
乾坤一擲.
「けんこんいってき」と読みます.(知ってる? ごめんなさい)
天と地とを入れ替えるほどの大勝負をする意味です.豊橋競輪場で午後4時半ごろの最終レースの前に,「この金がなくなったら,もう終わりじゃ」と言っているオジサンの心境を表しています.
そんな単純な言葉なわけはない.
ただ,いま検定に臨む私は「大勝負」に向かっている心境です.
車校に向かうタクシーの中では「落ちて当たり前」というような楽な気持ちです.しかし,私の前に大型/普通二輪を受験している方々を見ていると「自分も合格するのではないか」という欲が出てきます.「私だって大丈夫さ」.
前の125ATの方が平均台から落ちた時には「これが5分後の自分だ」という気持ちです.この気持ちの変遷.落差.17歳にもつらいでしょうが59歳であっても落ち着いてはいられません.
私は学校卒業後,ある国家試験に落ちた経験があります.その時は「もう一生この試験には受からないんじゃないか」と考え込んで一年間過ごしました.
結局合格できたのですが,若い時は「これが一生続くんだ.もう自分に未来はないんだ」と思ってしまいます.逆にそれが「若さ」だといえます.
トシヨリは違います.「落ちたか.ふー-ん」という心境になることができます.単にデリカシーがなくなっているだけです.
落ち着いてはいなくてもいまの私は,「私も落ちるだろう.でもそれがどうした」という60年の人生経験による開き直りがあります.これは17歳の方にはない心がけでしょう.
ただ,17歳のかたは400cc二輪にあたりまえに合格しているのです.私は125ATです.大関という立場の人に対して,前頭筆頭リード125を相手に苦戦している私がいう資格はありません.
とにかく大勝負です.
ゼッケンの色が今までの教習(赤や黄色)でなく白地に「検定」というものに変わります.プロテクターの上からかぶります.
落ちたら再び前の色のゼッケンになります.
雲一つない季節外れの青空.気温と湿度が上昇しています.緊張している私にはなにも感じられません.ヘルメットをかぶり,グローブをはめてスタートのポールの位置に向かいます.
もう1か月一緒に稽古の相手をしてもらっている前頭筆頭リード125が左に首をまげてたたずんでいます.
「さあ,かかって来なさい」 相手がそういっています.二輪車は生き物です.
土俵たる二輪コースのスタート地点に立ちます.
高校の時にグラウンドに向かって一礼したのと同じ.まず頭を下げます.
スクータに手をかける前に右,左,右と大きく首を振ります.そのあとで両手をハンドルにかけて,再び首を左右にブンブン振ります.
この試験の5分のあいだに,首が腱鞘炎になるほど動かしています.
これから本当に二輪車に乗るために,検定車にまたがるのです.検定車を走らせるのです.
そしてこの検定車とともにポールの位置に再び戻ってくるのです.