☆ 今 日 の 幸 せ ☆

♪~生きていることに感謝、あなたに出会えたことに感謝、そして・・・明日が見えないことに感謝~♪

自由を得られた幸せ

2005-06-23 | 今日の幸せ
車を運転しながら、ふと思った。

私が今、時間を気にすることなく自由に動けるのは、なんやかんや行っても、同居人が亡くなったからだ。

時間を気にすることなく自由に動ける
好きなところに、足の向くまま、気の向くまま、いける。


とりあえず、まだ、いくらか体力も残ってるし、
その気になれば、海外旅行も何回でもいけるだろう。

そして・・・

出かける度に、

あの子が、ここにいたら、なんて言うだろう。
きっと、また水族館や動物園にいきたがるだろうな。
おいしそうに、向いに座って食べてるだろうな。
CD屋さんがあるよ。でも、外国語だから、見てもわからないでしょう?
トイレ行く?
ここも一緒に来たことがあるな・・・
「ママ、聞いてみて」って、外国にいっても、国内と同じ感覚で、言ってたな。


口には出さないけど、いつもいつも心に浮かぶのです。

手放しの幸せなんか、ないんだよね!

ママだけ、旅行にでかけてごめんね。

自由だな、幸せだな、と感じる度に、同居人の姿が目に浮かびます。 

「おかげさまで」

そんな言葉は、リアルの世界では、口にできそうにない。

錨を失った船。


太宰治/人間失格

2005-06-22 | 今日の幸せ
いつ買ったんだろう。 本棚を整理していたら、文庫本がでてきた。

どんな内容だったっけ・・・

ということで、短いし、再読してみた。

ギリシア悲劇というものは、当時の不満の多い人民が、これでもか、という悲劇を芝居仕立てで観ることで、現実の不満を昇華させようという、為政者の策略だった。(と思う)

さて、この人間失格をどう読むか。

こんなに生きることに感動のない文章を読んでいると、「私は、まだましかも、」と比較して思うか・・・

それとも、そうだよな、と共感して、死にたくなるか。

女性は、多分、日常の雑事を楽しめるから、人生をそれほど深く考えなくても済むのかもしれない。 というと、女性の読者に叱られるかな。

本当の自分を曝け出したフリをして、これだけは大事にとっておきたい、と思うものを隠すためのカモフラージュに使う。 お芝居だと思えば、饒舌にもなれるけど、本来の自分は、話すのがとても苦手。


幸田文/ごはん 続き

2005-06-21 | ・・・シリーズ、
文の中に、空襲の時の様子を記述した場面がある。

畳みの上を土足で歩く。 緊急ではあっただろうが、禁じられたことができるという嬉しさを少し感じていたそうだ。

明治の何年ごろになるのだろうか・・・

西洋の椅子とテーブルの生活の人達のために、畳みの部屋に、応接室をしつらえる。

それより前、長崎観光をしたとき、シーボルトの診療所を再現したものを見た時、畳みの部屋を洋風に使っていて、(確か、靴もおいてあったと思うが)不思議なものをみた気分に襲われたことがある。

現代でも、最初から、ゆとりのある住環境に住めるわけではない。 畳みの部屋にソファーを置いて使う。 フローリングに冬はコタツ。 冷暖房のお粗末な日本住宅では冬のスリッパは必需品だと思うが、畳みの上にスリッパは、やはり気になります。

BGM:世界のマーチ

幸田文/ごはん

2005-06-21 | ・・・シリーズ、
おもしろいよ、と勧められたので読んでみた。

なるほどである。

どんなにおいしいものでも、気分が塞いでるとおいしくない。
多少気分が塞いでいてもおいしいものはおいしい。

同居人が亡くなったあと、確かに、食欲はなかった。 胸塞がる思いだったのだが、まわりで、よってたかって、食べないとばてるからと、いろいろ勧めてくれる、2日ほどは、食事のしたくもしなくていいから、とありがたい言葉をいただいた。(3日目からは、超忙しい思いをしたのだが)

