預かって随分と頑張り大変だったそうです。 とても信心深かった祖母は、祖父が戦地から無事に戻ってくるようにとまだ寒い季節に真夜中の神社にお百度を踏みに行ったのよお(プルプル~)と幼かった私に話してくれました。 そうしてようやく戦地から帰って来た祖父は、その時もう小学校に上がるほどの年になっていた母にはまるで初めて会う知らないおじさんの様だったそうです。


そんな父母が子供だった時代や、新型コロナの世界的流行でますます将来への不安の多い現在と比べると、私の世代が育った昭和の後半は本当に平和で豊かでのんびりとした特別な時代だったのだなあと感じます。

父と母は当時には珍しい恋愛結婚で二十代の半ばに一緒になり、翌年には私が生まれました。 そして私が二歳の時にひとり目の弟が生まれたのですが、父は若い頃から仕事で留守が多く、家のこと子供のことは全て妻に任せっぱなしの家庭に不在型、昭和の父親の典型的なタイプでした。 なので子育ては母がひとりで奮闘せねばならず、私は小さいころから幼稚園や学校のない週末やお休みには父方か母方の祖母の元によく預けられていました。 ちなみに父方の祖母のところに一番最初に預けられたのは生後数ヶ月の時だったそうで、 父と母が一緒にどこかへ旅行に行くと言うので2週間ほど預けられたそうです。私は帰って来た母を見てもすぐには誰だか分からずにキョトンとしていたとのこと。


私は父方母方どちらにとっても初孫だったので、両方の祖母からずいぶん可愛がって貰いました。 だから生粋のおばあちゃんっ子なのです。 無口だった明治生まれの祖父達とはあまり話しをした記憶さえ有りませんが、祖母たちとは私が遊びに行くたびに沢山のお喋りを昼に夜にしてもらいました。 特に母方の祖母からは様々な昔話や不思議な神秘的なお話をたくさん聞かせてもらいました。


幼い頃に祖母たちと過ごした沢山の時間は、今も私にとって掛け替えのない宝ものです。