☆ 今 日 の 幸 せ ☆

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中川 義照さん(79さい)

2006-07-03 | ・・・シリーズ、
「素顔のサハリン」を読み終わったばかりのところに、こんなニュースが、

サハリンで行方不明になっていた、中川義照さんが、ロシアで生存していることが5年前にわかって、やっと、今回、帰国した。

こんな話を聞くと、映画「ひまわり」を思い出す。

素顔のサハリン

2006-07-02 | ・・・シリーズ、
「素顔のサハリン千島」1993年出版の本だから、10年ちょっと前。 そのころから、どのくらい変わったかわからない。
でも、この本を読んで、少し、サハリンや、北方4島について、イメージができた。

著者の金丸さんは、大学を卒業すると、ペレストロイカで、渡航ができるようになった、サハリンに行き、コリアンの人たちが戦後、たくさん抑留されたことを知り、体験記を書き、その後フリーターのようなことをしているらしい。

ピースボートの企画にのり、その後、北方4島にも。

簡単に、本の内容をまとめておく。
北方4島返還関連の本を読むことがあったら、参考になりそうだから。
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日露戦争後のポーツマス条約で、南樺太は日本領に。

1910年:日韓併合、これより36年、敗戦まで続く。

南樺太の炭坑や軍事施設で、働かせるために、朝鮮人を強制連行。 
なかには、半島や日本での生活苦から、志願して移った朝鮮人も。
1988年:サハリンのコリアン37000人。
日本の敗戦により、日本人は、本土に引き上げるが、コリアンは抑留される。

エトロフ、クナシリ、シコタン、ハボマイは、ソ連側からは、クリル諸島と呼ばれる.
4島には、もともとアイヌが住んでいた。

サハリンのマーケットでは、すっかり生活基盤を作ったコリアンのおばちゃん達がたくさん働いているが、
モスクワからの投資も少なく、見捨てられたような、貧しい生活が多い。
食料は、自給自足に近い。そんな中で、コリアンはロシア人からは、見下されている。

エトロフのヒトカップ(単冠)湾。ここから、パールハーバーへ、
北海道の漁民が漁にでて領海でつかまりチュリマー(監獄)へ、いれられることが度々。

シコタン:坂の多い美しい島。 漁で採った魚の加工のための缶詰工場。ほかに特別な産業もないが、魚が少なくなって、経済的に苦しい状況。松前藩、シャモ(倭人)の、交易という名のアイヌモシリ(人間の静かな大地)からの略奪。

クナシリ:日本のテレビ受像可。根室まで、3、7キロ。モールス信号を使った光の点滅による通信
1822mの北方4島で一番高い、チャチャ(爺々)岳がある。
ここで、日本宛の手紙をだすと、一旦、モスクワに移動してから日本へということで、1ヶ月くらいかかる。

北方4島返還については、賛否両論。

戦後60年あまり。 サハリン、北方4島に住み着いたコリアンは、抑留の悲しみをかかえ、日本語も、朝鮮語も話せない、子供たちがふえて、文化の風化も嘆いている.

広大なロシアの各地から、やってきた、ロシア人も、生活基盤がすっかりできてしまった。

日本に返還されると、今度は、自分たちが追い出されるのではと、危惧。

しかし、経済的に、資本がはいってくるのは、歓迎。

土地の貸借によって、インフラ整備もしたい。

日本人もロシア人も、コリアンも、一緒に平和に住めるのなら、返還もいいのでは?

いや、日本人は、豊富な漁場がほしいだけだ。 それに資本がはいってくれば、マフィアも入ってくる。
平和な生活をみだされたくない。
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このくらい、メモっておけば、今後のヒントになるだろう。
パソコンなんて、一般の人は、見たこともないだろうな。
北海道から、中古自動車や、中古テレビは、かなり入るそうだけど。

北方4島に住むロシア人は、侵略者だからと、日本への、渡航ビザはおりないそうだ。

あるアイヌ女性の話
:日本は、同化政策のもと、アイヌ民族を否定しつつも、あいかわらず、在日を差別している。
北方4島の返還は、そのような差別がなくなってからの話ではないか・・・

小説を読むのもいいけど、日本の隣国の姿を実際に見た人たちの紀行文は、考えさせられる。
歴史はどうあれ、現実に生活している人たちのことを、最優先に考えたほうが・・・と、いう感想をもった。