「生きてるということは、食べないと死ぬということだよね」
などと言いながら、無理に「食べ物」を口に突っ込んでいた。
それでも、おいしいものはおいしいのである。

文章の中に「心に残るごはん」というのがでてくる。

さて、これまでで、「私の心に残るごはん」といえばなんだろう。

とっくに年齢の想像はついているだろうから、こんな話しでも。

小さい時、祖父母の田舎で育った私は、とにかくひとりぼっちの時間が多かった。 九州のまだ、農耕馬が活躍してる時代。 お米が貴重だったのだろう。 毎日の御飯は、「からいもごはん」 そして、その御飯粒がくっついているからいも(さつま芋)を、よけておいて、おやつにするのだ。 幼いながらも、寂しさを感じながらちょっぴり甘いあの「からいも」の味。

おいしいものと心に残るごはん、確かに違いますね。

まずくて、心に残る御飯もあるしね。

灰色の人生

2005-06-20 | 記憶に残したい言葉
灰色の人生。

そんな人生が、楽しいのかも。

濃い灰色、薄い灰色。

決して、白や黒には、ならない。

灰色なら、いろんな他の色が混じっても、

それなりに、やっていけるでしょう。

残念ながら、ここまで生きてくると、

あなた色に染まるのは難しいけどね。

しばし海外脱出

2005-06-18 | 今日の幸せ
只今準備中。

昔に戻って、サーバイバルにでたとこ勝負の予約なし。

同居人の写真を携えていくつもりです。

ということで、記事は、かなり不定期になります。


追:まるでストーカーのように同じ記事にスパムコメントがはいるので、記事ごと削除しました。 誰かに、怨まれてるのかしら?  

先日ゴミステーションの当番で掃除にいったら、アチコチに違反ゴミが残されていました。 出した人は、違反を承知でだすのでしょうから、いくら張り紙をしても、持っていかないでしょうね。
スパムコメントって、違反ゴミをだす人と似たところがありませんか?

それから、決められたゴミステーション以外のところへ、車にゴミを積んでいって、放り投げる人。 ネット使ってる環境にあれば、自分のゴミステーション(URL)くらい、ハッキリできますよね?

忌明け

2005-06-15 | 今日の幸せ
お花、ちょっと豪華なものを一対。
供物として、バナナ、小玉すいか、林檎、さくらんぼ、グレープフルーツを2組
もち50個
遺影、阿弥陀様、位牌を並べて、お寺で、お経をあげてもらいました。

餅1個を、本尊に供えてらしたようです。 残り49個。これが49日と関係あるのでしょうね。
何もかも、わからないことばかりですが、白木の位牌をお寺に置いてきて、神棚にはっておいた半紙もはずしました。

明日から、日常生活に戻ってもいいということになっております。 

宗教は?  葬式仏教徒、などと答える私ですが、記憶にあるところでは、祖父母、父、兄、と亡くし、今度は、我が子。

たとえ葬式仏教でも、節目節目の供養が、生きてる者に、生きる力を与えてくれるようです。


不思議なことだけど、

2005-06-14 | 今日の幸せ
明日は、49日。

夕方、電話で、障害児を育てている知り合いとしばらく話しをした。

:私の場合はね・・・

:今、学校に行っていても、卒業するのなんかすぐだからね。 今のうちにいろんな施設を見てまわって、将来の参考にするといいよ。

:親が決めてやる通りに、子供は進んでいかざるを得ないわけだから、頑張ってね。

:子供の表情をみながら、喜んでくれそうな場所を捜して、せめて、月に1回でも、学校以外の場所を経験させてあげた方がいいと思うよ。

そんなことをアドバイスしながら、いつのまにか、同居人と過ごした記憶が、1年、1年 遠ざかっていくんだろうな、と思った。

私が亡くなったあと、せめてたくさんの思い出を同居人に残してあげたいなと、セッセと出かけていたのに・・・

人は、選択肢の少ないところで、工夫しながら、頑張ってるのが幸せな場合もあると、思い知らされているこの頃。


思い掛けない訪問者

2005-06-12 | 今日の幸せ
とり散らかったままの家の中。 もうお線香をあげにくる人もないかと思っていたら、思いがけなく、同居人の養護学校での担任だった先生が突然やってきた。

「散らかっててもいいや、生活してるんだもの」

ということで、「どうぞどうぞ」とお通しして、しばし思い出話し。
やっぱり涙がでそうになる。

毎日、もう食べることはないとわかっているのに、おままごとのように、食事を供えてます。

食べてくれる相手がいないと、食事の支度がだんだんといい加減になりそうです。 気休めでも、おままごとでも、お茶碗を洗う手間が増えたって、お仏壇に供えることで、私の食生活も支えられているような気がします。

今日はスイカ、今年の初物を食べました。